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渋谷1号~中目黒3号踏切
地図その1
OpenStreetMapで渋谷駅周辺を見る。
東急東横線は大正15年(1926年)に東京横浜電鉄(現東急電鉄)が丸子多摩川(現多摩川駅)と神奈川(1950年廃止)の間で開業させた路線を昭和2年(1927年)に渋谷まで延伸したもので、当初から高架駅として建設されたが開業時の改札口は地上にあったそうだ。
長らくJR山手線の東側に並行して頭端式ホームがあり、昭和39年(1964年)には4面4線の堂々としたターミナル駅であった。
平成25年(2013年)に副都心線との直通のため渋谷2号踏切から渋谷駅までの間が地下線に切り替えられ、高架線が撤去された後は遊歩道や商業施設になっている。
今回は渋谷駅をスタートして高架線の跡をたどりながら、廃止された並木橋駅や踏切の跡を祐天寺駅までたどってみる。
なお、参考資料は以下のとおり。
・鉄道ピクトリアル2015/12臨時増刊号「特集・東京急行電鉄」(電気車研究会, 2015)
・同2018/10別冊 アーカイブセレクション40「東京急行電鉄 1970」(電気車研究会, 2018)
・「東急の駅 今昔・昭和の面影」(宮田道一/JTBパブリッシング, 2008)
東急100年史(WEB版)
渋谷駅跡
東急東横線の渋谷駅跡を首都高速3号線北側から見たところ。渋谷駅はもう少し北側までホームがあったが現在は渋谷スクランブルスクエアが建っており、そこから南側のみ旧駅の遺構を生かしたペデストリアンデッキとなっている。当時のホーム上屋だった「かまぼこ屋根」と壁面に連なっていた「目玉壁」の一部が再現されている。
このページの写真は特に記載がなければすべて2026/1/3撮影。
レール
通路に入って代官山駅方向を見たところ。頭上に首都高速、足元には国道246号玉川通りが東西に通る。
写真奥は渋谷ストリームという商業施設になっており、レールを模した(一部には実際にレールが使用されている)モニュメントが床に埋められている。
地下化前
2013/2/2、地下化前の東横線渋谷駅。現在のかまぼこ屋根は上空が見えるが、この当時は透明ではなかったことがわかる。
地下化後
2013/3/16、地下化当日の東横線渋谷駅を改札口から見たところ。賑わっていたホームからはすっかり乗客の姿が消えている。
番号
現在に戻って渋谷ストリーム南側。デッキにレールがあるのはここまで。ところでレールの右側になにやら番号が書かれているが、これは高架線支柱の管理番号を示したもので、さきほどのデッキから始まってこの先延々と支柱のあとに番号が書かれている。
No.25
下に降りて陸橋を見上げたところ。この部分ではかつての高架線支柱がそのままデッキを支えているのがわかる。
渋谷リバーストリート
東横線と並行して流れていた渋谷川の右岸側には鉄道敷を使った遊歩道「渋谷リバーストリート」がつくられている。
渋谷川
金王橋広場北側から渋谷川上流の稲荷橋方向を見る。渋谷川は稲荷橋の下で渋谷駅の地下から出現するが、ここから上流は暗渠化されている。
渋谷駅構内に残る天井川化した渋谷川暗渠の様子は渋谷川周辺の水路敷群(宇田川下流)を参照されたい。
八幡橋
八幡橋南側にもレールを模したモニュメントがあったが、地上にレールが敷かれていたわけではないので少し違和感がある。
37番の支柱は完全に撤去されてしまっており、番号だけ残っている。
切り株?
