前谷津川周辺の谷戸と水路敷(石川町公園〜赤塚新町)その1
まずは前谷津川緑道が赤徳公園から来る流れと合流するポイントから出発。今回の流路はいったん北にある石川橋公園を通って西から来る流れをたどっていく。
この写真は2019/4/28撮影。
左に前谷津川緑道の看板があるところで石川橋公園に行き当たる。
ここからの写真は2019/5/4撮影。
球技場となっているフェンスの裏側に微妙な空間があるが、ここが水路敷だと思われる。
すぐに遊歩道は道路(徳丸槙の道)にぶつかり西向きに水車公園へ向かう歩道となる。
歩道が石畳になっている部分は、水車公園の中というか道路を挟んで東側にある徳水亭の前。日本庭園や茶室がある。
日本庭園には、崖下に水路が造られているが、前谷津川とは関係なさそうだ。
水車公園は前谷津川の川面を再現した構成になっている。
水車小屋に引かれているいる水路は崖上から落ちてきているようだ。崖上に元は湧き水があったのだろう。
徳丸槙の道は首都高速の下から徳丸北野神社を通って坂を下ったところで西に折れ、水車公園まで続いている道で、街路樹として槙(羅漢槙)が植えられている。
いったん緑道は終わってしまうが、水路敷は道路としてまだ西へ続いている。
水路敷から新大宮バイパスの南側を見る。このあたりでは、新大宮バイパスは半分しか作られておらず、東側は橋脚だけが取り残されたままだ。
そこそこ綺麗に整備された遊歩道になっているが、雑草の勢いには勝てていない気もする。
崖下に微妙に残された空間と小屋を眺めつつさらに進む。
左側の擁壁が切り替わったあたり、植え込みに気が立っているが、その右側には脇道がある。
北側に並走する道路から1ブロックだけだが、水路敷らしき脇道が合流していた。
西側には、住宅の軒で阻まれているがもうひとつ水路敷らしき細道があった。
前谷津川緑道は、赤塚中央通りに向かってかさ上げされている。
緑道と通りが交差する場所にはバス停と銅像があった。バス停の名称は赤塚庁舎入口だが、赤塚庁舎こと板橋区赤塚支所に行くには西に向かって緑道を抜けていくのが近道になっている。
北側に再び脇道が現れるが、高さが合っていないのため階段で合流していた。
緑道の中央には大きな木と高く育ったツツジが見える。
北側の道路には真言宗智山派の泉福寺がある。鎌倉時代に創建されたとされる寺で、明治初期には小学校もここを間借りして設置されていたそうだ。
泉福寺前の道路を西向きに見たところ。水路敷らしい細道の入り口から西へ路肩が広くなっている部分がある。ここもかつては側溝だったのかもしれない。
緑道に戻って西へ進んだところで、緑道の北側に並走する細い道を見つけた。これも水路敷らしいのだが、旧流路なのか、支流なのかはよくわからない。
並走する細道の方を西へ進んでいくと、途中で北に向かう道があった。
向かった先には板橋区赤塚支所(赤塚庁舎)があった。
並走する道の方はやや広くなっているが、さきほどの道から西へ二つ目の路地は蓋暗渠になっていた。
段差のところで蓋暗渠は終わっているが、その先も側溝付きの水路敷が北へ続いている。
赤塚庁舎の西側に谷筋があり、都道446号(松月院通り)まで上っていっている。松月院通りを越えて北側の旧道は前谷津川水系と白子川水系(赤塚川または谷津田川)との分水嶺になっているが、北側の谷の入り口に庚申供養塔が建っていた。宝暦2年(1752年)の銘がある。
さて、前谷津川緑道脇の水路敷まで戻ってみよう。途中まで普通に道路だった道は水路敷らしい細道に変わる。
進んでいくと右側(北側)から蓋暗渠が交差してくる。
北側に向かう蓋暗渠。行き止まりで左に曲がっているように見える。
南側を見てみると、舗装された水路敷と、未舗装の水路敷に挟まれて倉庫が建っている。その向こうに見えるのは前谷津川緑道(ここでは車道)。
前谷津川緑道側から上流方向を見る。左側(南側)から道路が合流してくる。
倉庫を右目にして、正面には赤塚しのがやと公園が見えてくる。
公園の周りには幅の広い遊歩道が整備されているが、本来の川筋は公園の中を抜けていたようだ。公園の名前にあるように、近辺の字名は「篠ヶ谷戸」と呼ばれていた。あたりには篠竹が茂っていたことから名付けられたという。
公園北側で下流側をみたところ。さきほどの脇道と交差していた蓋暗渠がここからまっすぐ流れていっている。
公園の上を見上げたら不気味な雲が垂れ下がってきていた。いわゆる乳房雲というものだろう。この日(2019/5/4)は東京から埼玉にかけての広い地域でみられたようだ。
赤塚しのがやと公園の南側には、前谷津川の流れを模した石畳の水路が造られている。
南側の道路から分岐点を見る。その先に上流部分が車止めのある道路になって続いている。
くねくねとした水路敷の道路を進んでいくと、正面に突き当たりが見えてくる。