黒目川とその支流(道場の水路敷)
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関越自動車道の西側、道場の地図を見る。
黒目川が中沢川の北に広がる台地を避けるように北に迂回しているあたりが新座市道場(どうじょう)で、今回は台地と黒目川の間にある水路跡を探してみよう。
まずはじめは関越自動車道東側、埼玉県道36号保谷志木線から北に見たところ。右側の道路は新座市道4184号線として指定されており、高速との間に梯子型開渠がある。開渠は中沢川の南側から続いており、この先、黒目川まで流れていく。
ここからの写真は2023/2/24撮影。
開渠は途中で地中に潜ってしまうが、そこからすぐの北側、道路中央に蓋暗渠がいきなり出現する。市道の真ん中に水路敷が残っているというのも妙な感じだが、高速道路開通前はこのあたり一面は田畑であったので、高速とは関係なく元からあったのかもしれない。
蓋暗渠は再び高速道路脇に沿うように進み、道路が倉庫に突き当たるところで開渠となって黒目川に向かう。その先は道路がないため追いかけることは難しい。市道のほうは図面上はここから右(東)へ曲がって続いているのだが、新座市の地図でも車両通行不可となっており、畑の中の畦道のような小道になってしまう。
一つ前の写真奥に写っている佐川急便の事業所の南側には、東西にジグザグと曲がりながら進む開渠が残っているのだが、事業所の外周に沿った道路がないので、空中写真でしか存在を確認できない。
続いて関越自動車道西側へ回って、道場一丁目、二丁目の水路敷を見ていこう。埼玉県道36号のあけぼの住宅前バス停脇にある稲荷神社を眺めつつ、あけぼの住宅のなかにある蓋暗渠を見にいく。
あけぼの住宅は関越自動車道の新座料金所西側に広がる団地で、空中写真をみる限りでは関越自動車道(当時は東京川越道路)が開通した1971年前後に開発されたようだ。
さて、そのあけぼの団地の一角に、東西に流れる2本の蓋暗渠がある。写真は南側の蓋暗渠で、道路南側に沿って残っている。もともとは、関越の東側、さきほどの開渠の方向へ流れていたはずだが、関越道に断ち切られて西側だけが残る形になっている。
ここからの写真は2023/2/11撮影。
道路が若干左に曲がった後は、まっすぐ道路の脇を進んでいく。写真奥で団地の地図が水路敷上に置かれているのだが、それを避けて先に進むことはできる。
そのまま蓋暗渠が突き当たって住宅の間に向かっていく場所まで進む。斜めに蓋暗渠が曲がるところだが、直進してきた蓋のうえに斜めに蓋を乗せるというなかなか豪快な作りになっている。入っていけそうにもみえるが、奥は住宅の一部に利用されているようなので遠慮しておく。
上流側は閉塞しているようで、空中写真で道路に出てくる場所まで行ってみるが、水路敷と呼べるか微妙な感じだった。
そこから上流は痕跡が残っていないが、1974年の空中写真などをみると向かい側の火の見櫓の北に広がる法台寺の境内地を抜けて、新座観音の裏を通る水路敷と繋がっていたらしい。
この写真は2023/5/3撮影。
浄土宗鎮西派の法台寺。治承4年(1180年)に置かれた館の地に、文永3年(1266年)、鎌倉幕府6代将軍 宗尊親王の命により源実朝の側室 久米御前(法台禅定尼)の菩提を弔うために建立されたのが始まりと伝わる。近辺には鎌倉武士の子孫もいるそうだ。
一遍の弟子で時宗の実質的開祖(第二祖)とされる他阿真教が遊行の途中でここを念仏道場としたことから、現在の地名につながるという。
ここからの写真は2023/2/11撮影。
境内の奥には、新座市指定民俗文化財となっている片山富士がある。江戸時代に流行した庶民信仰である富士講のひとつ、丸吉講(講の中心人物であった浅海吉右衛門の名に由来するという)が築いた人工の塚だ。
さて、関越自動車道脇まで戻って少し北へ行ったところにもう一本蓋暗渠がある。こちらは道路脇ではなく住宅とガス関係の設備の間を抜けていく。
すぐに道路脇に出てくる蓋暗渠だが、こちらは住宅の出入り口として使われており、蓋がアスファルト舗装で埋められている。
写真奥では、再び道路と別れて西へ進んでいく。
こちらの蓋暗渠は通行できるようなので入って行ってみよう。
そのまま進んでいくと、北側に大きく広がる調整池と出会う。
調整池を回り込むように蓋暗渠が直角に曲がっているのだが、なぜか蓋が一枚手前の蓋に乗り上げている。雪も残っているので、足元に気をつけながら進むしかない。
西側の道路に出たところで下流方向に見たところ。蓋暗渠が残っているのはここまでとなっている。
道路の西側、法台寺境内の北側に広がる新座観音の駐車場に向かって2つ水路敷が残っている。写真は北側のひとつ。
