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妙正寺川の水路敷群(沼袋駅近辺)
なかの便利地図
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今回は沼袋駅から野方駅の間、主に妙正寺川左岸の水路跡を探していく。
第十五号橋
西武新宿線が妙正寺川を越えるところにある第十五号橋というちょっと変わった名前の橋。このあたりで沼袋駅北側を流れていた水路が妙正寺川に合流していた。
ここからの写真は2021/7/15撮影。
排水口
左岸側の橋のたもとには現在でも吐出がある排水口が口を開けている。
地下化工事
沼袋駅から野方駅の間では、西武新宿線の地下化工事が進んでいる。昭和22年(1947年)の空中写真では、西武線に沿って水路が流れていた。
氷川神社前
氷川神社前で道路が右(北)へ少しだけ曲がっているが、水路も道路の左(南)側を並走していた。
沼袋氷川神社
中野沼袋氷川神社は南北朝時代の南朝・正平元年/北朝・貞和2年(1346年)に大宮の氷川神社から分霊したと伝わる古い神社。
蛇行
水路は沼袋駅方向と、北寄りの道路から流れてきていた。
新栄橋
一方、妙正寺川に架かる新栄橋から北に向かう道路にも、かつては水路があったようだ。
ホーム
こちらの水路は沼袋駅のホームに突き当たってその先はたどれないが、もとはそのまま北側へ抜けてさきほどの交差点から分かれてきていたらしい。
交差点
沼袋駅北側の交差点。ここに写真正面奥の道幅が変わるところで左(南)から流れてくる水路と、写真右(北)にある禅定院の池から流れてくる水路が合流していたとされる。
禅定院
真言宗豊山派の禅定院。こちらも南北朝時代の正平17年/貞治元年(1362年)開創と伝わる。
路地
交差点西側から来る水路のほうを見ていこう。駅北側の住宅地になっているところを、水路は南北にジグザグに通り抜けている。
幅広
住宅地の路地にしては道幅が広いのは、もともと水路があったからだろう。
屋根
道路の上に櫓のような大きな屋根がかかっている場所に出た。水路はもともとは写真右側のマンションの敷地あたりを通って西から流れてきていたらしい。
一の湯
大きな屋根は一の湯という銭湯だった。
商店街
一の湯で西を向いたところ。水路は商店街の通りを越えて、西から流れてきていた。
沼袋交番
いったん妙正寺川に戻って、平和公園通りが渡る新道橋の左岸側を下流方向に見る。沼袋交番の裏側の斜めになっている境界線は妙正寺川の蛇行跡と思われる。
上流側
道路を挟んで上流側にも緩やかに妙正寺川に向かってカーブを描く空間があり、蛇行跡であることは確かなように思える。
右岸
蛇行跡は右岸側にも続いている。写真奥の平和の森公園に向かっている道路がそれ。
分岐
道路はすぐに妙正寺川に向かってカーブしていく。
路肩
さて、一の湯から北側の道路に戻って進んでいこう。道路右側(北)の路肩部分を水路が通っていたのだが、道路と一体化してしまっていて痕跡は残っていない。
沼袋2号踏切
沼袋2号踏切の西側で水路は西武新宿線を渡っていた。
交差点
微妙に道路が蛇行した先にある交差点だが、昭和22年(1947年)の空中写真では、交差点右側(北)から水路が合流してきていた。そちらは通称「くろんぼ川」という水路(「古老の語る沼袋・江古田の歴史Ⅱ」P33、中野区沼袋地域センター、1990)で、野方駅の北側を抜けて新青梅街道北側の丸山公園あたりからの排水を集めて妙正寺川に流していたというが、そちらは改めて見ていくことにしよう。
上流側地図
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焼肉
まずはまっすぐ進んでいく。
ここからの写真は2021/7/16撮影。
小学校跡
2011年(平成23年)に閉校した沼袋小学校のあたりで若干道路が左右にふらつく。
ぐねぐね
ところで、そこから妙正寺川に一回行ってみたところ。沼袋西公園のあたりでは、改修したにも関わらず川筋はぐねぐねと左右に蛇行している。
バス停
一方、水路はしばらく進んでいったところで、関東バスの中野工業高校バス停が見えたところで突き当りになる。水路は右側(北)から流れてきていたようだ。
