神田川周辺の水路敷群(戸三小通り)
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現在戸塚町一丁目、高田馬場一~四丁目、西早稲田一~三丁目となっている広い範囲の旧地名が戸塚町で、地図左にある戸塚第三小学校があることから、神田川の旧流路跡を利用した道路が戸三小通りと名付けられている。
神田川左岸、山手線西側の行き止まり道は途中から古地図で見られる神田川の蛇行跡が道路になっている。
このページの写真は2022/7/17撮影。
道路は緩やかに南へカーブしていき、神田川にぶつかって行き止まりとなっている。
同じく左岸側のやや上流。東京富士大学五号館と六号館の間に食い込んでいく住宅地の道路も、古地図では旧流路。
代わって神田川右岸、南へ向かう戸三小通りの入り口から戸三小通りを眺めたところ。写真左側は高田馬場駅方向に向かって崖地になっている。
左の坂道を見てみる。坂の上を走る都道25号との間には、かなりの高低差があることがわかる。
右の戸三小通りは、住宅と商店が混在する細い道になっている。
南側から道路に崖が近づいてきた。駐車場は崖を掘って造られているが、隣のアパートは斜面をかさ上げして作られている。
建物が傾いて立っているわけではなく、道路が傾いている。左の道は崖上に続いており、右が戸三小通り。
ところで、写真右に路地があるのだが、古地図でも水路の存在が確認できないものの、いかにも水路跡のような蛇行した細道があるので、一度下流側に戻って確認してみたい。
神田川右岸にもある東京富士大学の裏、西に向かって緩やかなS字カーブが見られる。
隙間の反対側に渡った先も、今度は南へ向かうS字カーブになっている。
道路は西へ向きを変え、緩やかなカーブを描きながら進んでいく。
さらに先へ進むと、突き当たって南向きに道筋が変わる。その先は大きな駐車場の脇を抜けていく。
駐車場の間をまたもやS字カーブがあり、その先でさきほどのY字路脇に合流している。
写真右側の駐車場、北側には空中写真でもう一本別の水路敷が残っているのがわかるのだが、私有地に囲まれているので地上からアプローチすることは難しい。そちらの水路敷は古地図で確認できる神田川の旧流路であるらしい。
戸三小通りに戻って進んでいこう。Y字路の先で通りはいったん左にカーブ。
そして右カーブ。写真右側のセブンイレブンの裏には、さきほどの駐車場北側にあった水路敷の続きがあるのだが、私有地の境界線が水路跡の形になっているものの水路敷は残っていない。
しばらくカーブを進んでいくと、右(東)側に通りの名前となった戸塚第三小学校が見えてくる。
大正15年(1926年)開校というから、もうすぐ100周年を迎えるわけだ。
戸塚第三小学校の前では北に向かって進んでいた戸三小通りは、神田川と妙正寺川がかつて合流していたあたりで一気にUターンすることになる。
途中、崖際に大きな馬頭観音文字塔があった(木立の陰になっている部分)。戦災で破壊されたものを昭和36年(1961年)に再建したという。
馬頭観音の先でいったん西向きとなった戸三小通りは、その先で再び南へ向きを変える。
久保前橋の直前で戸三小通りは神田川のすぐそばまで近づく。右岸側の旧地名は戸塚村久保田というので、そこから橋名が名付けられているらしい。
橋の向かい側には大正15年(1926年)に橋が新設されたことを記念する碑が残っている。久保前橋の左岸側は、落合水処理センターの上に作られた人工台地に落合中央公園がある。
戸三小通りは小滝橋(おたきばし)交差点で早稲田通りにぶつかって終わりとなる。元々水路は写真奥の神田川から直進してきていたようだが、現在の通りは小滝橋交差点に向かって曲がっている。
小滝橋のたもとにある都営バス小滝橋営業所。大正8年(1919年)に創業したダット乗合自動車(いすゞ自動車と日産自動車の前進のひとつとなった改進社の子会社)をルーツに持つ。向かい側には関東バスの本社もある。