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黒目川とその支流(馬場の水路敷)
地図
OpenStreesMapで馬場二丁目、三丁目の地図を見る。
片山村の字馬場であったこのあたりは、西側が高台、東側が低地になっており、低地には黒目川の旧流路や用水路の跡が残っている。
公民館通り
畑中公民館通りの北側、畑中二丁目の方向に唐突に現れる水路敷。かつてここから北の下流方向へ向かって流れていく用水路があったようなのだが、この先は住宅の裏側に入ってしまい追いかけることは難しい。
ここからの写真は2023/3/19撮影。
荒沢不動堂
そこから南(上流側)、馬場二丁目方向に振り返ったところ。写真右側(西)が崖になっており、崖上に見えるのが延宝2年(1674年)建立と伝わる荒沢不動堂。手前を東西に走る畑中公民館通りは江戸時代から使われている道だそうだ。
地蔵尊
不動尊の東側、道路脇には地蔵尊が2体並んで立っている。
馬場第一公園
不動堂の西側に隣接する馬場第一公園で崖がやや西寄りに移っている。このあたりは、用水路というよりはもともと崖下に流れていた水路を利用した流れがあったのかもしれない。
くねくね
公園の南側から西向きにくねくねと水路跡を遡っていく。古い空中写真では水路は写真奥のスーパーマーケット駐車場を通っていたようだが、駐車場が嵩上げされているため一旦そこで水路跡が途切れている。
下り坂
スーパーの駐車場から南へ向かって崖沿いの下り坂がある。上流方向に向かって下っているのが不自然だが、左側の宅地が嵩上げされているのかもしれない。
崖下
下り坂が崖下に降りたところで、南に向かって水路があったのではないかと思うのだが、写真奥は住宅地になっていて水路は残っていない。
水路敷
2つほど南の道路まで行ったところで、南へ向かって唐突に水路敷が出現する。
入口
さらに南側に回って水路敷の入り口を北向き(下流方向)へ見たところ。こちら側では水路敷はほとんど残っていない。
庚申塔
南側の道路脇には地蔵尊と庚申塔が並んで立っている。
上流へ
地蔵尊の一つ左の道がかつての水路跡と思われる。ここから道路に沿って南へ向かったあと、写真奥の住宅の左側に回り込むように水路があって、黒目川から流れてくる用水路と分岐していたようだ。ここで一度黒目川下流まで戻り、2つの調整池を巡る水路跡を辿ってみよう。
未舗装
畑中公民館通りの少し南(上流)側にある未舗装の道が調整池を巡る水路の出口ということになる。写真は黒目川(下流)方向を見たところ。
砂利
振り返って上流側は私有地にしか見えないのだが、新座市の地図などでは砂利舗装部分が道路もしくは水路として描かれており、水路敷なのだと思われる。
上流側
上流側の砂利道への入口。こちらも私有地に入っていくようにしか見えない。
遊水池へ
ここで水路跡は前の写真右方向へ転進。南側にある調整池を目指す。
調整池その1
水路跡の道路右側に調整池が見えてきた。かなりの深さがあり、土地が低いこのあたりの洪水対策として残されているのだろう。
合流
調整池を回り込んでいくと、途中で左右から水路跡が合流している地点に出る。右側は大橋のたもとから馬場の町内を蛇行しつつ流れてくる水路で、左は馬場桜公園で黒目川と分かれている流れになっている。
まずは距離の短い左の流れを見てみよう。左の細道を抜けると、その先は写真奥の車が止まっている左に水路敷と思われる草むらが残っている。
突き当たり
車の向こう側まで回り込んで、やや幅広の道路を進んでいくとすぐに突き当たりになる。
調整池その2
突き当たりのフェンスの向こうは黒目川に隣接したもう一つの調整池になっていた。調整池の底に水路があり、写真奥に水門が見える。
写真手前から南に向かって、かつては新座市立第四小学校へ向かう水路があったようなのだが、現在は宅地になっていて痕跡がない。四小北側に残っている水路敷はあとで見に行ってみるとして、いったん最初の調整池まで戻って大橋を目指すとする。
階段
胃袋のような形で東西に長い一つ目の調整池の西側には、メンテナンス用と思われる階段があるが閉鎖されている。
南へ
調整池を離れて水路跡を南へ。
水路敷公園
途中、道路脇に水路敷上に作られたと思われる公園を見ながら進む。
突き当たりを左折
道路が突き当たりになるところ。写真中央から左に向かっているガードレールに囲まれた空間が水路敷で、ここで左に曲がっている。
広幅
左側に曲がって上流へ。写真左の道路と同じくらいの幅がある水路敷部分を行く。さきほどの公園部分もそうだが、このあたりではかなり川幅が広かったということになる。
川跡
突き当たって今度は右へ。上流側が水路敷というよりも完全に川の跡。ここまで幅の広い水路敷はなかなか見かけない。
シケイン
二車線道路としてそのまま開放すればいいのにと思っていたが、途中にこんな罠があった。レーシングサーキットで速度が出過ぎないように設置されるシケインのように急角度で曲がるS字カーブ。夜中に通ったら塀にぶつかりそうだ。
車止め
左からくる道路には車止めが設置されており、この広い水路敷に車両が乗り入れることはできないようになっている。
畑
