前谷津川周辺の谷戸と水路敷(中台の谷)
OpenStreetMapで
前野川と中台の谷を見る。前野川と蓮根川(環状8号線)の間にかなり幅の広い谷があるが、水路は残されていない。今回はここを歩いてみる。
首都高速5号線の下で南側を見たところ。ここに張り出していた半島上の尾根を切り取って高速道路を通したのがわかる切り通しの壁が見える。
よくみると左右も崖になっており、左(東)が前野川の谷、右(西)が中台の谷になっている。
ここからの写真は2020/1/19撮影。
尾根の上と西側はサンシティという大規模分譲マンションが立ち並ぶ街になっている。
サンシティのサイトによれば、昭和49年(1974年)に研究所の跡地を再開発したものだという。
地名の中台は、この尾根筋を指していたらしい。
尾根西側の崖下を、谷の入り口で道路を跨ぐ歩道橋から見たところ。写真右側がサンシティのマンション群で、手前の建物は商業施設になっている。
尾根に食い込むような形で溜池なのか湧水なのか池がある。崖上のマンションもサンシティの一部だ。
サンシティ北側から東の尾根を見る。尾根上の大地にあるマンションはサンシティ東の丘と名付けられている。
サンシティ北側の交差点は五叉路になっているが、ここで谷筋も3本に分かれている。東側に向かって伸びる谷を見たところ。
まずは日大豊山中台総合グラウンドの脇を南へ向かってみよう。グラウンドが谷底になっていたようで、東側に沿って道路は徐々に坂道を上っていく。
道路から東側は急角度の階段になっており、谷が深いことがわかる。
斜面に沿って分譲住宅が縦に連なっているという光景。どの家も日当たりは良さそうだ。
坂の途中から振り返って日大豊山中台総合グラウンドを見る。写真奥(北)がサンシティ、左(西)が日大豊山女子中学高等学校で、グラウンドがすり鉢状の谷になっている。
グラウンドで地形が改変されているが、南側で谷はさらに2つに分かれていたようだ。
南へ進む谷を登った先、尾根筋の道には子安地蔵が安置されていた。
いったん坂の途中まで戻り、グラウンド南沿いの道路を進んでいく。
階段の向こうには中台公園があり、かつてはそこに湧水があったという。
後日中台公園にも行ってみた。公園全体が摺鉢状の谷底に作られているが、湧水の痕跡は残っていないようだった。
グラウンド上に道へ戻り、西側まで回り込んで坂を下る。
細道の突き当たりを右に曲がり、振り返って谷頭の地形を見る。わりと典型的な摺鉢上の谷頭地形が住宅地になっているのがわかる。
後日中台公園から西に向かい、西側から谷を見たところ道路沿いまで谷が迫ってきていた。中台公園との間には岬上に張り出した台地があり、谷としては別なのがわかる。写真には写っていないが民家の軒先に池があり、湧水も残っているのかもしれない。
最終的な谷頭は若木通りの手前まで来ているようだ。若木通り側から谷向きに見たところ。写真左側(西側)には延命寺の谷も迫ってきているので、結局またここに戻ってくることになるだろう。
最後に西側、延命寺の谷を見て行こう。まずは日大豊山女子中学高等学校の前を進む。
延命寺に向かって上る坂道の下から、北向のサンシティ方向を見る。かなり幅広い谷間だったことがわかる。
南側には崖が迫っている。崖全体が中台さとやま公園になっているらしい。かつてはこれだけの谷を穿つ湧き水があったということだろう。
谷筋を通る道がないので、いったん中台さとやま公園側に上って谷底の地形を見る。ここも住宅街になっているが、おそらくかつては農地だったのだろう。
西側には谷底を渡る道路があるので、谷底から尾根を見上げてみる。冬になって道路が凍結したら厳しそうだ。登っていくとさきほどの尾根筋に戻ることができる。
真言宗豊山派の延命寺。江戸時代の永正年間(1504〜1520年)頃の創建と伝わる。豊山(ぶざん)派は奈良県桜井市の長谷寺を総本山とする新義真言宗の一派。
すぐ近くに日大豊山(ぶざん)女子中学高等学校があるわけだが、こちらも元は文京区にある真言宗豊山派の護国寺に設置された豊山中学が前身ということなので、名前の通り豊山派繋がりということになる(もっとも、現在の日大豊山は仏教系の学校ではないようだが)。