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和泉川の水路敷群(逆川と代田橋の水路敷)
地図その1
OpenStreetMapで和泉川上流部と玉川上水を見る。
今回は二つの水道道路に挟まれた甲州街道沿いの逆川跡と、和泉川に流れ込む南側と西側の水路跡を見ていく。
なお、大原交差点から環七を横断する形で公図上地番がついていない空間が伸びており古くはここに水路が流れていた可能性があるが現在は宅地などになっており経路をたどることは難しい。
逆川
笹塚駅から玉川上水を上流方向へ進んで線路南側の水道道路が上水に出てくる二号橋の北側に、逆川の跡地と思われる水路敷が残っている。
逆川はここから甲州街道へ出て街道沿いに西に向かって和泉川とは逆に進み、玉川上水から分水していた上流側の水路につながっていた。写真の付近にはかつて市寸島神社(弁天神社)を祀る弁天池があったが、「渋谷の湧水池」(斎藤政雄、渋谷区教育委員会、1996)によれば近くの農民が水不足を解消するためにこっそり掘った人工の池で、和泉川に落ちる用水の水量を増やすことを図ったのだという。 この写真は2023/12/13撮影。
甲州街道
京王線の北側には水路の跡は残っていない。写真のあたりで甲州街道の南側を流れて行っていたはずだが、道路拡張もあって道路脇にも痕跡は残っていない。
ここからの写真は2024/1/8撮影。
御嶽神社
ここでいったん甲州街道北側へ。逆川が甲州街道に出てくるあたりの北側、街道から少し路地を入ったところに御嶽神社がある。
庚申塔
そこからすぐ西側の路地には、元禄13年(1700年)造立の庚申塔を祀る祠がある。
青面金剛
祠の中には青面金剛庚申塔が祀られていた。
合流
一方、甲州街道南側の逆川はガス測定所の向こうで和泉川に向かう水路と合流している。
南側
和泉川の上流端から水道道路を渡って南側を見たところ。「渋谷の湧水池」などによれば水道道路で嵩上げされる前は、写真奥から水路が和泉川に向かって流れていていたという。
ここからの写真は2023/8/2撮影。
都有地
坂を降りたところで東側にある水道道路下の都有地。和泉川に流れ込む水路はもう一つ、写真奥の家のあたりにあったようだがそちらは宅地化されてしまいこのあたりでは空中写真を見ても痕跡はないようだ。
水路敷
一方、西側から道路に合流してくる水路敷がある。こちらはあとで見ていくとして、とりあえず南へ進んでいこう。
蓋暗渠
南へ進んで交差点に出たところで、道路の西側に出てくる蓋暗渠を発見。どうやら通ることができそうだ。
蓋
そこそこしっかりとした幅の蓋暗渠が上流へ続いている。この蓋暗渠が渋谷区(左、東側)と杉並区(右、西側)の区境になっていた。
甲州街道へ
進んでいくとすぐに甲州街道が見えてきた。写真左側の塀が切れるところに、東側の水路への分岐点があったようだが。
東側
さきほどの交差点まで戻ってひとつ東側の道を進むと、道路東側にそこそこ幅の広い水路敷が残っている。写真奥で北向きに曲がったあと行き止まりになっているようで、下流になる北側の道路からは水路敷は見えない。
この写真は2024/1/8撮影。
水路敷?
