妙正寺川の水路敷群(中野工高~双鷺橋)
OpenStreetMapで
妙正寺川環七近辺の地図を見る。現在の妙正寺川の左右両岸には旧流路と思われる流れの跡があるが、今回は右岸側を見ていく。
三谷(さんや)橋から右岸側を上流へ向かう。妙正寺川の両岸に渡って中野工業高校の校舎があるが、旧流路は校舎の西側に回り込んでいく。
ここからの写真は2021/7/24撮影。
環七を渡る部分はかさ上げされてしまっているのでよくわからないが、歩道橋から上流側を眺めてみると、上流へ旧流路跡が続ているのがわかる。
道路の北側、妙正寺川との間にある大和公園を右に眺めながら上流へ進んでいく。現在の大和町(やまとちょう)は元は上沼袋村大場(おおば)という地名で、野方村上沼袋を経て昭和7年(1932年)の中野区誕生時点では沼袋南となったものの、地元の請願で昭和9年(1934年)に大和町へ改称している。当初「大場」という地名を復活させようという動きもあったというが、賛成しない住民もいて新地名となったという話(参考:
「大和町うるわし 東京都中野区大和町の歴史」2015中野区大和区民活動センター運営委員会発行、大和地域歴史編纂委員会編集)
旧流路はしばらく進んだところ、宮下橋の南詰で明和中学校(旧第四中学校)のブールにぶつかっている。かつてはプールの脇を抜けて、校庭のあたりを流路が流れていたようだ。
妙正寺川の宮下橋下流側から見たところ。左は大和公園で、公園脇に水路敷が残っている形になっている。
そこから妙正寺川を見たところ。宮下橋北詰には、大きな排水口が口を開けている。
明和中学校の校庭を上流側に回り込んで上流からみたところ。
ここからの写真は2021/7/18撮影。
上流側は道路を渡って路地が続くが、写真奥で妙正寺川から分かれてきた水路が道路に合流していたと思われる。川からの分岐あたりは私有地に巻き込まれてしまっているため、よくわからなくなっている。
その路地のひとつ南側にある路地も、水路の跡かも知れない。ここに大和町の早稲田通り北側から流れてきた水路があったようだ。
道路が突き当たったところで南へ転進。
ここからの写真は2022/8/6撮影。
明和中学校や西側にある美鳩小学校の通学路になっているためか、危険徐行の看板が置かれている。
進んでいくと交差点の付近で左(東)側に擁壁があり、東の方が高台になっていることがわかる。
交差点手前、グレーチングの先には2013年ごろまで蓋暗渠が残っていたという。Google Mapでは2009年時点のものが確認できる。
交差点に出たところで左側の道は階段になっていた。正面奥に向かって水路敷と思われる隙間があるが、その先で終わっているようで上流端を見つけることはできなかった。
蓮華寺から流れてくる支流の妙正寺川との合流点は美鳩小学校の敷地になってしまい、よくわからない。美鳩小の裏口から西に向かって道路北側にある不自然な歩道が水路敷だろう。
昭和22年の空中写真では、水路が美鳩小学校(当時は大和小学校)の西側にもあるのだが、宅地化されて区画整理されているため途中の痕跡は残っていない。
この写真は2021/7/18撮影。
美鳩小学校の東側にある下谷橋の脇には、美鳩小学校の敷地を流れていただろう支流の排水口が残っている。
ここからの写真は2021/7/16撮影。
美鳩小学校の西側にも大きな排水口が口を開けていて、ここだけかつての水路の痕跡を残している。
さきほどの道路に戻って上流へ進んでいく。黄色い自販機の横に出てくる細道が支流の水路敷だったところ。
ここからの写真は2021/7/18撮影。
坂を上りきる手前にコンクリート製の車止めが2つ立っている。その奥にフェンスで道路と切り離された水路敷の上流部分が見える。
フェンスの向こうには舗装された水路敷が続いているので、かつては通行できたのかもしれない。水路敷は蓮華寺境内の池から始まっているらしい。
蓮華寺は明治44年(1911年)にこの地へ移転してきた日蓮宗の寺院で、万治元年(1658年)創建時は文京区の旧関口台町にあったという。
さて、ここからは一度妙正寺川へ戻って右岸の上流側を見ていこう。寿橋(人道橋)の上流側に草が生えている排水口がある。ここから上流へ旧流路を進んでいく。
旧流路は道路として使われており、都営大和町四丁目アパートの南側に回り込んで上流へ向かっていく。
すぐにまた車止めが出現し、その向こうは車両通行可能な道路になる。
車道だと思って進んでいたら、コンクリート製の車止めに遮られた。
車止めの先は、歩道を含めてやたらと道幅のある一方通行路になっていた。
ところで、さきほどの車止めから妙正寺川の鷺盛(ろせい)橋に向かうところで、上流方向に向かって謎の空間がある。水路敷ではなく写真奥の都営白鷺一丁目アパートの中を通る道路の東端だったようだが、道路の北側を白鷺せせらぎ公園として整備した結果、この部分が不要になったのかもしれない。
一方通行路にも謎の道路がある。南側に向かって折れ曲がった部分が車両通行止めになっていて、実際にはまったく使われていない。
昭和38年の空中写真を見ると、アパートを造成した際に水路を迂回させた跡らしい。
一方通行路の南側は崖になっており、写真奥で道路は北向きに大きく転進している。かつての水路は現在の一方通行路に沿っていたのではなく、ゆるやかなカーブを描いて妙正寺川に並行していたものを、アパート建設時に用地の間を縫うように付け替えられ、さらにまっすぐ道路が敷かれたので元の状態はよくわからなくなっている。
北に曲がって一方通行路の入り口、向かい側に工事中の道路があるが、ここは水路跡ではない。
途中で車両通行可能となった道路は若草通りとの交差点へ。写真奥の交差点にある標識にカバーがかかっているが、一方通行になっている若草通りの丸山橋が工事で通行止めになっているため、右側は一方通行が解除となっているのだ。
若草通りを東へ進んで丸山橋まで行ってみた。妙正寺川改修工事に伴う橋台の工事で通行止めになっている。
若草通りからさらに北へ。なんだか路肩がくにゃくにゃしている。
くねくねと曲がりながら北へ進んだ道路は福蔵院の裏口にぶつかって妙正寺川へ曲がる。福蔵院は崖の下に境内があり、旧流路は境内を流れていた可能性もある。
ここからの写真は2021/7/24撮影。