Natrium.jp
神田川周辺の水路敷群(方南町の支流)
地図
OpenStreetMapで神田川の方南町近辺を見る。
神田川両岸にある旧流路跡と、そこから中野区と杉並区の区界に沿って支流が流れているので見ていこう。ただし、支流の大半は住宅地の中にあって道路に面していないので、下流部分を直接見ることは難しい。
南部公園
神田川左岸、方南町駅からGoogleMapに国府道と書かれた坂道を下っていったところで神田橋に向かって南に曲がってすぐのところにある南部公園。
写真奥(西側)に空中写真で見ると南へ向かう水路の跡のような蛇行する境界線がある。国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の東京府豐多摩郡中野町全圖 番地界入を見ると、これは善福寺川との合流点あたりに流れて行く神田川(旧神田上水)の西側旧流路の上流部分と思われる。
(ここから下流方向は区画整理や公園化などで流路が失われている)
ここからの写真は2025/4/27撮影。
水路跡?
公園西側の境界線付近には水路跡と思われるフェンスで囲まれた空間が残る。
神田橋
神田橋から左岸旧流路方向を見たところ。橋の西側ではマンションの建設工事が行われており水路跡は見えないが、写真奥に見える崖下あたりを通っていたようだ。
向田橋西
ひとつ上流にある向田橋から西へ進んだところで道路が突き当たりになっているが、そこから南に向かう道路は地籍図で水路敷として描かれている。
(正確には丁字路のやや北にある左に曲がるところまでが水路敷)
擁壁
南へ進んでいくと西側の崖が迫ってきて背の高い擁壁になるが、その先で道路は神田川の方へ曲がっている。
実は左に曲がって行く道は神田川本流の旧流路跡で、このあたりで左岸側に少し蛇行していた跡だった。
向田橋南
向田橋まで戻って蛇行跡を見ていこう。向田橋から左岸上流方向を見ると写真右の住宅群が川からすこし離れた位置に建っているのが見えるが、川沿いの公園になっている部分が蛇行跡だった。
公園
蛇行跡の公園。写真奥でいったん現在の神田川が流れる位置に戻る。
蛇行跡
そこからすぐ上流側でさきほどの擁壁下へ向かう道となっている。擁壁左側からまた神田川に戻ってくるのだが、そのあたりでは水路跡は失われている。
崖
その先でもわずかに左岸側に蛇行していたところがあるのだが、現在は自然崖になっている。河川敷の道路あたりまでが蛇行跡ということか。
南中野中
続いて右岸側の旧流路跡を見ていこう。こちらも神田橋の東側にある南中野中学校から下流(北=写真左)側では水路跡は残っていない。
出っ張り
南中野中学校から南へ向かう。交差点に左から家屋が張り出してきているが、このあたりでは水路はやや蛇行していたのかもしれない。
幅
その先でやたらと幅の広い交差点に出た。写真右を奥へ進む道路が水路敷で、ここから下流で神田川に合流するところまでは道路として使用されているものの、地籍図でも水路敷として描かれている。
出口
南へ向かっていた旧流路が右(西)に曲がるところで、写真右奥に見える矢印のところに水路敷の出口が見える。
ここからの写真は2022/8/6撮影。
砂利舗装
道路から南に向かって伸びる水路敷。手前はきれいに砂利舗装されているが、奥は開渠がそのまま残っているように見える。
開渠
奥の方を望遠で撮影してみる。水面は見えないが、梯子式開渠がしっかり残っているのが見える。残念ながら道路がなく中に入っていくことは出来ないので、ここから東側の道路を大きく回り込んでいくしかない。
塀
しばらく東側の道路を進んだところで、駐車場の奥、塀の手前に水路敷が見えた。
ブロック
さきほどの駐車場から水路敷は東へ。最近建て替えられたマンションの裏手を進んでいき、東側の駐車場に出てくる。写真奥の自転車の間にみえる真新しいブロック塀の向こうには、水路敷が残っているのだが直接見ることは難しい。
南へ
駐車場から南へ。ここから区界は道路に沿っており、おそらくは水路も道路わきにあったのではないかと思われる。
東へ
前の写真奥で道路は突き当りになっており、区界はそこから東へ向かう。写真奥右側は、マンションと都営アパート敷地にそって歩道があり、おそらくはそこが水路敷だったのではないだろうか。
さらに南へ
方南一丁目第2アパートに沿って区界と歩道が南へ回り込んでいく。
上流端?
