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烏山川周辺の水路敷群(細谷戸川)
地図
OpenStreetMapで細谷戸(ほそやと)川とその支流を見る。
細谷戸川はかつての弦巻村字細谷戸(明治22年に世田谷村に編入、現在の桜三丁目)の谷から始まって途中北側からの支流と合流し豪徳寺南にある城向橋で烏山川に注ぐ支流で、「世田谷の河川と用水」(東京都世田谷区教育委員会, 1977)によれば品川用水の分水とつながっていた可能性があるという。ただし川の名前については東京都埋蔵文化財センターの資料などに見えるものの、はっきりとした一次資料が見当たらない。
今回は支流も含め細谷戸川全体を見ていこう。
城向橋
烏山川緑道の城向橋から西側を見たところ。今回は左の水路敷を進んでいく。
この写真は2025/6/17撮影。
道路に出る
すぐに水路敷は道路と合流して歩道として続いている。なお、地籍図では水路跡部分が長狭物になっている。
ここからの写真は2025/6/19撮影。
上町1号踏切
世田谷線の上町1号踏切が奥に見え、水路跡の歩道は踏切のところだけ途切れている。
手前の交差点には「世田谷の河川と用水」によれば中久橋があった。
西側
踏切西側に続く水路跡。写真中央の交差点には橋場橋が、写真奥の交差点には上桜橋があった。
門前橋
次の交差点は門前橋の跡。
勝光院
門前橋から北に向かったところにある曹洞宗延命山勝光院(しょうこういん)。
建武2年(1335年)世田谷城主であった吉良治家の開基とされ、当時は臨済宗金谿山龍鳳寺といった、境内の墓地には吉良家墓所がある。
(参考:国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「世田谷・駒沢名勝史蹟誌」林圭毅, 1927)
ここからの写真は2026/2/4撮影。
桜木中学校
勝光院西側にある桜木中学校。烏山川と細谷戸川に挟まれた台地のあたりには都内最大級とされる縄文時代の集落が見つかっており、旧石器時代からの遺跡群をまとめて桜木遺跡と名付けられている。
(参考:「トラストネットワーク No.81」世田谷トラストまちづくり/トラスト通信ボランティア, 2018)
斜め
左から斜めに道路が合流してくる場所。地籍図では水路跡と思われる長狭物はここから右に移る歩道ではなく車道右側に描かれている。
ここからの写真は2025/6/19撮影。
上町児童館
上町児童館の前で水路跡は再び歩道に。
都道427号
車道より幅の広い水路跡の歩道が桜木トンネル南の都道427号と交差する。
長くも狭くもない
都道の西側。長くも狭くもない気はするが、地籍図では長狭物になっている水路跡の名残り。
合流点へ
西へ進む路地に入る。写真中央にある電柱のところに丁字路があり、南(左)から来る細谷戸川本流と北(写真奥)から来る支流の合流点になっている。
まずはまっすぐ支流の方へ進んでみよう。
隙間
丁字路を通り過ぎたところで南へ向かう謎の隙間。地籍図では地番が振られており水路敷などではなく奥の方では閉塞しているように見えるが、位置関係から考えると細谷戸川の古い流れの跡という気もする。
行き止まり
支流の水路跡は交差点を過ぎたところから地籍図上でも水路敷(道路右側部分)となるが、写真奥でフェンスに阻まれ通れなくなる。
フェンス
北側の道路からフェンスのある場所を眺めることができる。
上流
振り返って上流側。民家の間に水路敷が吸い込まれていく。
暗渠
途中で袋小路をまたぐが、再び民家の間を抜けていく。
地蔵尊
一方通行出口の右に庚申塔、左に地蔵尊が建つ。2020年の写真には庚申塔の方に屋根付きの祠が写っているのだが撤去されてしまったようだ。
この写真は2026/2/4撮影。
水路敷上流端
そこから南の路地を入ったところに地籍図上の水路敷上流端がある。
ここからの写真は2025/6/19撮影。
さらに上流
地籍図では水路敷になっていないが、やや南側からさらに上流に向かって暗渠が残っている。
満櫻稲荷神社
暗渠の南側にある満櫻稲荷神社。現在の桜二丁目の旧字名が「満中在家(まんじゅうざいけ)」、桜一丁目の旧字名が「桜木」で双方にあった稲荷神社をここに合祀したものという。
