烏山川周辺の水路敷群(蘆花恒春園~千歳烏山)
OpenStreetMapで
環状八号線千歳台交差点付近を見る。
今回は烏山川の本流方向を蘆花恒春園から千歳烏山へさかのぼっていく。
明治・大正期の文豪、徳冨蘆花の旧邸宅を中心に整備された蘆花恒春園は、京王線の駅名としては芦花公園であり、旧邸宅を含む一帯の公園を芦花公園と呼んでいるらしい。旧邸宅(写真左に進んでいった方)は烏山川と水無川の間の少し高くなっているあたりにあったようだが、環八西側の公園はそこよりやや低く、遊歩道のあたりを烏山川が流れていたらしい。
烏山川は時期によって流路が変わっているので、環八東側と西側のどちらが本流か判断するのは難しいところだが、西側の旧流路は公園内では痕跡が残っていないことは確かだ。
この写真は2020/10/11撮影。
芦花公園北側にある粕谷八幡神社。創建年不詳ながら粕谷村開村のときから鎮守として祀られているというので、鎌倉時代の創建ではないかとする説もある。
ここからの写真は2020/10/24撮影。
八幡神社の東側、芦花公園から北へ向かう道路があるが、道路の右(東)側の歩道は蓋暗渠になっている。
さりげなく歩道として使われている蓋暗渠。川筋が先にあり、そこに道路を付け足したように思える。
蓋暗渠はすぐに道路に突き当たって終わってしまうが、さらに1ブロック先に行くと、道路が西向きにカーブしていく手前に、まっすぐ進んでいく水路敷と出会う。これでもかと置かれた車止めは、緊急時には車両が通行できるようになっているためらしい。
芦花幼稚園の入口で水路敷は西向きにカーブしていく。
芦花幼稚園と、北側の都営粕谷二丁目アパートの間を水路敷がくねくねと進んでいく。
水路敷は、芦花小中学校、八幡山保育園の敷地に突き当たっている。かつては構内を烏山川が流れていたようだが、現在痕跡は残っていない。
環八沿いの烏山川跡から環八を渡って西へ向かうところ。本流と言って差し支えのない幅の広い水路敷は遊歩道と公園として整備されている。
学(まなぶ)くんと、文(あや)ちゃんというキャラクターが描かれた「烏山川ふれあい散歩道」という看板があった。現在残っている遊歩道も、南北に途中で分かれてまた合流しているように描かれているが、古地図では千歳清掃工場から上流端近くまで2つの流れが並走していたようだ。
(写真は南が上)
児童遊園部分を上流側から見る。球形の回転遊具(グローブジャングルとも呼ばれるらしい)が設置されていた。
上流へ進んでいくと、右(北)からも水路敷らしき道が合流してくる。
まずは北に向かって見よう。細道がやや蛇行しながら続いているが、その先で道路に出て終わっていた。
戻って西へ進む。道路と並走する部分では車止めだったり並木だったり植え込みだったりであまり統一感はないようだ。
フェンスの向こうにある柵は、かつてここが川だったころからあるのではなかろうか。
さらに西へ進むと幅の広かった遊歩道に、ふたつの細い遊歩道が合流しているところまで来た。
合流部分にある小さな公園。謎のモニュメントも気にはなるが、ベンチには「喫煙禁止」の貼り紙が貼られていた。
直進して北側の流路を見ていこう。遊歩道は再び幅を広げ、続いている。
遊歩道北側には、親水公園を模した橋が架かっているが、渡れるように作られている感じではない。
右(北)側の青い建物は世田谷文学館。化粧品メーカーであるウテナの工場跡地に作られた。
千歳通り近辺の地図。地図では遊歩道と北側の水路敷が別に描かれているのだが、現地の状況を見る限り分かれてはいないように見える。
千歳通りを渡って上流側からウテナ創業家の久保邸跡(現在は土塀だけが残る)を見たところ。
千歳通りの西側は少し狭くなった遊歩道が木立の間を抜けていく。
その先で烏山川本流とされる流路が北から来るところに、西からも遊歩道が合流している。本流側は機会を改めて見ていくことにして、さきほどの合流から南側の遊歩道を見ていこう。
南側の流路はかつては芦花中学校の敷地を流れていたが、遊歩道は中学校の西側を通ってから西へ向かっている。
遊歩道は千歳通りの西に続いているが、こちらは横断歩道がないので迂回しないと渡れない。
烏山南住宅の西側で遊歩道から歩道に姿を変えた南側流路跡は、北へ向きを変えている。
先ほどの北側流路で西に向かっていた遊歩道と分岐するところまで来た。烏山川はさらに北から流れてきていたが、この先も機会を改めてみていくことにしよう。
分岐点のすぐ西には、昭和37年(1962年)に周辺の神社を合祀するまでは白山御嶽神社と称していた烏山神社がある。なぜか扁額が鳥居ではなく、写真右下の地上に置かれている。
烏山神社のすぐ北、道路わきに安置されている小さな地蔵尊。