黒目川とその支流(妙音沢と中沢川下流)
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中沢川下流と妙音沢を見る。
黒目川は上流側から落合川、立野川ときて、大きな支流としてはこの中沢川が3番目ということになる。本流の水源は新座市野寺の武野(たけしの)神社にある弁天池とされるが、黒目川南の崖線に沿って複数の湧水があり、そこからの水を集めて流れているので、かなり複雑な構成になっている。
一方、妙音沢(みょうおんさわ※)も黒目川のすぐ脇で崖から湧き出しており、江戸時代には滝があって滝見の茶屋まで出ていたそうだ。
※新座市が設置している看板では「ざわ」ではなく「さわ」となっている。
黒目川の左岸側から妙音沢の湧水が出てくる場所を見る。かなりの水量がある湧水であるのがわかる。
ここからの写真は2022/6/25撮影。
右岸側に渡って妙音沢の入口にかかる橋。黒目川に向かって豊富な水が流れ込んでいく。
自然の姿を残しながら沢筋を見学できるように木道が作られている。一帯の斜面林は妙音沢特別緑地保全地区として保護されている。
礫層に含まれる大きな石(円礫)が露出している水源付近。
続いては、妙音沢の看板横に出てくる中沢川。こちらもそこそこ水量がある。
斜面林の下を流れる中沢川はこのあたりでは暗渠化されているようだが、フェンスと藪に阻まれて立ち入ることはできない。
以前の訪問時には見逃していたのだが、妙音沢にはもう一つ下流の市場板橋寄りに小沢(こさわ?)と呼ばれる小さな湧水があり、さきほどの方が大沢と呼ばれているそうだ。写真右奥に見える小沢もそこそこ水量があり、黒目川に写真左下で流れ込んでいる。
ここからの写真は2023/3/19撮影。
その小沢の少し下流に、妙音沢旗桜(ミョウオンサワハタザクラ)と呼ばれている桜の木がある。写真でわかるように、本来の桜の花は5弁の花びらなのだが、その内側にさらにオシベが変化した旗弁という花びらがあるのが特徴で、大島桜の変異種なのだという。
さらに西側には県立新座高校と市立第三中学校があるが、第三中学校の南側にわずかな区間だが開渠が残っている。古地図でもこの地点までしか流路が描かれていないが、中沢川から分かれる分流の河口へ向かう流れであったのかもしれない。反対側は墓地の横にまた水路敷がわずかに残っている。
この写真は2023/1/9撮影。
新座高校と第三中学校の間の道路を下流方向に見たところ。地図上の中沢川は斜面林を離れ、写真右側に見える新座高校の体育館とテニスコートの間を西へ流れてこの道路に出てくることになっている。写真中央で道路が広くなっているあたりがそれで、そこから手前は川の上に道路が乗っているのかもしれない。
ここからの写真は2022/6/25撮影。
しかしテニスコートの東側、斜面林の下には本流とは別に水路敷が残っている。改修前の中沢川はこちらを流れていたのではないだろうか。
テニスコート西側で上流方向に振り返ってみる。道路は突き当りになり、その先にいきなり中沢川の本流があって道路の下に潜り込んでいるのがわかる。ここから関越自動車道の北側側道までは開渠になっているが、両岸に道路がないため途中を地上から見ていくことはできない。
中沢川の西側、道路の分かれ道に安置された供養塔。左側の地蔵尊には元文6年(1741年)とある。
崖下の水路敷から上流方向に少し坂道を進んだところ。道路は崖を上っていくが、水路敷が崖下に残っている。
その水路敷の反対側を見るために西側の道路に回っていくと、途中さきほどの水路敷に向かって細い空間が伸びていた。こちらも水路敷だろうか、東西に流れているのはここだけしかないのだが。
回り込んで下流側を見たところ。崖は住宅地として造成されているため、擁壁の下に水路敷が残る。道路脇には欄干らしき意匠も残っているが、ここから先は入っていくのは難しそうだ。
国土地理院Webサイトから
国土地理院撮影の1979年空中写真で水路を見ると、前の写真から先は住宅地を大きくU字型に水路敷が取り囲んでいることがわかる。途中で切れてしまっているが、元々は中沢川がこちらに大きく蛇行していたのかもしれない。
中沢川を関越北側側道から上流方向に見る。かなり川幅が広くなり、梯子型開渠になっているのがわかる。写真奥には「だちょう牧場 並木屋」という施設があり、ダチョウの飼育をしているほかバーベキュー、ソロキャンプなどができる施設があるという。
ここからの写真は2023/1/9撮影。
だちょう牧場の南側。写真奥のあたりには窪地があり、北側の支流跡とも思われる。写真奥あたりで窪地は畑に埋もれてしまい、行方はわからなくなる。