「明治前期・昭和前期 東京都市地図 2 (東京北部)」(柏書房、1996)より「清瀬・田無 1951→1957) 1:10000」の一部。
現在、ひばりヶ丘の踏切は1号、2号、5号、7号のみが残る。
左下に向かって進んでいる線路は、
旧中島航空金属田無製造所専用線跡。こちらは一部を除き、またの機会に訪問する。
ひばりヶ丘駅北口。再開発されすっかりきれいになっている南口と比べ、北口はバス停が徒歩5〜8分かかる県境を越えた新座市側にあるなど再開発は進んでいない。
このページの写真はいずれも2011/12/10撮影。
駅西側のひばりヶ丘1号踏切。
踏切脇にある住居表示街区案内図。
東久留米市との市境にあるのがひばりヶ丘2号踏切だが、その間に斜めに走っている道が気になる。
昭和22年の空中写真では、ここにも踏切があったようだ。
番号はついていないがこのあたりが踏切跡と思われる。
東久留米市に入ってひばりヶ丘2号踏切へ向かう。
と、この看板。
たしかに狭いひばりヶ丘2号踏切。
ひばりヶ丘3号踏切のあった場所はよくわからない。
自由学園の北側、立野川よりも東側にある擁壁の微妙な切れ目がそれらしくはあるのだが、よくわからない。
ひばりヶ丘4号踏切があった場所は、南側がマンションになってしまい行き止まりの道になっている(実際には写真正面を左折した先が行き止まり)。
現役のひばりヶ丘5号踏切。南側に進むと「
たての緑地」があるがそれはまたのちほど。
クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパンの南側にあるひばりヶ丘6号踏切跡。
ひばりヶ丘7号踏切の移設に伴い廃止されたらしい。
東久留米駅東側のひばりヶ丘7号踏切。
2002年までは、もう少し西側、東久留米駅のホーム脇にあった。
こちらか旧ひばりヶ丘7号踏切の跡。南向き一方通行だったらしい。
さて、そのひばりヶ丘7号踏切だが、新しい方の踏切の池袋方には南側に空き地がある。
これが、現在のひばりヶ丘団地にあった中島航空金属田無製造所へ向かう専用線の廃線跡。
引込線は落合川にぶつかるところを築堤と橋梁で越えていた。
落合川の西側には築堤のあとがそのまま残されている。
ここから先、廃線跡は「たての緑地」として大半が残されている。その探訪は
別の機会にまとめてみたい。