その先、水路敷が西向きに曲がっていくところで南側の畑の脇に残る細い水路跡。このまま住宅地との境目を南へ向かっている。
通行止め
少し手前に戻って写真左に細い水路敷の出口を見たところ。水路跡は通行を遮断する車止めの先で車両通行可能になっている。
写真奥では、荒沢不動堂に向かう水路が分岐している。
分岐
そのまま進んでいくと、左に流れていく水路跡と分岐する場所に出る。左側の水路跡はあとで見ていこう。
ガードレール
まっすぐ上流に向かって進む。ガードレールの右側がおそらくは水路敷だろう。
合流
途中、右(西)から別の水路跡が合流してくる。ここは最後の方で見ていくとしよう。
不動堂
さらにまっすぐ上流へ進んでいくと、右側の道路脇に小さな不動堂があった。地図上では明王堂という名前が付いている。
上流端
途中でガードレールがなくなるが、水路はそのまままっすぐ写真奥の市場坂通りから流れてきていたものと思われる。
山川橋
さて、ここでさきほどの水路跡と黒目川との間、東側にはこれまた複数の水路跡が残っているので、そちらを順番に見ていこう。
黒目川脇にあった調整池から黒目川を上流へ進み、下流の山川橋を見たところ。写真手前に道路から排水口が出てきているのがわかる。かつては写真右側の崖下を流れる水路につながっていたのかもしれない。
道路
排水口から西へ向かう道路はかつての水路跡であったと思われる。
暗渠
交差点で水路跡は南に向きを変える。堂々とした歩道があるが、これが暗渠化された水路敷と考えていいだろう。
未舗装
その先、水路敷は道路と分かれ新座市立第四小学校の校庭に向かう未舗装路となっている。水路敷は校庭の北脇を抜けて黒目川から流れてきていたようだ。
校庭
黒目川から水路敷越しに第四小学校の校庭を見たところ。
通路
少し北へ戻って、さきほどの水路跡が黒目川に合流している場所から西へ。調整池へ向かう水路跡の手前(東側)にもうひとつ水路跡と思われる通路上の水路敷が残っていた。写真奥で住宅に沿って南(右)へ曲がっているが、通り抜けることはできない。
入口
水路跡は住宅の間を抜けており、第四小学校校庭北側に入り口を見ることができる。黒目川からここまでは校庭の北側に沿って、さきほどの水路敷から分かれて流れてきていたようだ。
隙間
調整池へ向かう水路に合流していた畑脇の水路敷は、さらに二つの流れが途中で合流している形になっているのだが、東側の水路は道路にその入り口を見ることができる。ここから上流側は第四小学校北側の流れから途中で分岐し、校庭の南側、さらに駐車場の脇を通って流れてきていたらしい。
市場坂下
今度は第四小学校南側へ。校舎南側の水路敷は残っていないが、市場坂門の向かい側には住宅地の脇にしっかりとした水路敷が残っている。
分岐
市場坂通りから水路敷を見る。さきほどの小学校へ向かう水路敷が写真中央から右(北)へ向かっているが、手前にも分岐があり、上流は保育園裏手の道路に向かっている。
保育園裏手
保育園裏手の道路から水路敷の入り口を見る。写真奥に見えるのは黒目川を渡る市場坂橋。
市場坂通り
そこから水路敷は保育園に沿って道路脇の未舗装部分を流れていたと思われる。すぐに市場坂通りに突き当たって上流端となる。
側溝跡
再び調整池へ向かう水路跡に合流する畑脇の水路跡へ。畑の反対側(南側)には道路脇に大きな側溝跡がまっすぐ伸びている。
ここからの写真は2022/3/20撮影。
ジグザグ
上流に向かって側溝跡はジグザグに進む。
細
徐々に側溝部分が細くなっていく。
分岐点
調整池へ向かう水路敷との分岐点まで来た。写真右側が下流方向になる。
県道へ
最後に明王堂の手前から、埼玉県道36号に向かって水路敷をたどっていこう。しばらくは比較的幅の広い水路敷が住宅の間を抜けていく。
ここからの写真は2022/3/19撮影。
車止め
途中、車止めのある交差点(ただし左側は行き止まり)を跨いでさらに上流へ。
祠
交差点北東脇にある小祠。
竹林
竹林の脇を抜けて、向きを南に変えながら道路に出る。この辺りでは、水路敷の方がむしろ道路より幅が広いのではないだろうか。
蛇行
緩やかに蛇行しながら県道へ向かう。
支流?
途中、西側の県道に向かって伸びる水路敷のような未舗装路。
バス停
県道に出た水路敷は、新座高校バス停の退避スペースに削られてしまっているが、もともとは道路向かい側のバス停に向かって斜めに流れていたようだ。
大橋
道路脇の歩道がここで右(西)側へ移ってそのまま黒目川を渡る大橋へ向かう。この水路は大橋のたもとで黒目川から分かれていた。
大江戸線
大橋のたもとには、大江戸線延伸を期待する看板が設置されていた。とりあえず光が丘から大泉学園町までの延伸もいつになるか分からないが、大泉学園町から北へ進んで大橋の下を通り、やや西寄りにコースを取って現在は畑と崖の森があるあたりに新座中央駅を構える計画が広報されている。ただし、都営地下鉄であって、埼玉県への延伸に否定的な意見もあるところだ。
旧流路
おまけで市場坂通りから大橋方向を見たところ。川沿いを走っていた通りがやや右(北)よりに曲がっている部分があるが、写真右側の歩道あたりに旧流路があった。大橋も元は現在より若干北寄りに架かっていたらしい。
by Natrium