神田川周辺の水路敷群(むつみ橋〜高砂橋)
OpenStreetMapで
むつみ橋から池袋橋を見る。
今回は左岸側の水路跡を進んでみる。
神田川に架かる「むつみ橋」の少し下流側、左岸側に向かっていく路地は嵩上げされているが水路の跡と思われる。
ここからの写真は2024/9/15撮影。
河川敷側に車止めがないのが気になっていたが、路地は進んでいくと自動車が通れない道幅になるので車止めがなくても問題はないのだろう。
東西に走る道路の手前で水路敷は直角に曲がり、西側で道路を渡っている。写真奥には道路の反対側に車止めが見える。
道路を渡って北側へ。ここからは明らかに水路敷であることがわかる。
不思議な位置関係の車止めだが、写真右側に自動車が通れる道路が接続しており、車庫に入る車があるために車止めがずらされているらしい。
次の車止めはなぜか横向きに設置されている。古地図での水路は写真奥の突き当たり(道路は右に曲がる)の向こうからまっすぐ流れてきていたが、現在は私有地になっていて水路跡としては失われている。
突き当たりを右に曲がって北向きに見たところ。写真奥で住宅の土台に高低差があり、その手前に水路が西からながれてきていたようだがそこも水路跡は失われている。
いったん神田川に戻って上流へ。八幡(はちまん)橋の左岸側に現役の大きな排水口があるが、八幡橋南側の藤和緑地から北へ移ってくる旧神田川流路と左岸側にあった支流(現在は河川敷)の合流点にあたる。
ここからの写真は2024/9/23撮影。
八幡橋の上流側には、左岸の支流跡が一部残っている。
藤和橋から左岸方向を見たところ。道路に沿って元は水路があったように地図には描かれているが、
梢橋と鎌倉橋の間には、左岸側に本流の蛇行跡が残っていた。
藤和橋と梢橋の間、北側道路に写真手前あたりまで水路が並走していた。水路はここから写真右側(写真中央を右に行く道路より手前)に北向きに流れていたが、宅地化されていて痕跡は残っていない。
鎌倉橋の上流側、神田川左岸にはみ出している塚山公園の部分も本流の蛇行跡。
ここからの写真は2024/9/26撮影。
浜田山一丁目交差点の西側、上流方向へ。道路の線形が妙にギザギザしているのも水路跡だったためだろうか。
その先には、神田川北側斜面に広がる柏の宮公園がある。柏の宮公園は2004年に旧日本興業銀行グラウンド跡地にできた比較的新しい公園で、地元区民が「柏の宮公園憲章」を制定して区とともに管理しているそうだ。
公園内にある日本庭園と茶室「林丘亭(りんきゅうてい)」。新宿区矢来町にあった若狭小浜藩下屋敷の一部が旧日本興業銀行矢来寮となった縁で当地に移設されたものだという。茶室は現在でも茶会に利用できるそうだ(要予約)。
ここからの写真は2024/10/2撮影。
公園西側の坂道途中にある柏の宮稲荷神社。元は上高井戸村の横倉家にあった邸内社で、柏の宮という名前はもともとは八幡橋南側にある下高井戸八幡神社の別名であったという。
柏の宮公園西側には自然林を残した三井の森公園がある。名前から分かるようにこの一帯は三井グループの所有地で三井グラウンドがあったが、公園部分は自然のまま残されていたものを公園として杉並区が管理している。園内には水路を模した枯れた堀があるのだが、水路は道路の方を通っていたらしい。
公園内にある枯れ掘と井戸。この井戸、「この水はのめません」という注意書きが井戸にかかっている札の裏側にこっそり書かれているので注意が必要だ。
三井の森公園下の道路をくねくねと曲がりながら進んでいく。左奥に見えてきたのは高井戸駅北側にある杉並清掃工場の煙突だ。
三井の森を通り過ぎて上流へ進むと、道路が左右に分かれるところで水路敷が直進している。
水路敷を進んでいくと池袋橋から来た道路に突き当たる。ここに道路沿いを池袋橋から流れてきた水路と、写真奥から流れてきた水路が合流していたが、写真奥の方は杉並区立こども発達センターの敷地となっていて通ることはできない。
