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白子周辺の水路敷群(赤塚溜池公園周辺の谷)
地図
OpenStreetMapで赤塚溜池公園に注ぐ水路敷と谷筋を見る。
今回は、新大宮バイパス西側に広がる急峻な谷筋を見ていくことにしよう。このあたりは板橋区でも有数の湧水が集中してみられる場所で、崖線に沿って不動の滝など現役の湧水も見ることができる。氷川神社、赤塚城址と東京大仏がある乗蓮寺、清涼寺などは台地の上にある。
溜池
首都高速5号線高島平出口のすぐそばにある赤塚溜池公園の溜池。1950年代の空中写真ではもっと大きく東側まで広がっていたようだが、古くからの農業用溜池の一部を公園として整備したものだ。位置的には赤塚・成増地区の複数の谷が集まる場所にあり、溜池を作るのに適した場所だったのだろう。
このページの写真は2022/4/30撮影。
裏道
溜池西側にある板橋区立郷土資料館の裏側に、元は水路敷だったと思われる通路がある。ここから初めて、反時計回りにそれぞれの谷を眺めていくことにしよう。ちなみに写真右側に写っている大きな岩のようなものは溜池に流れ込む水を吐き出す場所で、湧水を模した形になっている。
雑木林
南側の崖下は雑木林の回復プロジェクトとして保存活動が行われている。
蓋暗渠
資料館西側の敷地内に移設されている旧田中家住宅の裏手から西側の道路に向かって、蓋暗渠が残っていた。
旧田中家住宅
蓋暗渠から旧田中家住宅の裏側が見える。旧徳丸本村から移設された江戸末期から明治初期にかけての農家の家屋だ。フェンスがなければタイムスリップでもしたかのような風景に見える。
谷底
公園を西に抜けてすぐ、北に向かう路地に入っていくと西に向かって谷底の細い水路敷が現れる。
行き止まり
最初は舗装されていたのだが、すぐに住宅と崖の間の未舗装路となってしまい、写真奥で行き止まりになっている。
赤塚四丁目公園
南側に並走する道路を進んでいくと、南北の崖に挟まれた赤塚四丁目公園に出る。
崖下
赤塚四丁目公園の北側から溜池公園方向を見たところ。擁壁との間に水路敷が残っているように見えなくもない。
西側
赤塚四丁目公園西側の出口は、水路敷をそのまま使っているようだ。
谷頭
前の写真奥まで進むと、その先にさらに細い水路敷がある。水路敷は写真奥で階段となって崖を上っていくので、そこが谷頭なのだろう。
氷川神社
南側の崖上には赤塚氷川神社がある。この氷川神社については小井戸川(こいどがわ)のときに紹介しているのでそちらも参照していただきたい。
谷
氷川神社の脇から北側の谷を見る。思いの外深い谷になっているのがよくわかる。
公園西側
赤塚城址の西側も南へ回り込んでいく谷になっている。写真は公園西側の入口付近から下流方向を見たところ。公園(右側)と住宅(左側)の間に窪みがあるので、もとは水路だったのかもしれない。
森
公園西側の入口から南東方向に向かって、支谷が公園の崖を削っている。崖の上まで遊歩道があるので、上って行ってみよう。
遊歩道
森の中を遊歩道が緩やかに上っていく。
赤塚五丁目森の広場
崖上の平場に出たところは赤塚五丁目森の広場になっている。
城址
崖上まで上ってきたので、ついでに赤塚城址を見に行こう。赤塚城は康正2年(1456年)に下総国守護の千葉氏が移ってきた居城があった場所で、豊臣秀吉に敗れた天正18年(1590年)までこの一帯を支配していたという。白子川や新河岸川が削り出した北側の低地に張り出し、東西も谷に囲まれたこの場所は、見晴らしもよく築城するのには非常に良い場所だったことだろう。
水路敷
さて、公園西側の谷に戻って上流を目指そう。西側の谷筋は赤塚五丁目森の広場を含め3つ(もしくは4つ)に分かれているのだが、西側の2つ(もしくは3つ)は途中まで同じルートになる。道路の西に向かって細い水路敷らしき道があったので、ここに入ってみる。
細道
細道はすぐに南向きに谷筋に沿って進む形になる。手前の下流側は嵩上げされているようだが、これは水路敷と考えていいだろう。
階段
写真奥に見える南側の道路は谷に降りる坂になっており、水路敷はその途中に階段で接続している。
窪み
坂道に出たところで上流方向を見ると、住宅の下が窪地になっている。一見ここが谷頭のようにも見えるのだが、実際には住宅地の方が谷を埋め立てている部分があるようで、この先にも谷がある。
坂の上から
坂道の上から谷を見る。この辺りではかなり高低差があるのがわかる。
谷?
