黒目川とその支流(畑中の水路敷)
OpenStreesMapで黒目川を挟んで
新座市畑中(はたなか)二丁目、朝霞市膝折町二丁目の地図を見る。
黒目川そのものは河川改修が行われた結果まっすぐ流れているが、市境は旧流路に沿って複雑に折れ曲がっている。このあたりでは住宅が少なく、駐車場などが市境になっているため境界線を整理する必要がなかったのかもしれない。
今回は川越街道の新座大橋から南、上流へ向かって黒目川の両岸を見ていくことにしよう。
川越街道が黒目川を越える新座大橋の西側(左岸)上流脇に出てくる排水口を見たところ。元々は旧流路の蛇行跡があったはずだが、周辺は道路になっていて水路敷としては残っていない。
ここからの写真は2023/4/1撮影。
排水口の少し上流側に、住宅街に食い込んだ朝霞市の飛地がある。地図によって境界線の描画が異なっているため判断が難しいところだが、
朝霞市道路網図を見る限り概ね更地になっている部分と写真右奥の住宅が旧流路沿いの飛地(住宅そのものは新座市の住所となっている)と見て良いようだ。
さらに上流側にも住宅を挟んでもう一つ更地があるが、こちらは新座市に入っているようだ。
さきほどの排水口に向かって流れてくる暗渠の上に通る新座市道5004号線を排水口出口方向へ見たところ。車止めもなくいきなり河川敷に飛び出す感じになるので、夜中に間違って入ってくるとかなり危ない気はする。
ここからの写真は2023/4/9撮影。
新座大橋から川越街道を少し西へ進んだところで、南(上流)に向かって未舗装の水路敷(市道には指定されていない)がある。川越街道の北(下流)側にも水路敷があり、ここには黒目川の分流があったものと思われる。ただし、川越街道の両側はかなり嵩上げされているように見える。
上流方向へ進むとそこそこ通行量がありそうな砂利道が続いている。
砂利路を進んでいくと、さきほどの排水口につながる道路との交差点に出る。排水は写真左の新座大橋方向へ流れているわけだが、上流は右側なので、ここで二つの流れが分かれていたのだろう。
前の写真奥に写っている新座どろんこ保育園の南側園庭。旧流路は点線の部分にあった。
園庭の南側には畑が広がっている。空中写真で確認できる水路は写真左側の低木のあたりにあるが、地形を見る限りでは写真右側にある祠のあたりまで川筋が蛇行していた可能性が高そうだ。
ここからの写真は2023/4/1撮影。
前の写真奥にあった木立の南側には、蛇行跡と現在の水路に挟まれた畑中黒目川公園、通称畑中ホタル公園が広がっている。
公園南側には、地元町内会が育てているホタルが鑑賞できる(鑑賞会は例年5月末ごろ)畑中ホタルの里がある。
ホタルの里の裏側には流路跡を利用した公園出入口があった。旧流路は写真左方向からホタルの里を回るように流れていたようだ。
黒目川左岸、公園から少し南西にある真言宗智山派の寺院、十王山東福寺薬王院。永享7年(1435年)の開山と伝わるが、当地には天正2年(1574年)に移転してきたという。山号になっている十王とは、閻魔王など地獄で審判を行う十人の王を指すそうだが、閻魔王以外はあまり知名度がないというところ。
東福寺脇にある須賀神社。小さな社だが、例年7月には大祭が行われ神輿も出るという。
須賀神社から黒目川に戻ってきたところ。写真は右岸側から対岸をみたところだが、駐車場の一角に朝霞市が左岸側にはみ出した飛地がある。一方、1993年の新座市住宅地図などでは市境よりもやや外側に水路が見え、写真奥のアパートと駐車場の境界に沿って流れていたようだ。
さらに上流側にはもう一つ朝霞市の飛地が左岸側にあるが、こちらには工場が3軒ほど立っており住所も朝霞市になっている。ここでも1993年の水路と市境は微妙にずれている。
そこからさらに上流側に進んだところ、左岸側に現役の排水口が見えるが古地図や空中写真でも対応する水路は見当たらない。
ここからは右岸側の水路跡をみていくことにしよう。右岸側の蛇行跡はパチンコミリオン1100とラウンドワンの敷地になってしまっており、新座大橋南側ではその痕跡を見出すことはできない。敷地の中を新座市と朝霞市の市境が蛇行しているのだが、特に標識もなくそれという目印も見当たらないようだ。
パチンコ店東側の道路には奥へ向かって、蛇行跡とは別の旧流路が1963年の空中写真で確認できる。
一本東側の道路には、南に向かって車止めが連続して設置されている歩道があり、古地図にもここに水路が描かれていることから道路東脇に水路があったものと思われる。正面で行き止まりになるが、かつてはその先でさきほどの旧流路から分水していたようだ。
二つの水路跡に挟まれたところに建つホンダ系列のモータースポーツ会社M-TEC。ブランドとしては無限としてスーパーフォーミュラなど様々なカテゴリーに参戦している。
二つの水路が分かれていたあたりに建つ小さな祠。鳥居の脇には朝霞市指定文化財 奥住家文書の碑がある。奥住家は江戸時代に当地で伸銅業を営んでおり、天保15年5月(1844年6月)に焼失した江戸城本丸の再建に当たって銅瓦の作成に関わったという記録が残るそうだ。
祠から上流(南)方向を見たところ。写真ではよくわからない(近づいてもよくはわからない)ものの、写真中央奥の矢印あたりで東側から水路が合流していたようなのだが現在は私有地になっていて通り抜けはできない。この辺りでは道路東側にだけ歩道があるので、こちらにかつては水路があったのかもしれない。
