大泉堀とその支流(白子川合流口〜南大泉防災倉庫)
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白子川に注ぐ大泉堀(だいぜんぼり)は、はるか遠く西東京市から流れてくるが、途中何ヶ所か支流を合わせている。
今回は、その中で最も下流、白子川と並走しつつ保谷駅方向へさかのぼる支流をたどっていく。
まずは白子川に大泉堀が合流する場所からスタート。このあたりは遊歩道として綺麗に整備されている。
ここからの写真は2016/7/3撮影。
徐々に細くなっていくが、とりあえず遊歩道を西へ進んで行く。
小泉橋跡が見えてきたところで、手前に南に向かって分岐するのが今回進むルートだ。大泉堀の本流はまっすぐ進んで行くが、その先はまたの機会としよう。
この写真は2016/6/11撮影。
大泉堀から南へ向かって支流をみたところ。
ここからの写真は再び2016/7/3撮影。
練馬区おなじみの「水路敷」ペイントが、消え掛かってはいるがここが水路敷であることを教えてくれる。
交差点の先では、再舗装で半分になってしまった「水路敷」のペイントが。
水路敷そのものは写真奥で東側に曲がっている。
曲がった先は水路敷というより、まったくの生活道路として使われているように見える。道路左側は、あとから拡幅されたようだ。
しばらくまっすぐ進むと、大きな段差の先が南へ曲がっている場所に行き当たる。
しかし、道路との交差点ではやはり「水路敷」のペイントがかすかに残っていた。
正面、塀のところで水路敷は西へ曲がっているが、その手前には東へ向かう脇道があるようだ。
水色のペイントが残る脇道。正面のフェンスは白子川で、このあたりにたくさんあった田んぼの水路が取り残されたように見える。
脇道を通り越して右(西)に曲がった水路敷は、その先の妙福寺前で古くからある通りと合流している。
妙福寺の駐車場前で道路と同流した水路敷は、写真左の「続き」とあるところまで道路左側を並走していたようだ。このあたりだけ不自然に歩道があるのは、もともと開渠があったところなのだろう。
妙福寺は、嘉祥3年(850年)の開創と伝わる古刹で、元は天台宗だったというが元亨(げんこう)2年(1322年)に日蓮宗に改宗して今に至るという。
その妙福寺の南側、写真左のミラーがあるところから、水路敷が西に向かっている。
寺の塀沿いに少し進んだところで、水路敷は南へ転進。
道路側から下流方向を見る。細いながらもしっかり「水路敷」のペイントが描かれている。
道路に突き当たったところで、水路敷はぷっつりとわからなくなる。西に向かう道路がかつての水路だったはずだが、このあたりではそれらしい雰囲気は残っていない。
そのまま西へ進んで行くと、児童公園の先で再び細い水路敷が現れる。
マンションの裏をまっすぐ通り抜けると、水路敷は道路に出たところでクランク状に曲がって、写真矢印の農家横へ進んで行く。
矢印の先は農地の通路として使われていて立ち入るのは難しそうなので、南側の都道233号へ回ってみよう。
表通りにある「しまむら」の脇に水路敷がひょっこりと姿を現わす。
しまむらの向かい側から下流方向を見る。写真右手の中華料理店前から始まる歩道がどうやらかつては水路だったようだ。
そこから安楽亭の前まで都道233号に沿って進んだ跡、水路敷は再び道路北側に移り、コンビニと自動車用品店の間、南大泉バス停横の隙間に進んで行く。
道路北側に渡って下流方向を見る。安楽亭の前まで道幅が広くなっている部分が水路敷だ。
さて振り返って隙間を覗くと、そこには枯れているが開渠が残っていた。その先は民家の敷地に挟まれていて通ることが出来ない。
しかたないので、ぐるっと反対側に回ってみる。そこには、練馬区の南大泉防災倉庫があった。水路はここに向かって進んできていたようだ。
ここからの写真は2015/10/3撮影。
防災倉庫の反対側には、水路敷ペイントのある細い道が続いているが、「この先行き止まり」という大きな看板が行く手を阻む。
とりあえず進んでみたが、たしかにしばらくまっすぐ進んだところが行き止まりだった。今回は、ここが終点ということになる。
最後におまけで、妙福寺そばにあるセブンイレブン脇にある水路敷らしき小道。ここもかつては田んぼの間を流れる水路だったのかもしれない。
この写真は2016/7/10撮影。