谷底からそのまま西へ氷川神社に向かって上る坂道。地形としてはここも谷間のような気はするのだが、いまひとつはっきりしない。
この写真は2022/5/3撮影。
谷底
改めて谷底に下りたところから南を見る。岬のように半島状に張り出した高台の両脇、東西に別れる谷が見える。反時計回りということで、右(西)側から先に進んでみよう。
ここからの写真は2022/4/30撮影。
谷筋
左右にある高台の間を狭い谷筋が南へ向かって上っている。
石成公園
坂道を上ったところで谷筋に沿った道路は終わっているが、谷そのものはその先にも続いており、谷頭付近は石成公園になっている。石成(いしなり)というのはこの辺りの旧村名だそうだ。
清涼寺
石成公園の東向かいにあるのが真言宗智山派の清涼寺。開山は11世紀の初めと伝わる。明治9年(1876年)にはここに石成小学校が置かれたという。
谷を上から
さて、つづいて東側の谷だが、こちらは谷筋に道がなく住宅地に埋もれている。上っていくと谷を横切る道路があったので、そこから谷底方向を見たところ。
この写真は2023/5/3撮影。
赤塚高台通りへ
道路の方は谷の東側をカーブしながら上っていき、坂の上で西へ向きを変えて赤塚高台通りへ向かっている。
2023/4/30撮影。
観音堂
坂の上、谷頭付近にある上赤塚観音堂。赤塚にある松月院の境外仏堂で、寛文年間(1661〜1673年)の創建という。
フェンス
さて、それではここで一回溜池まで戻り、赤塚城址東側の谷を見ていくことにする。溜池の奥に、フェンスで仕切られた空間があった。
水路跡
フェンスの向こうには水路跡が南へ向かって伸びていた。
赤塚トンボ池
公園南側の水路脇に赤塚トンボ池というビオトープがある。
フェンスの間
トンボ池を過ぎ、フェンスの間を進む水路跡を上流側から見たところ。
区立美術館
水路跡は、公園南にある板橋区立美術館の西側裏手(写真奥)を抜けていく。
崖
美術館の前を走る東京大仏通りを挟んで東側の崖を見る。こちらもかなりの高低差があり、谷を削った流れの水量の多さが想像できる。
裏
水路跡のほうは美術館から南側の池田園の裏手を抜けている。写真は池田園脇のフェンス越しに下流方向を見たところ。
西へ
前の写真を撮影した場所から西へ向かう道路が、赤塚公園の南側へ回り込む谷になっている。
薬師堂
崖の上に薬師堂がある。
崖と坂
谷を進む道路は徐々に坂道を上がっていくが、写真奥、赤塚城二の丸跡があった乗蓮寺(東京大仏)から下りてくる坂と合流するあたりで道路から離れて住宅の間にに谷筋が移っていく。
庚申塔
坂が合流する手前、道路西側に青面金剛庚申塔があった。安永8年(1779年)の銘が刻まれていた。
池
さて、今後は南へ向かう谷を見ていこう。西に向かう谷の途中で、二の丸の崖下に向かって上流へ向かう水路跡が分かれている。その先には、コンピ二の裏に池が残っていた。池の奥には開渠がある。
この写真は2022/5/1撮影。
階段
道路はないので東京大仏通りまで戻って南側へ回り込んでいく。コンビニの裏を抜けてきた水路は開渠として写真右側の崖下に見ることができる。
ここからの写真は2022/4/30撮影。
遊歩道
階段の手前、上流に向かって遊歩道がある。一方、写真右側からは湧水が流れてきているようだ。
