落合川とその支流(六仙公園〜上流端)
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落合川上流部を見る。
落合川本流は東久留米市を東西に横切っているが、南北から水路が合流しているのでそちらも見ていこう。
落合川旧流と改修後の本流が合流する地点。落合川下流では蛇行跡は埋められてしまったが、ここではそのまま残されている。
ここからの写真は2023/7/2撮影。
河川敷の無名橋から旧流の方に向かってすぐに大黒橋が見える。元々写真左側の中洲になっている部分は南側と地続きで北側に渡る橋はなかったため、3つの橋が造られた南側とは異なり、車両通行止めの大黒橋だけが北側とつながっている。
途中歩道に舗装の境目がある部分は湧水点が歩道に食い込んでいる場所のようだ。写真左手前に「落合川の湧水点」の看板がある。
さて、本流側に戻って南側の六仙公園(ろくせんこうえん)から流れてくる支流の排水口を見る。支流は写真左奥の道路から流れてくるが、全て暗渠化されており下流部では一部流路自体が失われている。六仙公園に向かってこちらを見ていくことにしよう。
本流北側から旧流に向かって、取り残された支流の水路敷が残っている。
この写真は2023/11/1撮影。
本流南側に渡ってさきほどの南へ向かう道路を進んでいくと、すぐに道路は住宅に突き当たって終わってしまう。東久留米市水路・河川網図(以下「河川網図」)では突き当たりから排水口までが減用水路として描かれているが、廃減水路としてそのまま谷筋はさらに南へ向かっており、南側に回り込むと再び谷筋の道路に出会うことができる。写真中央あたりから先は、六仙公園の計画エリアとなる。
ここからの写真は2023/7/2撮影。
道路の西側、谷間に造成中の六仙公園。六仙公園は落合川の南、南沢緑地の西側に広がっていた農地などを大きな都立公園として造成しているもので、都市計画の告示が平成7年(1995年)、もっとも南側の一部が開園したのが平成18年(2006年)、それ以降整備が済んだところから順次開放されて行っている。公園の西側から中央を通って北へ谷筋と水路跡が通り抜けているが、公園完成時には公園中央部(写真左側)に大きな池を作る予定があり、大きく景色が変わりそうな場所だ。
さらに南へ進んでいくと、谷筋が西へ向かって転進するところに出る。河川網図では廃減水路として写真手前に向かって谷筋に水路跡が描かれており丁字路で西から出てくるが、ブルーマップに描かれている公図ではやや丁字路よりもやや手前寄りを西から流れていたようだ。道路敷設で水路が移設された可能性はある。
一方交差点から西へ向かう道路の南側には水路敷が残っている。水路敷は南側の崖下を西から流れてきている。
崖下を通っていた水路敷は、すぐ西側で「ちゅうおう第三広場」と住宅の間の谷間として南から出てきている。
水路敷は広場の南側にある住宅の間を通り抜けている。神明通りと六仙通りが合流している中央第七緑地の向かい側にその入り口を見ることができる。車止めがあるが、中に入っていくのは難しそうだ。
中央第七緑地の脇に立つ地蔵菩薩。享保3年(1718年)造立で、顔の部分は後から付け足されたものとされている。
水路敷の入口から六仙通りの南側を見ると、住宅の手前に上流部の車止めが見える。
最上流部の水路敷には開渠が残っているが、流れは枯れていた。ここから上流端までは河川網図では現用水路として描かれている。
開渠は西側の道路脇からいきなり始まっていた。水路敷としてはここが上流端となる。
落合川本流に戻り、六仙公園からの支流の少し上流にもうひとつ「ひょうたん池」という湧水から流れてくる支流の出口がある。
この支流は写真奥の崖下から流れ出てきている短いもので、下流側は神明山(しんめいやま)公園となっており水路は見えない。河川網図では、現用水路としてはこの公園ではなく、ひょうたん池から道路の下を六仙公園の廃減水路の方へ流れているように描かれている。
ちなみに神明山というのは近辺の旧地名だ。
公園は道路を跨いで南側に続いており、そこに湧水をたたえるひょうたん池がある。
池の先、ふたたび道路を跨いだ谷頭には中央第六緑地があり、ここにももうひとつ池があった。この支流はここが上流端で、池の周りは高い崖が取り囲んでいる。六仙公園の流れはすぐ東側にあるのだが、その間に結構な高さの半島上に突き出した土地がある。
落合川本流のすぐまた上流、神明橋のたもとに享保18年(1733年)造立の青面金剛庚申塔と、宝暦10年(1760年)造立の石橋廻国供養塔が並んで立っている。
神明橋南詰にも「落合川の湧水点」を示す看板が貼られていた。
さて、ここでいったん左岸側に目を転じてみよう。新旧落合川の分岐点から少し下流に向かったところにあるのが南沢神明社。もともとこの地には正暦5年(994年)に開かれた観音寺があったと言われているが、神明社そのものの創建がいつなのかは記録がない。
ここからの写真は2023/10/28撮影。
神明社西側の民家との間には自然の崖がそのまま残されている。