切り株のように根本だけ残された高架線支柱も結構ある。
並木橋
八幡通りの車道が渋谷川を渡るのが新並木橋で、その手前にあるのが並木橋。東横線の開業時に橋の手前(高架上)に並木橋駅が設置されていたが、昭和20年(1945年)の空襲で駅舎全焼のため休止となり、翌年そのまま廃止された。
並木橋駅
並木橋のたもとにはなんと並木橋駅のホームが残って… ってそんなわけあるかい(苦笑)
戦前のホームは高架上にあったのだし、当時点字ブロックがあるわけもない(点字ブロックが考案されたのは1965年)のであくまで駅ホーム跡を模したモニュメントということだろう。
プレート
新並木橋側の高架線支柱に貼られていた旧並木橋駅の説明プレート。
これによるとなんと高架駅であるにもかかわらず構内踏切が昭和5年(1930年)まで存在したという。
カーブ
新並木橋から代官山駅方向を見る。写真奥で東横線は山手線を越えるために右へカーブしていく。
渋谷ブリッジ
カーブしているところまで行ってみると、「渋谷ブリッジ」という複合施設が建っていた。天井の照明は線路をイメージしているのだろうか。
遊歩道終了
道路を挟んで渋谷ブリッジはもう一棟あるが、ここで遊歩道としては終了となる。
四反道跨線人道橋
東横線は東一丁目交差点の渋谷駅寄り(写真右)で山手線を越えていた。ここでは、左端に見える四反道(したんどう)跨線人道橋を手前の新しい跨線橋に架け替える工事が行われている。
ちなみに若干南側にあった南豊島郡下渋谷村の小字は四反町と書いて「よんたんまち」と読むのだそうだ。
老朽化
旧跨線橋は渋谷区によれば昭和41年(1966年)の架橋で、60年にならんとする跨線橋は渋谷駅側のスロープと階段がすでに解体されているものの、恵比寿駅側から上っていくことはまだ可能だった。それにしても、さすがに老朽化が目立つ。
渋谷車庫
跨線橋から東側にある都営バス渋谷営業所を見たところ。
新跨線橋
旧橋から新しい橋を見る。大きな「SHIBUYA」の文字はライトアップされる予定があるらしい。
高架線跡
北側に高架線跡が見える。
地図その2
OpenStreetMapで代官山駅周辺を見る
地下化された区間を出るところに2ヶ所踏切があったが、地下化に伴って廃止されている(廃止時期は異なる)。
DONUTS
山手線を渡った代官山寄りの旧路盤は商業施設などに利用されている。
新坂橋と渋谷1号
商業施設の先、路盤の西側を並走する三田用水猿楽口分水跡を渡る新坂橋の欄干越しに写真奥の渋谷1号踏切跡(写真左奥に見えるゴムポールの先)を見る。現在は坂道の一部になっているが、踏切があったころはそこだけ平場になっていたらしい。
渋谷1号踏切は2013/3/15に渋谷駅の地下化工事が行われて廃止となった。新坂橋の欄干には「大正十三年」とあり、東京横浜電鉄が開通したときにはすでにここにあったということになる。
代官山駅と渋谷2号
渋谷2号踏切はもともと代官山駅の渋谷方にあり、駅の有効長が短いため一部の列車は中目黒寄りの1〜2両でドアを開かないいわゆる「ドアカット」の取り扱いを行なっていた。
これを解消するため昭和61年(1986年)から駅をいったん渋谷寄りに移設した上で旧駅を改修、平成元年(1989年)に渋谷2号踏切を廃止して現在のようなホームを渋谷寄りに延長した形となった。
地下線出口
渋谷2号踏切跡の上にかかる跨線橋から地下区間を出てくる相鉄20000系急行湘南台行き。
写真奥に見えるトンネル出口の上にある塀の部分が渋谷1号踏切だった場所になる。
地図その3
OpenStreetMapで中目黒駅から祐天寺駅間を見る。
代官山駅と中目黒駅の間には渋谷トンネル(渋谷隧道)があるため踏切はなく、中目黒駅周辺は目黒川と蛇崩川の谷を高架で越えているため踏切はない。
日比谷線
中目黒駅下りホームから渋谷方向を見たところ。東横線は両脇を通って写真奥ある渋谷隧道へ向かうが、中央2線はかつて相互乗り入れを行なっていた東京メトロ日比谷線が使用している。
この場所では平成12年(2000年)3月に中目黒に進入してきた営団地下鉄(現東京メトロ)車の最後尾車両が脱線し、中目黒駅を出発した東武車と衝突して死者5名、負傷者64名を出すという大きな事故があった。
国土交通省の「帝都高速度交通営団日比谷線における列車脱線事故について」によれば、脱線した車両の車軸に静止輪重(レールに垂直にかかる力)のアンバランスがあったことなどが原因として挙げられている。
営団地下鉄では、事故後に台車の総点検や脱線防止ガードの設置、運行制限速度を下げるなどの緊急対策を行い、脱線地点となった緩和曲線の延長を行うなどの事後対策も行なっている。
観音橋
中目黒駅からしばらくは、線路の東側に蛇崩川の暗渠が並走している。現在、線路脇の暗渠は大部分が自転車駐車場として活用されている。
No.100
中目黒から祐天寺へ向かう高架橋にもナンバリングが付いていた。
高架末端
東横線は蛇崩川と分かれ斜面が高架橋と同じ高さになるあたりまでが開通時の高架線ということになる。
写真奥で道路は左に曲がっていて、右側に踏切があってもよさそうな地形ではあるがここに踏切はなかったようだ。
1970年立体化
北側に迂回して道路が南へカーブしていく東横線の脇に出るところ。
このあたりから先は1970年に完成した中目黒・都立大学間立体交差工事によって高架化された区間で、この工事によって合計16ヶ所もの踏切が一気に廃止された。
中目黒1号踏切跡
高架線が高さを稼いでいく途中に中目黒1号踏切の跡がある。
元は線路北側(写真奥)はもう少し左側にある道路に向かってやや斜めに線路を渡っていたようだ。現在は桁下高さの関係で歩行者専用になっている。
自動車用
自動車用に少し祐天寺駅寄りにアンダーパスが造られているが、ここも桁下は3.1mしかなく注意が必要。
中目黒2号踏切跡
西側にある現在中目黒第3架道橋となっているところに中目黒2号踏切があった。ここも桁下が3.1mしかない。
中目黒3号踏切跡
祐天寺駅すぐ北側に中目黒3号踏切があった。ここまで来てようやく桁下が4mを越える。
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