湧水
たどっていくと崖下に湧水が沸いていた。
不動の滝
一方、東京大仏通り西側の崖下にも「不動の滝」と名付けられた湧水がある。江戸時代の大山詣などに向かう際の禊(みそぎ)場として利用されていたという。
ここからの写真は2022/5/1撮影。
滝
不動尊が安置されたお堂の脇には、いまでも崖から湧水が流れ落ちている。
石塔群
滝のそばには、近隣から集められたと思われる石塔が並んでいた。
不動像
滝上にもひっそりと不動明王像が置かれていた。
崖下
遊歩道に戻って上流へ向かう。崖下に沿って南へ進んでいく。
ここからの写真は2022/4/30撮影。
乗蓮寺
遊歩道は乗蓮寺山門下の入り口脇に出てくる。室町時代、応永年間(1394〜1428年)の創建と伝わり、江戸に入った徳川家康から朱印地を得たのち、徳川吉宗が鷹狩りの途中で参拝したことなど徳川家との縁があることから門扉に三つ葉葵の家紋がある。
東京大仏
乗蓮寺といえば、境内にある東京大仏で有名。昭和57年(1977年)の開眼という比較的新しいもので、元は板橋区仲宿にあった常連寺が首都高速建設に伴い赤塚城二の丸跡に移転した際に建立されたものだ。
赤塚植物園
乗蓮寺の下を通り抜けた谷は、赤塚植物園へ。ここで、植物園を挟んで南北から来る谷が合流している。
谷間
植物園北側の谷は、上流側にある農業園と万葉・薬用園の間に見ることができる。
農業園
谷頭は農業園の奥あたりにあったようだ。
親水公園
南側の谷は植物園内の親水公園として整備されている。
くねくね
植物園の先にも、くねくねと水路跡の道路が続いている。写真奥で道路は行き止まりになっているが、これは南北に走る道路によって谷が塞がれているため。
続き
道路の西側に谷が続いている。
細道
途中で谷筋が車の通れない細道になる。
擁壁
だいぶ上流に進んできたはずだが、崖上とはまだ結構な高低差があるのがわかる。
支流
上流端近くには、北からフェンスで封鎖された水路敷が合流してくる。
上流端
上流端が見えてきた。谷頭は階段で南北に通る道路に上がることになる。
谷頭
道路は嵩上げされているのではないかと思われるが、ここでもかなりの高低差が残る。谷筋は一つ西側の赤塚体育館通りまでうっすら残っているようだが、水路敷はここで上流端といえるだろう。
東京大仏通り
最後に東京大仏通り東側も見ていこう。溜池に集まってきている谷筋の西側には、赤塚城址と同じ高さの台地が突き出している。
アンダーバス
台地の東側は首都高速5号線と大宮バイパスが走っているが、高速道と一般道のアンダーパスが交差するあたりで台地が凹んでおり、古地図では大宮バイパスに沿って谷筋があったのがわかる。
見晴らせない
高架道の脇から台地の上に登ることができるのだが、先端にある見晴台として整備された場所は木立に阻まれて谷を一望することは難しい。。
崖線
大宮バイパス脇の歩道橋から西側の首都高速方向を見たところ、高速道路が成増台北端の崖線に沿って走っているので、崖沿いにこんもりとした森が見える。
水路
崖の北側に回ってみると、いくつか湧水から流れてくる水路があるようだが、森の中に埋もれてしまってよくわからないところも多い。
by Natrium