昭和34年(1909年)地理調査所発行1:10000「練馬」で今回の流路を見る。
エンガ掘の本流から小竹向原駅北側で別れた流れを、環状七号線に向かって遡っていく。
このあたりは環七を挟んで小茂根(こもね)という地名になっているが、この地名は昭和40年(1965年)の住居表示実施のときに小山町、茂呂町、根ノ上町の頭文字を合成して作られたそうだ。北西側の茂呂には先石器時代の、南側の根ノ上には弥生時代の遺跡があるという。
エンガ掘本流から分岐する場所がスタート地点。ここから西に向かって進んでいく。
このページの写真は特に記載のない限り2017/5/28撮影。
しばらくは水路敷らしい細道が続く。
裏道になっているためか、ゴミ捨てが多いようだ。この日は見た範囲で人為的なゴミは落ちていなかったので、片付けている人たちがいるのかもしれない。
水路敷はビルにぶつかって北向きに直角で曲がるが。
南向きにも枝分かれした水路敷がある。
若干上ったあと、南側の水路敷は少しだけ東に曲がって終わっている。
出口側からみたところ。
さて、さきほどの分岐まで戻って北へ進む。
写真左側から出て来た水路敷は、すぐに再び西へ向かっていく。道路と合流した先は、川跡らしいクネクネ。
写真左側の擁壁がいかにも水路敷の跡らしい。
その先で水路敷は小竹向原駅から石神井川へ北上する台橋通りと交差する。
そこから先は、見事な街路樹の並木が水路の跡だ。
上の写真の交差点を右へ少し登ったところに根ノ上遺跡がある。写真は弥生時代の環濠集落が発掘された跡を復元したもの。
この写真は2017/6/24撮影。
街路樹のたもとには標識があるのだが、読めない。近づいて見ると街路樹がイチョウとアベリアであることの説明だった。
やたらと背の高いイチョウ並木が続く。昭和38年の空中写真を見ると、ちょうど道路中央にある並木部分が開渠になっていたらしい。
途中、小茂根一丁目児童遊園の北側から水路跡を見る。水路敷が微妙に谷間になっているのがわかる。