望遠で水路敷を覗き込んでみたところ。写真奥に段差があり、その先が駐車場になっている。
南側の水路敷は、住宅の通路として使われているようだ。
続いて、新座観音近辺の旧流路などをみていきたい。写真はさきほどの調整池から北へ向かって樋の橋の南詰に広がる空き地を見たところ。古い空中写真でもこの辺りに川筋はないのだが、緩やかにカーブした柵や、妙に住宅地に食い込んだ土地割など、かつては川筋であったのではと思わせる雰囲気がある。
ここからの写真は2023/5/3撮影。
空き地の西側に回り込む道路から新座観音の駐車場と法台寺の雑木林を眺める。車が止まっているあたりに東西にグレーチングが設置されており、古い空中写真を見るとそこに水路があったようだ。
新座観音に行く前に、黒目川の旧流路を見ていこう。現在の黒目川に戻るポイントは現在ふれあい広場として整備されているが、広場の北側(道路側)はなぜか新座市道7025号線として指定されている。
ふれあい広場は旧流路跡に沿って緩やかにカーブしている。河道は公園部分にあったようだが、写真奥の大木があるあたりも窪地になっており、川筋が向け建てられる前の川岸部分だったのだろう。
ふれあい広場の最奥部。写真奥の住宅地との境が旧流路跡で、西向きに大きく曲がっている。写真右側には以前はここに片山ファミリープールがあったのだが、老朽化に伴い解体され現在は更地になっている。最終的には、東側のふれあい広場から西側の公園まで一体化して新座セントラルキッズパークとして整備される予定だそうだ。
広場からプール跡を見る。南側の住宅地との境界に沿ってマンホールが並んでいるのだがその辺りが旧流路で、現在も地下に埋設された暗渠が残っているのかもしれない。
西側にある新座セントラルキッズパークの完成部分まで回ってきて、プール跡の方向を見たところ。旧流路はこの辺りで少し北に張り出しているが、すぐにまた南寄りに向きを変えており、上空から見ると現在の黒目川と旧流路に挟まれた部分がピーナッツのような形をしている。
振り返って上流側。公園北側の施設との境界線は旧流路に沿って蛇行しており、そこに並木が植えられている。公園部分が元川筋だったところにあたるはずだ。写真奥にある工場と駐車場の間に水路敷が残っているのだが、塀に囲まれているので地上からは確認することができない。その先は黒目川になる。
ここからの写真は2023/2/24撮影。
黒目川の河川敷から旧流路の分岐点を見たところ。こちらからは空き地となっている水路敷の様子がわかる。
この写真は2023/5/3撮影。
再び公園の南側。写真左に見える旧流路に沿った柵のさらに南側にも空間が残っており、その向こうの住宅とは段差がある。
ここからの写真は2023/2/24撮影。
そこから南の住宅地に向けて細い未舗装路がある。写真奥の段差部分には排水口が露出しており、この部分は水路敷なのかもしれない。
そこからさらに西側を見る。段差から排水管が降りてきており、かつてはその下に側溝があった可能性が高い。旧流路のさらに南側にも、水路敷があったということだろう。
公園南側のフェンスに沿って西へ防草シートが敷いてあるあたり、水路があったとしてもおかしくない雰囲気がある。その先は駐車場になっており、水路敷の痕跡は残っていない。
そのまま駐車場を抜けて道路を西へ。道路から南向きに産業道路へ向かって空き地の脇に妙に整地された土地がある。水路敷として管理されているかはわからないが、かつての畦道か水路だったのだろう。
産業道路側から見ると、道路の直前まで微妙な隙間が残っていた。
公園まで戻って、南へ抜けている小道を通って進んでいくと、新座観音に行くことができる。新座観音神護院は昭和57年(1982年)創建の比較的新しい寺院で、栃木県の出流山満願寺の本尊千手観世音菩薩の分身を本尊としているという。
法台寺脇を流れてきた水路は、新座観音の裏手(南側)の崖に沿って流れていたようだ。
この写真は2023/2/11撮影。
西側に回り込んでみると、新座観音の方向に向かう水路敷の上流側入口を見ることができた。
ここからの写真は2023/5/3撮影。
そこから西へ向かい、産業道路を越えた先にあるやたらと幅の広い道路。両側に歩道があるが、どちらかが側溝だったのかもしれない。写真奥(西側)は低地になっているので、ここに水路を通すとなるとかなり掘り込んでいたことになる。
幅の広い道路は低地に突き当たるところでいきなり行き止まりとなって終わっている。
さて、ここでいったん産業道路を北へ進んで堀ノ内橋から上流方向へ水路敷を見ていこう。堀ノ内橋の対岸、左岸側には大きな口を開けた排水口があり、大量に水が流れ出てきている。後方の崖に湧き水があるのかもしれない。