なお、満中の読みは「あるじでえ Mo.28」(世田谷区教育委員会民家園係, 1996)を参考とした。多田源氏初代の源満仲(多田満仲=ただのまんじゅう)の所領であったという言い伝えがあるという。
この写真は2026/2/4撮影。
橋
さきほどの暗渠からひとつ西側の道路には橋の跡が残っている。
ここからの写真は2025/6/19撮影。
玄関先
西側の玄関先に残る蓋暗渠。
桜二丁目広場
さらに西側、桜二丁目広場の北側に水路跡が出てくる。防草マットが敷かれている部分が水路の跡だと思われるが、その左に見える鉄板蓋の下に水路があるようにも見える。
上流端
広場から道路に出たところに水路跡の上流端がある。
ここから上流方向に水路敷は見当たらないが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1969〜1970年)を見ると上流にも水路があるように見える。
地籍図にはないが、水路の痕跡を探してみよう。
凹み
突き当たりの脇に残された凹みとか。
ここからの写真は2026/2/4撮影。
庭先
庭先に取り残された残余地とか。
塀際
塀際の残余地とかが水路の跡なのかもしれない。
和光小学校北
西へ進んで和光小学校(写真奥左)の北側、地籍図を見ても水路としての跡は残っていないのだが、水色に塗ったあたりが水路だったのではないかと思われる。
水路?
一つ西側の道路も痕跡はよくわからないが、水路は水色に塗ったあたりと思われる。
ここからの写真は2025/6/19撮影。
最上流端
さきほどの地図の一番西には一区画だけ水路敷の跡が残っていた。どうやらここが支流の最上流端ということになるだろう。
ただし、写真奥に見える住宅の南側、マンション敷地との間には西へ進んでいくと塀沿いに残余地があるようにも見える(民家敷地越しに見ただけなので確証はない)。西側の道路付近はマンション敷地内になっているため末端部も確認は難しい。
長狭物
ところで、そのマンション南側に向かって伸びている細い路地がある。地籍図では長狭物または無番地になっていて、西側はインターロッキング舗装された遊歩道(おそらくはマンション敷地)の脇に人一人分の幅もないアスファルト舗装が写真奥に見える西側の道路まで続いている。
細谷戸川の上流というには位置がずれているが、水路跡というよりは畑の畦道が取り残されたものなのかもしれない。
本流
さて、それでは合流点まで戻って本流を字細谷戸まで行ってみよう。
歩道
南側の道路に出たところで西へ向かう。道路左(北)側の歩道が水路の跡と思われる。
左折
次の交差点はやや変形した六叉路になっているが、手前側を左折して南へ。和菓子店の前を通る歩道が水路跡だろう。
暗渠
歩道から西へ向かう暗渠。
入口
西側の道路に回って暗渠の入口を下流方向に見たところ。写真中央あたりから手前(西)が旧弦巻村字細谷戸になる。
ゴルフ練習場
道路右(西)側の歩道が上流側の水路跡で、奥に見えるゴルフ練習場の方へ曲がっていく。
裏
オークラランドのゴルフ練習場裏を西へ。
側溝
ゴルフ練習場を過ぎたところで、歩道だった水路跡は道路左へ移り蓋掛けされた側溝になる。
豊川稲荷
オークラランドの敷地内にある豊川稲荷神社。
住宅公園裏
オークラランド住宅公園の裏を南へ。上流の方が低くなっているように見えるが、道路が手前方向に嵩上げされているようで水路は手前の方が低い。
蓋
道路と離れて蓋暗渠が西へ向かう。
欄干
西側に回って蓋暗渠の入口。写真右寄りに欄干のようなものが残っているが、道路と橋の位置がずれていたのだろうか。
3本
柱が3本だけ残っている。
農大一高
農大一高の前を西へ。
カクカク
カクカクと曲がる。左側の歩道が水路跡なのだろう。
大きく曲がる
大きく左(南)に曲がり、谷頭に向かって上り始める。
谷頭
谷頭までたどり着いた。写真奥を南北に農大通りが通り、その向こうが東京農大の敷地となっている。
字細谷戸は写真手前あたりまでで、左側にかつては湧水があったという。
すぐ南(左)には世田谷通りがあり、少し西に行ったところにある馬事公苑通りに向かって品川用水が西から流れていたが、分水の跡を示すようなものは残っていない。
by Natrium