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貫井川と周辺の水路敷群(向山ヶ谷戸)
OSM
OpenStreetMapで貫井川東寄りを俯瞰してみる。
地図の北側にある石神井川の支流である貫井川の本流は、南西方向に向かって上っていくが、今回の探索は途中からほぼ真南へ上っていく支流を進んでみよう。
このあたり、地名としては練馬区向山(「むこうやま」ではなく「こうやま」)にあたるが、練馬まちづくりセンターが発行する「こもれび」51号の記事によれば「向山ヶ谷戸(こうやまがいと)」という谷になっている。
2017/7/20追記:地名としての向山ヶ谷戸(古地図では「コヤマガイト」ともある。地元では「こやま」と読んでいたそうだ)は、現在の向山二丁目、三丁目付近の小字名だったとされているので、その旨補足しておく。
1961年
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)
豊島園の南側から、4つの谷が並んでいるのが分かる。今回行くのは右から3番目。
昭和23年
国土地理院Webサイトから昭和23年(1948年)空中写真(米軍撮影)を見る。
写真中央やや下寄り、南北方向に住宅や木々が密集している場所があるが、これが貫井川東側にある向山ヶ谷戸の谷。
石川橋
出発点の石川橋(南側から下流方向)。写真後方に見える柵の向こうが豊島園の敷地北端部だ。
ここからの写真は2014/1/25撮影。
路地
上の写真から振り返って南を向くと、橋のたもとにインターロッキングで舗装された路地があった。
一見、ここが水路敷のスタートかと思いきや、写真奥で行き止まりになっていた。上の空中写真でも水路ではなく、どういう存在なのかは謎。
水路敷
上の空中写真では水路になっていたところは、立派な道路になってしまっている。写真左側にはすぐに崖が迫ってきており、崖沿いにかつては水路があったようだ。
分かれ道
少し進んだところで、右側に遊歩道化した水路敷が現れる。
これは貫井川本流とつながる水路敷で、向山ヶ谷戸の谷へ向かう水路は直進していたようだ。崖を左に見ながらさらに進む。
変電所
上の写真突き当りをカクカクと西に曲がった後、東京電力の変電所を過ぎたところで下流側を振り返って一枚。
いかにも水路っぽいカーブになっている。
水路敷
写真を撮った位置から北側を見たところに、いきなりインターロッキング舗装された水路敷がある。
ここからが、向山ヶ谷戸の谷の始まり。
隙間
水路敷は住宅の隙間をほぼまっすぐに南下していく。
道路と出会う
途中、一般道と出会う。
くねくね
クネクネと水路敷らしくなってきた。
崖下
交叉する道路の左側がものすごい坂になっているのがわかるだろうか。
坂
左側の坂。かなりの急斜面。
右側
右側も実はすぐに坂道が迫っている。非常に狭い谷間になっているのが分かる。
猫対決
さらに南下を続けると、その先の交差点では二匹の猫が道路を挟んで対峙していた。
三毛
カメラで狙っても動じる様子もなく、
縞
にらみ合いを続ける猫たち…
壁
猫たちをやり過ごしてさらに進む。
左側から壁が迫ってきた。右側も高くなっており、谷底を縫って水路敷が進む。
行き止まり?
はて、行き止まりか。
と思ったが、行ってみると水路敷は左に折れ曲がって続いていた。
折れ曲がり
民家の裏を水路敷が折れ曲がりながら続く。
谷頭
中古車ショップののぼりが見えてきたところで、階段となって水路敷は終わる。
階段
階段は目白通りに接続している。目白通り側から高低差を眺める。
目白通りの北側、写真左の一角だけが深い谷になっており、家も谷底に並んでいる。車で通ったのでは気が付きにくいが、かなり変わった空間だ。
目白通り
目白通りの南側から見てみる。
通りの向こうにいきなり谷が始まっていて。一見住宅の1階に見える部分は、実は2階。
南側
目白通り南側には、旧道らしき道がわずかに張り出しているが、そこに谷はない。
どうやら、かつてはここで道路が谷を避けて南に曲がっていたようだ。したがって、道路のあたりがもともと谷頭だったということになる。
今回の探索はここで終わりとしよう。
2016年
おまけで2016/10/22の向山ヶ谷戸の谷の最上流部。谷頭にあった住宅がすっかり更地になってしまった。
その後跡地にはオフィスビルが建設された。
by Natrium