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善福寺川周辺の水路敷群(善福寺池周辺)
地図その1
OpenStreesMapで善福寺川上流域、西荻北3〜5丁目付近を見る。
この辺りでは善福寺川は東南方向へ流れており、左岸側は宅地開発で旧流路がはっきりしなくなっているものの、右岸側は崖が残っている部分がある。今回は井荻橋から善福寺川水源の善福寺池を目指して進んでいこう。
井荻橋
井荻橋右岸側の下には大きな排水口がある。扁額には「下水管渠」と書かれており、このあたりでは合流式下水道で雨量が多い時には汚水ががそのまま川に流されているということがわかる。
ここからの写真は2023/7/23撮影。
階段
上流へ進み、原橋との間にある道路を右岸方向に見たところ。写真奥に階段があって、その先が坂道になって右岸側の崖が見えている形。
原橋
原橋の右岸側はたもとに大きな排水口がある。
窪地
原橋から右岸の崖を上っていく途中で。上流側の窪地を見たところ。写真奥の崖がさきほどの階段があった場所になる。手前の道路は嵩上げされているようで、窪地に向かっても階段がある。
欅
坂を上がり切ったところにある「坂の上のけやき公園」の巨大な欅(杉並区景観重要樹木第1号に指定されている)。この欅は2008年に伐採される計画が持ち上がったが、周辺住民の運動もあり区の公園として整備されたという。
排水路
その少し北側にある井荻公園は崖上に造られており、崖下には排水路が見える。
原寺分橋
公園北側から善福寺川へ戻り、左岸側から原寺分(はらてらぶ)橋を上流方向に見たところ。左岸側から大きな排水口が出てきている。
湧水
ここには「原寺分橋下の湧水」があり、写真右下の丸い穴が湧水ポイントと思われるが、ほかにも湧き出している場所があるのかもしれない。以前はかなりの湧水量があったというが、写真では丸い穴からはほとんど水が湧いていないように見える。
湧水のしくみ
杉並区が設置したと思われる「湧水のしくみ」を解説した看板があるのだが、かなり痛みが激しい。
耕整橋
耕整橋の北側、井荻小学校が両岸に跨いでいる部分は緑のトンネルになっている。
崖下
井荻小学校の西側には、崖下を通る古い水路ではないかと思われる道が善福寺池まで伸びている。
くねくね
善福寺池に向かう道はくねくねと進んでいく。
水路敷
ここで新町橋を渡って左岸側へ。少し上流に行ったところで北東向きに一区画水路敷が残っている。
幅広
さらに上流、北向きにやたらと幅広い道があるが、ここも崖上の井草八幡宮から流れてきていた水路の跡と思われる。
車止め
井草八幡宮へ向かう坂道は車止めのある水路敷になっていた。
インターロッキング
八幡西橋の下流側にもインターロッキング舗装された水路敷が井草八幡宮から伸びてきている。北側は道路になっているようだ。
井草八幡宮
崖上の井草八幡宮裏手の鳥居。表側には青梅街道と六ヶ村用水が通っており、その向こうは井草川・妙正寺川水系となる。
公園
右岸側に戻ってさきほどの崖下道を進んでいくと、美濃山橋南側で善福寺公園(下の池)に吸い込まれていく。
下流方向
善福寺公園から美濃山橋越しに下流方向を見たところ。本流は写真手前の池から流れ出ているが、左(北)側の排水口からも流れがある。
下の池
善福寺公園に入って下の池を見る。下の池は池の中央に葦が生え、水面は水草が覆っているためほとんど水面が見えない。
遊歩道
南側の道路を回って、遊歩道になったところから公園に入っていく。この辺りでは水面は見えているのだが、そこに木々が映り込んでいるので緑色にしか見えない。
湧水
下の池が北向きに曲がっていくところに、西側から流れてくる湧水が合流している。
善福寺城跡?
ところで、下の池北側の丘陵地は善福寺城伝承地の一つとされている。そもそも、善福寺城というのは史料で確認することができないそうで、その実在も含めはっきりしておらずここを含め城があったとされる場所に発見された遺構もないという。
善福寺周辺は太田道灌が文明9年(1477年)に江古田・沼袋原の戦い(江古田原合戦)で布陣したとする伝承もあるというが、太田道灌の行軍ルートも諸説あるので真相はわからない。
親水公園
伝承地から北へ進む。上の池と下の池の間はやや細くなった谷になっているが、谷の東側に水路が遅野井(おそのい)川親水施設として整備されている。遅野井川は善福寺川の旧称だそうだ。
上の池へ
バスが通る道路を渡って北側の上の池へ。
上の池
上の池はスワンボートなどが貸し出されていて乗り入れることができるが、水面は藻が発生しているのかかなり緑色に見える。
地図その3
上の池周辺の地図
青梅街道沿いを流れる六ヶ村用水から導水路を通して水を取り入れていたという話もあるようだが、それらしい遺構は見当たらなかった。
地図右側にある善福寺は曹洞宗の寺院で元は福寿庵と称していたとされ、善福寺池の名前の由来となった善福寺は池の西側にあった廃寺を指すので位置としては異なる。ただし、寺の縁起には福寿庵も善福寺と名乗っていたとする記載もあるというので、何らかの繋がりがあるのかもしれない。
市杵島神社
上の池北西あたりの離小島に建っている遅野井市杵島神社。元は橋がかかっていたようだが現在は渡ることは出来なさそうだ。
源頼朝が奥州征伐の途中、当地で飲み水を得ようと周辺を掘ったもののなかなか水が出ず、弁財天に祈願したことで水が出たことから建久8年(1197年)に江ノ島弁財天を勧請したのが始まりという。遅野井の地名もなかなか水が出てこなかったことに由来すると言われている。
遅野井の滝
市杵島神社の向かいには、湧水を利用して言い伝えを再現した遅野井の滝が作られている。
水路敷その1
善福寺池は北側にも谷筋があり、そこに3つの水路敷(さらにそこから枝分かれしている水路敷が1つ)が残っている。一番西側の水路敷は途中少し曲がっており、写真奥で枝分かれしている。
枝分かれ
西側の枝分かれを上流側から見たところ。水路敷自体にかなりの高低差がある。
善福寺稲荷神社
その西側には崖上に善福寺稲荷神社が建っている。
上流端
まっすぐ進んだ方の上流端から見たところ。こちらも緩やかだが坂道になっている。
水路敷その2
ひとつ東寄りの水路敷を下流側から見たところ。こちらはまっすぐに北側の道路に向かっており、高低差もほとんどない。
水路敷その3
道路を挟んでもっとも東寄りの水路敷もまっすぐ進んでいる。
北側から
最後に北側から上の池を見たところ。
by Natrium