貫井川(目白通り〜秋葉神社)
OpenStreetMapで
貫井川の目白通り南側を見る。
現在の貫井川緑道を中心に、微妙な川跡や谷筋が分かれ、両側には結構な高低差のある崖線が見える地形になっている。
今回は目白通りからまっすぐ南下し、水源地のひとつであると思われる秋葉神社へ向かってたどってみる。
目白通りを東側から貫井川に向かって見る。
ここではかなり深いV字谷のように見えているが、実際には谷の両側はかなりの角度を持った崖になっていたようだ。
ここからの写真は2014/10/11撮影。
写真左側が貫井川緑道の入口だが、そのわずか西側に川跡のような微妙にカーブしている道がある。
昭和22年の空中写真では、東側にも川跡があるように見えるのだが、そちらは写真左のマンションに飲み込まれていて痕跡は残っていない。
正面に「貫井川緑道」の扁額が掲げられた水路敷の入口。
緑道の東側には、かなり高低差のある崖下の道がある。
上の写真の川跡が合流したあと、緑道の西側には駐車場が広がっているが、その先は段丘状に登っていく崖がある。
駐車場の南側でもう一度分岐する川跡らしき道路。写真正面奥にある白いマンションのところで行き止まりになっている。
駐車場の南側にある崖上への段差。上がって左の道は、練馬第二小学校に向かってもう一段、段差を上っていく。
上の写真の右側に分かれていた川跡が合流し、マンションの東側で緑道と道路が並行になっている部分。
交差する道路の東側から。緑の柵が緑道で、このあたりでは西に向かってやや緩やかに坂になっている。
その坂道の途中で南に向かう細道その1。川跡なのかどうかはよくわからない。
さらに西側にもう一本細道がある。西側は段差があるようだ。
緑道をさらに南へ進むと、水路敷どうしの交差点が現れた。
交差点を東側から。なぜかここだけ未舗装路が残されている。田圃の用水路がここだけ残されたのだろうか。
写真ではわかりにくいが、緑道よりも西側の方がやや窪んでいるように見える。貫井川は昭和22年の時点ですでに河川改修が行われており、かつてはもっと蛇行していたのだろう。
交差点から南へ進んで、次の道路にぶつかるところに置かれていた謎のマーク。
緑道から左折方向へ案内されているのだが(写真下が北)、何の案内なのだろうか?
その角にあった古い看板。市内局番が3桁しかないので、1991年以前のものであることは確実。
その先で緑道は左右に分かれている。右側(西へ向かう)が本流だが、今回は左の道をさらに南へ向かう。
かつてこのあたりには弘法大師伝説が残る貫井池があったというが、すっかり埋め立てられていて面影はない。近隣からは旧石器時代以降の遺跡が発掘されており、古くから人が住んでいた場所なのが分かる。
元々は、ここから下流部分を貫井川もしくは灌頂川と呼んだという。
進んだ先は緑道というよりは、水路敷らしい細道になった。突き当りに、秋葉神社が見えている。
水源地と思われる場所に建っている神社。扁額は「秋葉大権現」となっており、神仏習合時代の名残を残している。
近所にあるスーパーマーケットが作ったらしい由来書き。
秋葉原の名前のもとになった台東区の秋葉神社と同じく、火の神様である秋葉様が祀られている。
水路敷は終わりだが、実は谷筋は上の写真に見えるマンションの裏側に続いており、くねくねと曲がりながら西武池袋線の高架下まで伸びている。
かつては線路の向こうを流れる千川上水から水を引いていたとも言う。
余談だがこのページの最初にある交差点の東側、すこし手前から細い路地が延びている(分岐するところは民家になっていて入れない)。
崖下に一直線に進んだ先は、神社の由来書きを作ったコモディイイダの下に出て終わりとなる。