大泉堀とその支流(小泉橋〜大泉第四小学校)
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今回のコースを見る。
今回は、大泉堀の本流部分を西へ遡っていく。
まずは、したみち通りにある小泉橋交差点。したみち通りには、ここだけでなく橋の名前が付いた交差点が多いが、いずれも大泉堀に架かっていた橋のこと。
実際の小泉橋は写真正面右に少し行ったところにあったようだ。
ここからの写真は2016/7/16撮影。
その小泉橋跡から白子川方向(下流)を見る。右側の駐車場の向こうには、南に分かれている支流がある。
振り返って上流方向へ。大泉堀の大きな特徴は、ほぼ全線に渡ってこのような蓋暗渠が続いていること。
この先、ひたすらこの蓋暗渠を進んで行く。
蓋をされる前は家々の裏を流れる堀のような川だったのだろう。両側の家とはかなりの高低差がある。
途中、道路に向かって大きな開口部が。左にある清酒のケースは階段の代わりだろうか。
南側には路地から階段が繋がっている。大泉堀は実際行ってみると思いのほか人通りが多く、自転車やジョギングの人も度々見かけるような地元の道として使われているようだ。
しばらく行ったところで、南側に大きく開けた農地と出会う。
農地は大泉堀をまたぐ橋でしたみち通りと繋がっていた。ここは私道のようだが、橋の部分は普通に通行できるようだ。
橋を越えたらまた橋。ここは納屋に渡るために架けたものだろうか。
その先、南側から坂道を下ってきた道路が同流している。
道路の向こうは、若干川らしいくねくね蓋暗渠となる。
練馬区の道界標を発見。ここは練馬区としては道路扱いなのか。区道現況版にはリストアップされていないようだが。
丸山東橋で、大泉堀は左右に分岐している。右の矢印方向にある蓋暗渠が本流、左の矢印方向にある遊歩道は支流のようだ。
次は、いったん左の支流を大泉第六小学校へ向けて進んでみよう。
OpenStreetMapで
支流部分を見る。
丸山東橋から南大泉六丁目を南北に横断して、大泉第六小学校に向かっていく流れだ。
本流が蓋暗渠なのと異なり、支流は遊歩道として整備されている。
途中、右からの道路と合流しつつ、しばらくはまっすぐに進んで行く。
農地を右手に見ながら、遊歩道は西向きに坂を上っていく。
再び上流方向へ。道路の脇にある歩道のような部分が水路敷。
すぐに遊歩道と道路が分かれて、遊歩道だけが直進して行く。このあたり、道路との境界に植え込みが置かれているのだが、微妙に放っておかれているような感じがしないでもない。
そこから先は右側に結構な段差のある崖を抱えて進んで行く。
道路と合流した先で振り返って下流方向。このあたりは開渠だった時代の面影を残しているようにも思える。
上流に向かうとひよどり児童遊園が見えてくる。遊歩道は、児童遊園を右側に回り込んで進んで行く。
児童遊園の北側で、遊歩道はきれいに西へ向かって曲がって行く。
この不自然な曲がり方だが、国土地理院Webサイトで
昭和38年の空中写真を見てもそのままの流れなのがわかる。上の写真のようにここには東西でかなりの高低差があり、昔からこういう地割りだったようだ。
空中写真では、水路は南にある水源らしき屋敷森から流れているように見える。
空中写真で屋敷森になっている方向から、遊歩道の出口を下流方向に見る。遊歩道はここで唐突に終わっているが、もともとここから水路が始まっていたのだろう。
振り返って、屋敷森だった場所はすっかり住宅地になっている。このあたりに水源があったのだろうか。
上の写真の先は突き当たりになっているが、左に回り込んで1ブロック先には大泉第六小学校がある。
写真のあたり、若干高低差があるようで、このあたりが谷頭だったのかもしれない。
さて、今度は本流を大泉第四小学校へ向けて再び蓋暗渠を進んでいこう。
すぐに蓋暗渠は緩やかにカーブして、したみち通りに並行して進む。
緩やかな斜面をもつ竹の子憩いの森の北側を蓋暗渠が行く。
蓋暗渠の方は、標識通り大泉第四小学校の敷地にぶつかるところで行き止まりになっていた。
もともとは、このまま水路敷として続いていたのだろう。
小学校の敷地は通れないので、上流側に回り込んで見た。
写真右側の水色に塗った部分がかつての水路だと思われる。今回のコースはここまで。