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神田川周辺の水路敷群(おとめ山公園の谷)
地図
OpenStreetMapでおとめ山周辺の地図を見る。
おとめ山は目白通りと新目白通りの間に挟まれた崖地を指す地名のようで、実は乙女山ではなく御留山。江戸時代に徳川将軍家の御狩場として立ち入り禁止とされていたことに由来するという。
現在では神田川との合流点は分からなくなっているが、新目白通りから「おとめ山公園」を中心とする谷筋をたどってみよう。
高田馬場住宅
妙正寺川の地下水路がある新目白通りの北側には、高田馬場住宅という大型マンションが建っている。
このページの写真は2021/12/25撮影。
中央理美容専門学校
高田馬場住宅の西側にある中央理美容専門学校の南隣にある駐車場を見ると、写真奥(西)の方が谷筋になっているのがわかる。古くはそのあたりをおとめ山から流れてきた水が落ちていたのだろう。
おとめ山公園
おとめ山の崖沿いに作られた「おとめ山公園」。谷筋に沿って公園が広がっているので、東側から順番に見ていこう。
池
入口脇にある小さな池には名前が付けられていないようだ。
小川
公園内におそらく人工的に造られた小川が遊歩道の下をくぐっていく。谷筋とはいえ、結構な斜度のある斜面になっているので、元はそれなりに水量もあったのだろう。
弁天池
遊歩道を上っていくと、途中に弁天池と名付けられた比較的大きな池がある。谷筋は正面と左右の三方向から合流しているのだが、右側は公園の外からきていてたどれないので、まずは写真奥の広場へ向ってみよう。
立入禁止
立入禁止の黄色いテープが無粋で残念だが、公園東端に谷筋があり、それにそって小川が造られている。。
谷筋
小川は途中で土に埋もれてしまうが、その上流では広場が自然に削られたらしい窪みが崖上まで続いている。
看板
おとめ山の谷戸地形を説明する看板があった。おとめ山の谷筋の他に、山手線に沿って大きな谷筋があるのがわかる。そういえば目白駅のホームは地上よりも低い場所にあるが、自然の地形も活かして造られているということか。
斜面を上りきったところにあるマンションでいったん谷筋が終わっているように見えるが、看板に描かれているように実はまだ西に向かって上流部が残っている。
西へ曲がる
さきほどのマンションの北側まで回り込んで、道路からさらに北を見たところ。手前左側のマンションは谷にあり、写真奥のマンションは山側にある。写真奥の方で谷筋は西側から大きく曲がってきている。
段差
さらに北側の道路へ。道路が山側にあり、マンションが谷側にあるのがわかる。このまま谷筋は西へ伸びている。
中村彝アトリエ記念館
途中の山側にある中村彝アトリエ記念館。中村彝(つね)は、大正時代の洋画家でここにアトリエを建てて関東大震災の翌年、大正13年に亡くなるまで制作を続けていたという。
谷頭
インターロッキング舗装された道路は左右にくねりながら写真奥で突き当りとなっている。ちょうどそのあたりが谷頭にあたるところだろう。
谷
谷筋の南側に回り込んでみる。写真奥の住宅は谷筋に建っており、手前とかなり高低差があるのがわかる。
谷底
下流側に谷底に下りる階段があった。
階段
谷底から北側の道に向かって上る階段もある。
猫
駐車場に寝そべる猫を眺めながら、さきほどおとめ山公園に戻っていこう。
湧水
弁天池北側にある広場の西端には、湧水が出ていると思われる湿地があった。
西側
弁天池西側にも水路がある。道路(おとめ山通り)を挟んで西側にある公園の敷地から流れてきているようだ。
水路
西側の公園敷地では、遊歩道の脇に水が流れている。
中の池
上流に進んでいくと、「中の池」に出る。右側の矢印方向には林の間を抜けて崖上に行く「林間デッキ」があり、矢印付近は谷になっているが水は流れていない。左の矢印方向にはまだ上流に向かって池が続いている。
上の池
上流に続いている「上の池」。上流端はもう少し先にあるようだ。
上流端へ
上の池のさらに上流、上流端に向かって水路が続く。
湧水
写真奥の岩があるあたりに、東京の名湧水57選にも選ばれた「おとめ山公園の湧水」がある。現在でも水路に水を供給している現役の湧水だそうだ。
湧いてない
ところが、残念ながらこの日は水は湧き出していなかった。
東山稲荷神社
おとめ山公園西側の谷筋の南に張り出した崖上にある東山稲荷神社(東山藤稲荷神社とも)。延長5年(927年)創建と伝わる古い神社で、清和源氏の祖・源経基が勘定したという由緒を持つ。
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