振り返って西側を見たところ。駐車場奥のトタン塀があるところか、その先のアパート手前の空間が水路敷の跡ではないかと思われるが、いずれにせよ民有地に取り込まれてしまっていて通ることはできない。
この写真は2023/8/16撮影。
南側
甲州街道の南側に渡って、逆川との合流点から南を見たところ。京王線に向かって水路敷が残っている。
この写真は2023/8/2撮影。
蓋行き止まり
京王線北側で蓋暗渠が復活するが、写真奥で行き止まりになっている。
この写真は2024/1/8撮影。
道路と蓋
水路敷は線路の南側でいったん民有地になって消えているが、線路南側の水道道路に行ってみるとなんと道路上に蓋暗渠が残っている。
ここからの写真は2022/1/29撮影。
暗渠道
水道道路から南側を見たところ。玉川上水から一直線に蓋暗渠が伸びてきており、道路上の蓋暗渠はその延長線上にある。
橋
途中、道路を渡る橋のような部分を通るが水路の上はコンクリートブロックでガードされており、南側は自転車とバイクが放置されていて歩けない。
アスファルト
バイクの先でインターロッキング舗装が終わってアスファルト舗装となり、徐々に道幅をへらしつつ玉川上水へ向かう。写真奥、右側の擁壁から排水管が水路敷に向かって突き出しているあたり、かつては開渠だった名残なのかもしれない。
玉川上水緑道
水路敷の上流端は玉川上水緑道に突き当たったところにある。かつてはこの辺りから分水していたのかもしれない。
地図その2
北側の水道道路沿いに続く水路敷を地図で見る。
水道道路南側でさきほどの水路跡の道路に西から合流している水路敷は、環状7号線を越えて東京都水道局和泉水圧調整所の手前まで遡っていくことができる。
凸凹
環七へ向かう水路敷は狭くなったり広くなったりしながら進んでいく。
ここからの写真は2023/8/12撮影。
車止め
黄緑色の車止めの先にも水路敷が続いている。
突き当たり
進んでいくと水路敷は環七の手前で突き当たりになる。
水道道路へ
元の谷はそのまままっすぐ進んでいたようだが、水路敷はそこでいったん水道道路に向かって右折し、水道道路脇を階段で泉南交差点に向かって上っていく。
あぶない!!
環七の泉南交差点を渡るには清掃事務所北側の歩道橋まで大回りを余儀なくされる。渡って水道道路北側の代田橋バス停脇に、「あぶない!!」と書かれた標識が立っている開渠を発見。これは和泉川の堺橋へ向かっていた北側の用水路跡かもしれない。開渠として確認できるのはこの部分だけとなっている。
路地
環七の西側で水道道路は細い路地になってしまう。
マンホール
その南側に、マンホールが連なる水路敷が再び出現する。
まだマンホール
ひたすらマンホールが並ぶ水路敷を進んでいく。
塀
徐々にマンホールの数が減ってきた。
車止め
少し道幅が広がったところで沖縄タウン和泉明店街と交差する。和泉明店街そのものは昭和36年(1961年)の設立という古い商店街だが、近辺に沖縄ゆかりの人物や沖縄出身者が多かったことから街おこしとして平成17年(2005年)に始まった取り組みだそうだ。
沖縄タウン
甲州街道側には沖縄風の朱色に塗られたゲートがある。
この写真は2022/1/29撮影。
再びマンホール
沖縄タウンの西側は再びマンホール通りとなる。
ここからの写真は2023/8/12撮影。
電柱をガード
なぜか電柱をガードするように両脇に車止めが配置されている。
もじゃ
両側から蔦や草むらが攻めてきている。人通りがなければすぐに薮になってしまいそうだ。南側の草むらの向こうは甲州街道で、街道の方が一段高くなっている。
自転車?
もしかして草むらに自転車が埋もれている?
リフォーム店
交差点の先は道路として利用されているようだ。
狭い
看板に書かれているように車で通り抜けるにはやや狭くなってきた。
突き当たり
道路は正面で突き当たりになる。
谷頭
谷頭は左側にある路地の奥の方にあるようだ。このあたりは「杉並の川と端」(杉並区立郷土博物館、2009)P50で鶴が窪という地名であったとされているのだが、「東京暗渠学」などの著者である本田創氏の考察によればすぐ近くにある日大鶴ヶ丘高校の校名由来となった下馬から野沢あたりの鶴ヶ久保(高校が元あった場所の谷戸、世田谷区野沢二丁目に鶴ヶ久保公園がある)を誤認したものという。
今昔マップで見ると大原交差点の西側あたりに萩久保と谷戸という地名が見えるが、谷頭あたりには特に名前は見当たらない。
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