妙正寺川・井草川の水路敷群(本天沼の支流)
OpenStreetMapで
鷺の橋から早稲田通りまでを見る。
今回は中野区白鷺から、杉並区下井草を抜けて本天沼へ、蓮華寺と天沼中学校近辺まで支流をさかのぼってみる。
妙正寺川からの分岐点は、西武新宿線鷺ノ宮駅西側にある鷺の橋のたもとから。
ここからの写真は2014/2/22撮影。
鷺の橋から南西へ。駐車場の左側を進んでいる道が水路跡と思われる。
谷側の道は上の写真の奥で左に曲がり、一つ南側の道と合流する。
南側の道を少し戻ると南側がかなり高低差のある崖になっており、かつてはこちらの道にも水路があったのかもしれない。
谷側の道との合流部分。写真左側、フェンスの手前に注目してほしい。
グラウンドに向かっている蓋暗渠を発見。水路はどうやらグラウンドの下を抜けていたようだ。
グラウンドの先で、枯葉の中から蓋暗渠が再び顔を出す。フェンスの左側、道路部分にも2枚ほど蓋がはみ出している。
水路敷はガードレールで終わり、その向こうにある特別養護老人ホーム脇の道路になって続いている。
道路は途中から小綺麗に整備された遊歩道になっていて、東西に車で通り抜けることはできない。
水路らしいクネクネした道が続く。写真奥に見える家のあたりで、水路が交差している場所に出るのだが、そこは次のページで。
遊歩道を出たところで、水路と水路が交差する場所に出る。このあたり、時期によって流路が異なるようで、左岸側も含め複数の流路が交錯しているようだ。
まずはそのまままっすぐ妙正寺川まで進んでみる。河川敷の部分だけ残された蓋暗渠に出会う。
少し上流よりにある井草下橋から蓋暗渠を見ると、大きな排水口らしきものが口を開けているのがわかる。
蓋の下には排水口ではなく、かつて開渠だった時のままの水路が残されていた。昭和38年の空中写真では、ここから妙正寺川と別れる開渠があるのを見て取ることができるので、妙正寺川の改修工事で取り残されてしまったのかもしれない。しかし、なぜ埋めていないのだろうか。
ひとつ上流の井草橋の右岸側には、大きな排水口が見える。ここには古い流路はなく、下水道として新たに開通したものかもしれない。
続いて、下流よりの水路敷から本天沼を目指して進んでいこう。
水路の交差点から少しの間広い道だった水路敷は、すぐに新しい車止めに阻まれて細い水路敷へと変わる。
再び新しい車止めに出会ったところで、水路敷は右へクランク状に曲がって行き、道路と段差が付いた状態になる。
車止めの右手前にあるのが下井草いど公園。名前の通り写真奥に古い井戸がある。
井戸は現役のようなのだが、杉並区の看板ではこの水は飲めませんとなっている。
クランクの先、水路敷は右側の道路よりも低い位置で直進する。
道路との交差点では、水路敷は道路の高さまでかさ上げされているようだ。
ここからの写真は2013/4/7撮影。
東原中学校の前で、水路敷は道路と分かれ、左に向かう。
しばらくそのまま進むと、水路敷はいったん早稲田通りに突き当たる。次は早稲田通りの先、本天沼をさかのぼっていくとしよう。
水路は早稲田通りをまっすぐ横断するわけではなく、やや西寄りにずれた位置で横断する。写真ではバスの先端あたり、クリーニング店の西側に上流部への入り口がある。
下流部の合流場所から少し西へ移動したところにある出世大鷲(おおとり)神社。大正10年(1921年)の創建という比較的新しい神社で、かつて天沼本村(ほんそん)と呼ばれたこのあたりで捕まえた大鷲の祟りを恐れて祭ったものという。
ここにも金太郎はいないが、車止めの向こう、上流へ進んでいこう。
杉並区らしいエンジ色の(すっかり塗装が剥げてはいるが)車止めを右にみつつ水路敷をすすむ。ふと、足元に変わったマンホールを見つけた。
「測量」と大書きされた三級基準点のマンホール。どうやら、この蓋の下に基準点の標識が隠されているらしい。
電柱を抱え込みつつ道路と交差する水路敷。手前の水色の塗装は練馬区によくある「水路敷」のペイントではなく、止まれの標識だったと思われる。
交差点を道路側から。杉並区では良く見かけるイルカとワニの絵が描かれている。本来、止まれの標識になっているはずなのだが、肝心の「とまれ」の文字は消えてしまっていて知らない人が見ても意味がわからない。
再び上流へ進んで行く。このあたり、遊歩道として整備されているようではあるが、そこそこ荒れている。
今度は上流の水路敷側にライオンの絵。これも「とまれ」の文字は残っていない。
しばらく進んだところで、水路敷は幅の広い道路へ合流する。
合流部分を上流から。左は車両も通行できる一般道で、ここから道幅が倍になる。昭和22年の空中写真を見ると、道路とやや離れた場所に開渠があり、そこを道路でつないでしまったためにやたらと道幅が広くなったようだ。
その道路の北側にあるのが真言宗室生寺派の天沼山蓮華寺。室町時代の開創と伝えられる寺で、かつてはここに湧いていた池を水源としていたとも聞く。
一方、幅広の道路はそのまま続いていて、すぐ西側にある厳島神社の前で左に進み本天沼稲荷神社へ向かう細い水路敷と、直進して猿田彦神社へ向かう幅広い道に分かれている。
広い境内にこじんまりとした祠が安置されている厳島神社。細い水路敷は神社の南側(写真奥のフェンスの向こう)を進んで行く。
厳島神社の先、ゴミ集積所を通り抜けて、水路敷は続いている。
ここのライオンには「とまれ」のペイントが残っていた。
水路敷の終わりを出口から。この先(写真後ろ側)は一般道路となってしまう。
上の写真右側に写っているのが本天沼稲荷神社。保食神(うけもちのかみ)を祭神とし、おそらくは蓮華寺と同じ頃に創建されたものと思われる。さきほどの厳島神社はこの境外末社にあたるそうだ。
当初、このあたりで水路敷はたどれなくなると考えていたのだが、あとでこの神社の西側から細い水路敷がまだ続いていることがわかった。
本天沼稲荷神社の鳥居から西を向いたところ。正面左側にある細い路地が実は水路敷だった。
ここからの写真は2016/3/12撮影。
南へ、西へと二度の直角を過ぎると、蓋暗渠の幅が細くなっていく。
蓋暗渠の出口側から下流方向を見る。天沼小学校の北にある道路に突き当たって、蓋暗渠は唐突に終わっている。
続きは見当たらないので、本天沼稲荷神社の北側に出てきた水路敷の延長にある道路を進んでみると、南側の私道脇にいかにも水路敷っぽい歩道があった。歩道は正面に見える木のあたりで終わっている。
この先、私道を抜けていくと最後は天沼中学校が見えるところまで行けるが、水路敷なのかどうかは分からなかった。