合流点から池袋橋方向を見たところ。道路北側、こども発達センター側を水路が流れていたと思われる。
池袋橋から左岸の水路跡方向を見たところ。橋のたもとに大きな排水口があるが枯れているようだ。豊島区の池袋と同様に低湿地を意味する地名が由来だそうだ。
東京都立図書館TOKYOアーカイブ所蔵の文政3年(1820年)出版「
武蔵名勝図会 多磨郡之巻」に池袋の記述があり、上高井戸の小名で付近には大蛇が棲む大きな沼があったと書かれている。右岸側にある日本郵政高井戸レクリエーションセンターあたりが沼だったのかもしれない。
一方、こども発達センターの東側境界には塀とフェンスの間に水路敷と思われる隙間が残っていた。
水路敷は浜田山5号踏切跡の西側で井の頭線をくぐっている。写真は井の頭線を北側から見たところ。
東京ゴルフ専門学校下の道路が水路跡。水路敷は右側の歩道と思われる。
その先で左に曲がって杉並清掃工場の方へ向かう。歩道はなくなっているが、幅の広い道路は水路敷があったことを物語っている。
浜田山6号踏切の北側で杉並清掃工場の敷地に突き当たる。水路は清掃工場の敷地内、やや北側を流れていたようだ。
清掃工場西側にある高井戸地域区民センター。写真左から右に向かって建物が階段上に作られているが、そのあたりに水路があった。区民センターの敷地は嵩上げされているため、水路の痕跡はない。
区民センター西側の階段を降りて環状八号線方向を見たところ。区民センターから伸びる袋小路が水路敷で、そのまま環八を超えて高井戸小学校の崖下に続いている。
環八を渡って高井戸小学校の崖下。道路北側(右)の歩道部分が水路敷。
途中のクランクの先にも歩道があるが、水路敷はここで道路を渡っていたので上流側は道路南側(左)に流れていた。
その先、工事現場の間に車止めのある水路敷が見える。
工事現場の間に水路敷は残されているが、道路の方は途中で廃止されてしまっている。
その先にも南北に通る道路があったようだが、廃止され車止めだけが取り残されていた。
工事現場の西側にも水路敷は遊歩道として続いている。
途中、都営上高井戸アパート遊園の前から北向きに小道がある。
遊歩道は高井戸わんぱく公園の西側で道路に突き当たる。
道路には杉並区でお馴染みのワニの止まれ標識が大きく描かれていた。
水路敷は公園の入口を回り込むようにUターンして南側の神田川、井の頭線方向から流れてきている。
一方Uターンの途中で来たから別の支流が合流してきている。桐の木公園の脇を遊歩道が進んでいくので、こちらを先に見ていこう。
北向きの遊歩道向かい側にはライオンの止まれ標識が描かれていた。
遊歩道は都営高井戸西二丁目アパートの前で終わっており、その先は道路右側の側溝として流れているようだ。
農地と道路の間にある側溝。手前側には柵もなく気をつけないと転落しそうだ。
側溝は写真奥で道路が左に曲がるところで終わっていて、その先の農地には水路跡はない。谷筋はこの先富士見ヶ丘通りの方向に続いているようだが、水路敷としてはここまでということになる。
水路敷の遊歩道は井の頭線にぶつかって行き止まりとなっている。
井の頭線の高井戸1号踏切を渡って東側の水路敷を見たところ。線路向こうに遊歩道があるが、手前側は微妙な感じ。
振り返って上流側。写真左側のあかね橋公園の向かい側、道路右側に水路があったのではないかと思われる。
神田川に架かる「あかね橋」手前で、道路(左)と水路敷(右)が分かれている。
水路敷上流端は高砂橋左岸にあった。このあたり神田川はもともとやや南側に蛇行しており、現在の本流になっている部分も高砂橋の上流側、富士見ヶ丘駅南の月見橋までは支流の水路だった。
そういえば、中野区内を流れる神田川にも高砂橋があったような…
(睦橋、月見橋も2つある。神田橋、柳橋に至っては3つあるらしい)