また、写真右側の工場までは道路西側も朝霞市で、敷地西側に朝霞市が大きく張り出しているように地図には描かれているのだが、ブルーマップでは該当する張り出しがなく敷地内であることもあって実際にどちらに属しているのかはよくわからない。工場の住所は朝霞市になっている。
西側から合流した市境と一緒に水路跡の道路が大きく西側に蛇行しているところで、写真奥に水路敷が見える。水路敷の下流側(写真右)にある住宅地(新座市畑中二丁目20番地)は新座市の飛地になっており、住宅地からは朝霞市を通らないと新座市の本体に行くことはできない。
近づいてみると細い遊歩道の脇に歩道より幅の広い水路敷が残っていた。市境はここで水路敷に沿って西へ向かう。
遊歩道と水路敷は勢いよく蛇行しており、古い黒目川の流路をよく残しているポイントと言える。この部分は1979年の空中写真でも水路として確認できる。
再び大きく蛇行して黒目川に出る。川の向こうはさきほど見てきた朝霞市の飛地があるあたりになり、黒目川は古くはここで西側から東側へ流れてきていたのだろう。
対岸に蛇行していた旧流路が右岸側に戻ってきたあたりでは水路跡が残っていないが、その南側には「あぶみだ公園」と名付けられた遊水池を兼ねる公園が広がっている。写真は下流方向を見たところ。
公園の北側(下流側)も遊水池になっていて、そこに東側から水が流れ込んできている。写真手前の遊水池は新座市、写真奥の工場は朝霞市になっている。
市境と分かれた道路の方は再び東寄りに向きを変え、市境よりもやや北側を進んでいく。
そこから進んでいったところに新旧の水路が複雑に交わるポイントがある。写真に水色で描いたのが蛇行跡の旧流路と思われるが、その脇にオレンジ色の道路になっている水路跡が並走しており、直行する形で南北に紫色の水路があったのではないかと思われる。
南北の水路跡は少し北へ戻って膝折町二丁目児童遊園の脇から道路脇に確認できる。
道路右側にしっかり水路の跡が残っているのがわかる。この道路、北側の入り口には車止めがないのでついつい侵入してしまう車がいるのだが、この先通り抜けることはできない。
交差点の東側。写真右側の道路が旧流路で、写真左側の道路も水路跡。写真奥で合流しているのだが、この一角だけ中央に仕切りがあって別々の道路になっている。
二本の道路が合流している部分。市境はそのまま写真奥の新座市営墓園に向かうが、水路は手前の駐車場に見える段差の部分に南側から流れてきていたと思われる。ここから上流は畑や住宅の間になっているなど、道路以外では追いかけるのが難しいところも多い。
市境の方を進んでいくと、朝霞市側に福丸大神という扁額を掲げた神社がある。一般公開はされていないようであった。
黒目川に戻って千代田橋北側の排水口を左岸側から見たところ。この排水口につながる水路は工場用地の下になってしまっているようだが、東側には水路敷が残っているのでそちらを見にいってみよう。
ちなみにこのあたりの黒目川河川敷にはところどころに新河岸川合流点からの距離を表示した標識が置かれている。
さて、東側に突然出現する水路敷。車が通れる十分は幅があるため車止めがあるが、養生シートで覆われており、歩行者の通行も想定はしていないように見える。
水路敷の東側は、道路をまたいで新座市営墓園の崖まで繋がっている。1979年の空中写真では駐車場部分にも水路があったことが確認できる。突き当りまで水路は崖下を通って山下橋南側から流れてきていたが、住宅の裏や藪になっていて辿ることはできない。
養生シートの水路敷と交差する細い道路は、さきほどの並走する道路にあった水路の上流部分にあたるようだ。
細い道路は千代田橋へ向かう通りに出たところで突き当たりとなるが、向かい側の工場の境目に水路敷と疑わしい隙間が残っていた。写真右側の工場奥のところで水路敷は黒目川方向(西)へ曲がっている。
工場裏側に回ってみると、駐車場脇に水路敷が残っていた。
道路の反対側には、黒目川に向かってブロック塀に挟まれた水路敷が残っていた。路面には駐車場であった頃のペイントの名残が残っており、わざわざ水路敷として区切り直したように見える。
ゆるやかに蛇行している水路敷はそのまま黒目川の河川敷まで繋がっている。
左岸側から水路敷を見る。ここにも排水口があるのがわかる。
この写真は2023/3/19撮影。
最後に膝折町二丁目の東側崖下に位置する氷川神社を見ておこう。地図や空中写真ではわからないが、境内の崖沿いに湧き水に由来すると思われるそこそこ大きな池があった。
ここからの写真は2023/7/6撮影。
膝折の氷川神社は「子の神氷川神社」という看板がかかっているが、創建年代については伝わっておらず中世に勧請された可能性があるという。崖に向かって御神体(子の神)を仰ぐ形で作られた神社ということのようだ。
境内の池(神池)。写真中央に弁天社があり、その奥に湧き水があるようだ。
池は崖の中腹にあるため、そこから溢れた水を手水舎や禊場へ流している。そこからさらに水が境内に流れているが、隣接する住宅地との間位に排水路があり、道路に出たところで水路としては途切れている。