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桃園川の水路敷群(阿佐ヶ谷川)
地図
OpenStreetMapで今回行く阿佐ヶ谷川の流路を見る。
阿佐ヶ谷川は桃園川の支流で、青梅街道を流れていた六ヶ村分水(玉川上水の分水である千川上水のさらに分水)から桃園川に水を分けていた。
阿佐ヶ谷は駅名で、地名は「ヶ」のない阿佐谷北、阿佐谷南だが、音の通り地形は桃園川と支流のいずれも浅い谷があることに由来すると思われる。中世には江戸氏の一族、阿佐ヶ谷氏が支配していたという。
路地
桃園川から阿佐ヶ谷駅までの流路は諸説あってはっきりしない。時代によって変遷があるのかもしれない。中央線ガードの北側には水路敷らしき路地が残っており、ここを流路とする地図もある。
このページの写真は2020/12/12撮影。
かわばた通り
駅を通り過ぎて中央線ガード南側に「かわばた通り」という看板のある細い路地がある。
行き止まり
路地はすぐに行き止まりになってしまうが、突き当たりの奥には寿々木園という釣り堀がある。
南側
いちょう小路という横丁を挟んで南側にも、旧流路とされる道路がある。この道路も含めて「かわばた通り」と呼ばれているらしい。奥には釣り堀が見える。
釣り堀
車止めの向こうに釣り堀の看板。結構客が入っていた。水路敷に釣り堀というのは昔はよくあった組み合わせのようだが、現役なのは珍しい。大正13年(1924年)創業といい、金魚を釣ることができるだそうだ。
くねくね
釣り堀を過ぎると水路敷はくねくねと曲がっていく。
蓋暗渠
車止めの先に蓋暗渠が出現。写真奥の植え込みのようになっている部分も蓋暗渠になっている。
道路脇
道路脇に点々とブロックの車止めが置かれている、かつて東京ではよく見かけた蓋暗渠の形。
この先行き止まり
道路が突き当たりになったところに、手書きで「この先30Mで行き止まり」と書かれた水路敷が続いている。
30M?
30mで行き止まりになっているようには見えないが、とりあえず進んで行ってみよう。
行き止まり
100mくらい進んだところで確かに行き止まりにはなっていた。もともと阿佐ヶ谷川は塀の先にある杉並第七小学校の敷地内を東西の二手に分かれて流れていたらしい。
支流
ここで一度、行き止まりの水路敷にきたから合流している支流を見ておこう。合流部分は民家の敷地になってしまっているが、北側の道路には道路を渡る水路敷が残されている。
カーブ
蓋暗渠が西向きにカーブしていく。
出口
駐車場の横で蓋暗渠はおしまい。
上流端
蓋暗渠の先を少し進むと道路に出るが、左側の幅の広い部分が水路敷のように見える。このあたりが上流端ということになるだろう。
杉並七小
杉並第七小学校の南側まで回り込んできた。小学校の敷地になるところで道路幅が広がっており、このあたりが水路敷であったと思わせる。
蓋暗渠
小学校の南西側に再び蓋暗渠を発見。すぐに南に向かって曲がっている。
カクカク
カクカクと曲がりながら水路敷が進む。写真奥で行き止まりになっているように見えるが…
西へ
西に向かって続きがある。青梅街道に出る前に、この先でついに行き止まり。
続き?
少し西側へ進んだところに水路敷の続きと思われる細い路地があった。
分水口?
青梅街道側から路地を見る。ここが分水口だったのかどうかはわからないが、現在の上流端ということになるだろう。
六ヶ村分水(半兵衛相澤堀)は関町で千川上水から分水し、この阿佐ヶ谷口まで導水していた。途中では井草川、妙正寺川、善福寺川、桃園川にも給水していたという。
開渠
2022/5/8。青梅街道から相澤堀が見えているというので行ってみた。阿佐谷南三丁目バス停前にあった建物が解体されたため、その裏側にあった開渠が姿を現している。
行き止まり
開渠は北側のマンション入り口で行き止まりになっているが、かつてはここか、前の写真のあたりで青梅街道から分水していたものと思われる。
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