関東バスの狭隘路線では、割と無理な場所にバス停が設置されていることがあるが、このバス停は交差点よりもやや脇道に引っ込んだ場所に立っている(バスは写真奥の道路を左右に進んでいる)。写真右の土地で工事があるため、しばらくバス停は右(北)側の丁字路まで移動するという告知が出ていた。
丁字路
北側の丁字路からさらに西へ向かう。
がんかけ地蔵尊
ところで、バス通りを少し北へ進んで坂を上ったところ。三叉路に、がんかけ地蔵尊がある。享保21年(1756年)建立の庚申塔と、延享元年(1744年)建立の地蔵尊が並んでいる。
中野工高
戻って上流方向へ。中野工業高校前の蛇行。中野工業高校は現在建て替え工事の準備中で、高校の敷地の間を流れる妙正寺川の改修工事が行われている。
環七へ
高校を抜け、環七へ向かって進んでいく。
環七と階段
環七通りが坂道を作るためにかさ上げされているため、水路との交差点には階段が設置されている。
地下調整池
環七の西側に水路が妙正寺川から分岐するポイントがあったはずなのだが、そのあたりは現在地下調整池の工事のため巨大な仮設構造物が川をまたいで建てられているのでわからなくなってしまっている。
くろんぼ川
つづいて、くろんぼ川の流れを見ていこう。
平和の森橋
まずは妙正寺川まで戻って平和の森橋から右岸方向を見たところ。写真奥の平和の森公園から湧水がでているような親水公園になっているのだが、自然の湧水なのかどうかはわからない。
ここからの写真は2021/7/13撮影。
排水口
平和の森橋を渡って左岸側を見る。橋のたもとに流れ出ている排水口が、おそらくはくろんぼ川からの水を妙正寺川に落としている。
段差
河川敷と北向きの道路の間には、微妙な段差がある。
凸凹
沼袋駅へ向かう水路との交差点へ向かう。道路の左右の土地がセットバックされていたりなかったりで、元々は細い路地だったであろうことが推測できる。
交差
水路との交差点を越えて西武新宿線方向へ。
植え込み
空中写真との比較で考えると、植え込みではなく道路のほうがかつての川だったと思われる。
通行止め
西武新宿線は地下化工事中のため、ここで道路は通行止め。もともと踏切はもっと西寄りにあるので、ここでは川だけが線路の下を潜り抜けていたはずだ。
庚申塔
線路の北側へ回ってみる。水路の東側には「古老の語る沼袋・江古田の歴史Ⅱ」でお地蔵さんとされているが笠付青面金剛庚申塔がある。
カクカク
水路は線路北側でも道路になっているが、カクカクと曲がりながら進んでいく。
クランク
道路と交差する前にクランクがあるが、水路があったころからこのように曲がっていた。
まっすぐ
クランクの先はまっすぐ上流へ向かっている。
環七
徐々に西向きになっていった道路は環七に交差して、さらに西へ向かっている。
開渠の始点
環七を渡って西側に進んできたところで振り返って下流方向を見る。写真手前の交差点で、水路は左(北)から流れてきており、交差点から東側は開渠になっていた。現在では痕跡を見ることはできない。
路地
水路はすぐに再び西に向きを変え、野方駅北口の商店街へ向かう。
電器店
商店街の派手な看板が目印の電器店を通り抜けると、写真奥は北原小学校の敷地に突き当たっている。道路は右側にそれるが、水路は小学校の敷地の中を抜けていたようだ。
西側
北原小学校の西側に回り込んでみると、1区画道路として水路の跡が残っているが、その先は住宅の敷地になっていて入ることは出来ない。
水路敷?
一方、そこから一本南の道路を進んでいったところに不自然な空間がある。昭和22年(1947年)の空中写真では農地の一部だが、水路があるようにも見える。
暗渠?
道路はその先で北に転進しているが、そのまま進んでいくと曲がり角で微妙な隙間だけが直進していく。
蓋暗渠
北側まで回り込んでみると、住宅の間に明らかに蓋暗渠と思われる空間が残っていた。写真は下流方向で、上流方向には痕跡は残っていない。
新青梅街道
西側の水路は痕跡がないが、東側の水路は道路として残っており、進んでいくと新青梅街道に出る。
丸山公園
新青梅街道北側の丸山公園が水路の起点と思われるが、公園のプールも湧水とは関係ないようなので痕跡は見当たらない。
by Natrium