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田柄川(下流域)その2
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下頭橋
環七沿いに水路の痕跡は残っていないので、石神井川沿いに上流へ向かい下頭(げとう)橋へ。
下頭橋は江戸時代の川越街道(現在は旧川越街道・下頭橋通り)にあり、一説には橋のたもとに住んでいた六蔵が、道ゆく人に頭を下げてため込んでいた喜捨をその死後に元手として石橋に掛け替えたことによるともいう。
橋のたもとにはその六蔵を祀る下頭六蔵菩薩が残されている。ここからの写真は20219/9/1撮影。
白箭稲荷
下頭橋近くの民家の間にある白箭稲荷大明神。かたわらの由緒書きには「しらさき」とルビが振ってあるのだが、白箭の矢で「しらは」と読むとする人もいるようだ。「箭」の字は矢のことで、「セン」または「や」と読むのが一般的なようなのだし、「白羽の矢」が一般的だとは思うのだが。
文明9年(1477年)に太田道灌が豊島氏と争った江古田・沼袋原の戦いの戦勝を白箭稲荷に祈願したとされる。
旧川越街道
下頭橋から石神井公園の左岸側を見る。左にカーブしていくのが下頭橋通り(旧川越街道)で、右奥には環七が見え、かつての水路は環七のあたりを流れていたはずだが、実際の谷は少し手前に窪みがあり、環七よりもやや南側を流れていたのかもしれない。
この写真は2020/6/6撮影。
下頭橋通り
下頭橋通りを進んでいくと、道路の左側が下り坂になっているのが気になった。
ここからの写真は2019/9/1撮影。
谷
下頭橋通りの南側は谷になっていた。古い空中写真を見てもここに水路は見当たらないが、かつてはこちらに向かって水が流れていたのかもしれない。
水路敷?
谷底にあたる場所に水路敷のような細い道が残っていた。
カーブ
細道を進んでいくと、突き当たりは田柄川最下流の水路跡に突き当たった。ここから水路跡に沿って写真奥の上流へ向かってみよう。
川越街道へ
水路跡は川越街道と交差するところでかなり嵩上げされているようだ。
脇道
嵩上げされている場所には、崖上になっている段差と細い道があった。
右岸
川越街道を渡って先に進む前に、少し石神井川右岸に寄り道してみよう。下頭橋のひとつ上流側にある宿橋から右岸側には窪地が広がっており、途中は坂道ではなく階段で崖上とつながっている。
崖付き住宅
旧川越街道の北側、少し下流側に戻ったところにも崖がある。戦前、東武東上線の北側にあったという遊泉園ができる前は、石神井川がこちら側に湾曲して流れていた。
猫
崖下の道にいた猫。
崖下
そこから振り返って旧川越街道のほうへ崖沿いを歩いていくと…
行き止まり
路地は旧川越街道の手前で行き止まりになってしまっていた。旧川越街道はこの崖を盛り土して坂道で通したようで、その時に埋め立てられてしまったのだろう。
東上線
下流側にも崖は続いているが、途中は住宅地のなかに紛れ込んでしまい、道がないので追いかけるのが難しい。しかし、東武東上線に突き当たるところには、崖の名残が残されていた。
この写真は2020/6/6撮影。
カモ
石神井川を泳ぐカモ。
この写真は2019/9/14撮影。

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