アパートの敷地が終わるところで歩道も唐突に終了。区界はここから斜め右(西)へ伸びており、正面は上り坂になっていくので、アパートの敷地北端あたりが上流端だったのではなかろうか。
西へ
さきほどの支流出口まで戻って西へ。
南へ
すぐに南側に向かう道路がいくつかあるが、二つ目の道路には地籍図上に水路敷が描かれている。
ここからの写真は2025/4/27撮影。
止まれ
止まれ標識のある交差点を右折すると…
千手観音堂
住宅の軒下に真っ赤に塗られ「千手観音堂」と書かれた祠があった。
上流
再び川沿いの水路敷に戻って上流へ進む。
ここからの写真は2022/8/6撮影。
斜め
前の写真左から斜めに合流してくる道路も地籍図で水路敷として描かれているが、環状七号線の西側までつながっているので後で改めて見にいこう。
神田川
川沿いの水路敷はその先で神田川から分岐している場所に出る。
谷筋
分岐点の手前、南側から出てくる道路は地籍図では水路敷で、すぐに左に曲がっているが谷筋としてはまっすぐ南に向かっている。
水路敷?
前の写真奥に見えるマンション付近では水路跡は失われているが、南に回って住宅地の隙間に残る水路跡を見つけた。
ここからの写真は2025/10/14撮影。
袋小路
南側は袋小路になっているのだが、その先端部分に南へ向かう水路敷が残る。
未舗装
さらに大きく南側に回り込んでみると、はっきりと水路の跡が残っていた。北側はフェンスで閉塞している。
上流端
そこから上流側は道路として利用されているが、じょじょに西向きにカーブしていき環状七号線に出るあたりが谷頭だったものと思われる。
くねくね
戻って一つ前の南へ向かう水路敷を上流へ向かう。くねくねと南へ進んでいく。
ここからの写真は2022/8/6撮影。
方南図書館
方南図書館の裏に突き当たったところで、車止めのある道路を西へ。
方南中央公園
このあたりだが、地籍図を見ると図書館に突き当たる水路敷は西へ向かう水路敷とつながっておらず、そちらは向かい側にある方南中央公園の周り(写真奥の住宅地との境界付近)を流れていたらしい。
この写真は2025/4/27撮影。
方南小学校
水路敷は写真奥の方南小学校に突き当たっているが、元の水路は校舎の下を通っていたのが地籍図からわかる。
この写真は2022/8/6撮影。
方南緑地
方南小学校に突き当たったところから右(北)にはマンション脇を通る方南緑地がある。地籍図などでは特に痕跡はないのだが、神田川寄りには地籍図上の水路敷が一部残っている。
ここからの写真は2025/4/27撮影。
排水口
方南緑地が神田川に出てくるところを見る。
向方南遺跡
戻って小学校に突き当たる手前、左(南)側の方南児童館壁面には向方南遺跡の看板がかかっている。神田川南寄りの水路敷に沿って、北側の低地(小学校)と南側の台地(児童館)に縄文時代後期の土器片や装飾品などが出土しており、住居跡が見当たらないことから土器捨て場か、キャンプの跡だったのではと推定されている。
ここからの写真は2024/1/8撮影。
細道
小学校の入口脇、南に向かって細道がある。全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)を見ると、水路はこちらに付け替えられていたようだ。
右
水路跡は小学校の南側を通っている。
行き止まり
小学校の裏門前を渡ってさらに西へ向かうとフェンスで行き止まりとなる。
水路跡そのものはもう少し西側まで続いており、そこに南から合流してくる谷筋があるが水路敷としては残っていない。
谷頭?
環状七号線の西側、合流側の水路敷の先を南西向きに進んでいくと専修大学附属高校(写真右奥)あたりまで薄っすら谷間が続いていた。このあたりが古い谷頭と思われるが、水路としての明確な流れはなかったように見える。
ここからの写真は2025/10/14撮影。
方南歩道橋
方南小学校の西側に回って行くと、支流が環七を渡る方南歩道橋に出る。歩道橋はかつての水路跡を利用して造られている。
環七西側
方南歩道橋を渡って西側の水路跡上流方向を見る。
神田川
水路跡はすぐに神田川に出る。ここで神田川本流と南側の支流が分かれていた。
脇道
前の写真右端、神田川に向かう車止めのある細道があった。これも水路敷だろうか。
神田川取水施設
神田川に出て上流方向を見る。対岸には環状七号線脇にある神田川取水施設の大きな取水口が見える。
by Natrium