妙正寺川の水路敷群(上高田の支流)
中野区の住居表示街区案内図。今回は新井薬師方向から新宿区と中野区の境に向かって流れていた上高田の支流を歩いてみよう。
上高田の支流が妙正寺川に合流するポイントは河川改修の影響もあってよくわからない。まずは中井駅南側の山手通り高架下、中井ふれあい橋から妙正寺川を上流方向に見たところ。右岸側の落合五小南側にある崖に向かってこのあたりで水路が合流していた可能性があるが、痕跡はわからない。
ここからの写真は2021/11/27撮影。
道路を挟んで南側の坂道を上っていく途中、西に向かう崖にあるフェンスに挟まれた空間。水路敷のような気もするがはっきりとはしない。ここから西側の崖は住宅の裏になっているのでいったん妙正寺川に戻ってみることにする。
美仲橋の下流、右岸側に封鎖された排水口がある。
昭和22年の空中写真ではここが水路の出口になっていた。
ここからの写真は2021/2/13撮影。
右岸側に渡り、旧水路の道を進んでいくことにする。交差点を渡ったところで、道路は西向きに曲がっている。
くねくねと曲がっていた水路はそのまま道路の形で残っている。
水路跡よりひとつ北側の道路から、妙正寺川に向かってアパートの間に蓋暗渠が残っているのを発見。地図上でも、ここには川から流れてきていた水路敷があったようだ。妙正寺川からはよくわからない。
しばらく道路を進んでいくと、唐突に行き止まりのような場所に行き当たる。わかりにくいが、正面写真奥からと、写真左からそれぞれ水路敷が合流している。まずは正面側を見ていこう。
正面に見える細い隙間は鉢植えでふさがれているように見えるが、実は入っていくことができる。
ここからの写真は2021/2/11撮影。
少し幅が広くなったところで道路に出る。ここから上流側はいったん痕跡を見失う。
ふたたび妙正寺川に戻ってみる。新杢橋西側、新宿区と中野区の区界にあたる場所に小さな排水口がある。
ここからの写真は2021/2/13撮影。
さらに西側には、かなり大きな排水口が口を開けている。水も流れ出ており現役の水路のようだ。
上流側の水車橋から南へ進んだところ。マンションの下に西に向かって封鎖された蓋暗渠を発見。
蓋暗渠はマンションの先もまっすぐ西へ進んでいく。西のほうは工事現場になっているため上流側がどうなっているのかはよくわからない。
こちらの流れの上流端は、東光寺別院櫻ヶ池不動院の境内にある桜ヶ池。古くから湧水があった場所に不動尊が祀られていたという。
さて、それでは合流点まで戻って、南へ向かう上高田の支流を見ていこう。しばらくは、この水路敷が新宿区と中野区の区界になっている。
ここからの写真は2021/2/11撮影。
写真左の新宿区側のほうが低く、右の中野区側の方が高くなっているように見える。
水路敷は掘割状態で落合斎場の本館と駐車場をつなぐ陸橋の下を潜り抜けていく。
その先では、住宅の玄関が水路敷に向かって開いている。ここでは普通に道路として使用されているようだ。写真奥で道路に出たところでいったん水路敷の痕跡がなくなっている。
一本南側の上高田中通りから白桜小学校に向けて水路敷が残っているが、すぐに小学校の敷地で行き止まりになっていた。
白桜小の南側に回り込んで下流方向を見たところ。柵の部分が水路敷なのだろう。崖の上には早稲田通りに面して新井白石の墓がある高徳寺など5つの寺が並んでいる。高徳寺は浅草に多くある真宗大谷派の寺院で、区画整理に伴って浅草から中野区へ移転してきたという。
上流側は再び道路として使われている水路敷が残っている。
早稲田通りの北側を並走するように、西へ向きを変えて進んでいく。
擁壁の下を水路敷が進む。崖の上、早稲田通り沿いにはこちらにも多くの寺院が並んでいる。こちらはいずれも牛込から移ってきたようだ。
南側、住宅地の裏には苔むした擁壁の下を通る細道があった。
しばらくそのまま進んでいき、大日橋通りに向かうところで水路敷は上り坂になった。
坂道を上って大日橋通りを越え、コモディイイダの裏を進んでいく。
大妻中野中学校・高等学校の裏で水路敷は北向きになっている。
大妻中野の北側。水路敷と道路の交差点は五叉路になっている。写真中央の細い道が上流方向となる。
いったん北に向かうが、すぐに西に向かって曲がり、薬師柳通りにむかって進んでいく。
薬師柳通りの西側は、気を付けないと見逃してしまいそうな細い水路敷。
ここからの写真は2021/2/13撮影。
狭い道だが人や自転車の通行はそれなりにあるようだ。
クランク上に水路敷が左右に曲がって、最後は早稲田通りに向かっていく住宅裏の通路のような状態。はたしてここが水路敷なのかどうかはよくわからない。
早稲田通り側に回り込んでみた。早稲田通りから分かれた道路に未舗装の水路敷が出てきているので、どうやらここが上流端ということになるだろう。
ところで、早稲田通りの薬師あいロードの東側に門扉のついた通路がある。ただの通路なのか、水路敷の蓋暗渠なのかは判断に迷うところだ。
その薬師あいロードを進んでいった先にあるのが新井薬師こと梅照院。天正14年(1586年)創建といい、梅の古木から発見された二仏一体の薬師如来・如意輪観音を祀るために建てられたという。
新井薬師の山門の隣には、小さな豊川稲荷が祀られていた。