ここからの写真は2023/2/24撮影。
堀ノ内橋南側には周りよりも若干土地が高くなった一角に住宅地が作られているが、東寄りに南北に走る暗渠がある。
産業道路沿いの山田うどんの裏手を流れてきた暗渠は、途中から蓋暗渠になって住宅街に出てくる。写真は下流方向を見たところ。
蓋暗渠の入り口には欄干もあり、元は畑の間を抜ける水路だったことが想像できる。
一本南側の道路からさらに上流方向を見る。ここは完全に封鎖されており、空中写真をみるとその先の駐車場を南北に梯子型開渠が通っている。
蓋暗渠部分は元から水路として存在していたようだが、開渠部分は古い空中写真にはないので、住宅地を造成する前後に付け替えが行われたのではないかと推測される。元の水路は西側(写真右)に広がる低地から流れてきていたようだ。
産業道路に周り駐車場の奥を見る。下の矢印のところにあるブロックが駐車場を南北に横断する開渠と思われ、上の矢印のあたりに西へ向かう水路敷が残っている。駐車場の西側は低地の畑になっているが、西側では水路としては残っていない。
駐車場の南側、低地の南端から住宅地に向かって水路敷が残っている。ここから南へ進むと新座観音裏へ向かう水路跡があるので、そこから別れてきた流れということだろうか。
いったん黒目川まで戻って住宅地の西側まで移動。写真ではわかりにくいが、左(東)の住宅地と右(西)の児童公園(なかよし児童公園こと道場二丁目児童遊園)の間に段差があり、公園のフェンスと擁壁の間に水路跡と思われる空間が残っている。公園の先は市民農園(道場レジャー農園)として使われているので、通り抜けることはできない。
南側にぐるっと回り込んで、住宅地の南端を下流方向に見たところ。住宅地は東西に分かれている低地に挟まれて岬状に南に張り出している。手前の道路(未舗装だが新座市道7061号線として指定されている)を流れていた水路はここで左右に分かれ、左側がさきほどの児童公園へ、右側が産業道路脇の駐車場に向かっていた。住宅地はその流れに沿って造成されている。
新座観音へ向かう道の通行止めから先、低地に降りることができるので降りたところから北を向いて、東側の低地を眺める。
ところで、写真手前から途中で左に曲がって住宅地の擁壁へ向かう行き止まりの畦道(マウスオーバーでオレンジ色に塗った部分)も、実は新座市道7062号線として指定されている。畑の所有者以外が使うように見えないが、将来ここが宅地化されるようなことがあれば道路として活用されるのかもしれない。
振り返って上流方向を見たところ。こちらは踏み跡も怪しい畦道になっており、市道としては指定されていないようだ。Google Mapでは写真のあたりに水路が描かれているのだが、それらしいものは見えない。
南へ回って新座市道7048号線(こちらも未舗装)からさきほどの畦道風水路敷を右手に見たところ。右奥にはさきほどの児童公園に向かう新座市道7061号線があり、新座市道路台帳でみるとマウスオーバーで描いたように、写真左手では水路を真ん中に挟んで市道が左右を挟んだ形になっている。
ふたつの市道と水路が合体する場所から上流方向を見たところ。一見ひとつの道路だが、左が砂利舗装、中央が未舗装、右がアスファルト舗装になっていて、それぞれ独立したものらしい。水路敷部分に杭を立ててわざわざ車両がはみ出さないようにしている。
少し進むと道路中央の水路敷が消失したところで、道路が左右に分かれている。左は新座市道7052号線で台地へ向かうのだが、7048号線と7061号線は地図上では正面へ向かっているもののその先で中央公民館と駐車場に突き当たってしまう。もしかしたら水路敷は写真右側の草むら部分なのかもしれない。地図上では行き止まりの先が新座市道7055号線として指定されていて、テニスコートの間を抜けて黒目川からつながっていることになっている。
いったん埼玉県道36号まで出て、南回りで新座市道7055号線を確認しにいく。テニスコート西側の道路は低地までつながっているが、市道と思われる場所は道路として機能しているようには見えず、畑を使っている人しか通行していないようだ。地図上の道幅を考えると、踏み跡の両側も市道の敷地と思われる。
さらにもう一つ西側の道路から新座市道7055号線の敷地を黒目川方向に見る。黒目川から分かれた旧水路(点線の間)が市道として指定されているわけだが、どうみても道路ではない。
黒目川の河川敷から新座市道7055号線の敷地を見たところ。敷地には新座市有地であることを示す看板が建てられている。空中写真で見てもこの辺りが旧水路の分岐点と思われるが、写真右側の農地の奥にも擁壁があり、小さな段丘状の土地が見られることから古くはもう少し上流の馬喰橋近辺で分かれていたのかもしれない。