神明社の崖上には御成橋から東久留米駅西口へ向かう新道が通っているが、新道の北側、神明社の崖の延長線上に防草マットが敷かれた水路敷かと思われる空間が北へ伸びている。
全国Q地図の
東京都3千分の1地図(1969〜1970年)にはここに道路が描かれており、河川網図にも記載がないことから畑の畦道が取り残されたものなのかもしれない。
ここからの写真は2023/10/22撮影。
さらに北側には中途半端に舗装された右側に砂利道が伸びていた。
落合川本流に戻って神明橋北詰から上流方向を見たところ。本流の南側に旧流跡の水路が残っている。
ここからの写真は2023/7/2撮影。
旧流跡は下流側では水路として残っているが、途中から上流側は暗渠になっている。
暗渠部分はインターロッキング舗装の遊歩道になっているが、その途中で南へ向かって枝分かれしている水路敷(河川網図では南側の道路まで現用水路として記載されている)を見つけた。
水路敷はすぐ南側の道路までだが、向かい側に東久留米市消防団第五分団の建物があり、そこが谷頭であったように見える。
地蔵橋で落合川本流を渡る神明通りから蛇行跡の上流方向は、未舗装の遊歩道になっている。
ひとつ上流の御成橋から新旧流の分岐点を見たところ。神明橋の手前は宅地化されておらず、湿地と茂みが広がっている。
御成橋南詰にある弁天フィッシングセンターもかつて場内に湧水があり(現在は井戸水を使用しているという)、釣り堀の脇に弁財天を祀る祠が残っているそうだ。
新道の西側、水道管が通っているところは河川改修前の御成橋があった場所。北側には取り付け道路が残っている。
この写真は2023/11/1撮影。
御成橋から上流へ進んだ左岸側、北を並走する道路から落合川に向けて細い水路敷があった。落合川の方からも水路敷と排水口が確認できる。河川網図では写真中央の自転車が置かれているあたりで上流方向に廃減水路が向かっているように描かれているが、その痕跡は残っていない。
ここからの写真は2023/6/4撮影。
水路敷から振り返って北へ向かう道路ではなく一本下流側の坂道が水路敷のように見えるが、河川網図には記載がない。ここから前沢宿の通り(東久留米市道230号線)に向かって進んでみよう。
坂の上にも水路敷らいき道は続いているが、写真奥は舗装されていない部分があり通り抜けるのは難しい。
ぐるっと北側に回り込んで下流方向を見たところ。造成中の分譲地の裏に水路敷らしき道がある。
さらに北側、市道230号線に向かって防草シートで覆われた空間が伸びているがここも入っていくのは難しそうだ。
市道の南側、民家の間からいきなり始まっている場所が水路敷とすれば上流端のようだ。この空間は写真奥のあたりで市道の南側に並走している前沢用水(南側の流れ)と交差しているのだが、前沢用水はすでに廃止されておりこちらも現役かどうかはわからない。
次の弁天橋南詰の右岸側に口を開ける大きな排水口は落合川雨水幹線の出口で、川のない東村山、小平、東久留米3市の丘陵部から大雨の際に雨水を逃して浸水を避けるためのものだそうだ。
ここからの写真は2023/7/2撮影。
弁天橋から南へ小金井街道の坂を登っていくところにある明和5年(1768年)造立の地蔵尊。「坂の地蔵さま」と呼ばれている。
ところで、下流の地蔵橋のところに地蔵はなく、地蔵があるのは弁天橋だが弁天はなく、弁天があるのは御成橋というややこしい状況になっているのは何故だろうか。
落合川雨水幹線出口の向かい側、弁天橋手前の左岸には蛇行跡が遊歩道として残っており排水口も見える。
ここからの写真は2023/11/1撮影。
小金井街道を渡って上流から弁天橋を見たところ。落合川は写真左側の蛇行跡へ吸い込まれるように消えていき、本流側に流れている様子は見えない。本流は弁天橋南詰の湧水点から再び始まっているように見えるが、水量が増えればまっすぐ流れていくのだろう。
小金井街道から上流側の蛇行跡を見ると、開渠に水が流れているのが見えた。
開渠から上流方向へ進んだところ、右岸の八幡(はちまん)第一緑地から流れてくる出口が見える。
上流側から八幡第一緑地を見る。こちらからははっきり見えないが、崖下の草むらの中を水が流れているようだ。
草むらから本流の上流方向を見たところ。本流から出てくる水路が見える。
上流のかわせみ橋から緑地を見たところ。ここでも落合川は途中で緑地の方へ吸い込まれていき、緑地脇にある湧水点から水流が復活している。
かわせみ橋の上流側はほとんど枯れているように見えるが、わずかに水が流れているようだ。
最上流にある八幡橋から下流方向を見たところ。わずかに水面が見える。
八幡橋西側には落合川上流端の標識が立っている。実際には橋の西側に開渠があり、もう少し谷筋が伸びているので写真奥に見える陽の当たっている崖が実際の上流端となるようだ。
河川網図では上流端の少し手前から西側道路に向けてさらに現用水路があるように描かれているが、現在は民有地となっており水路は残っていない。
ちなみに2023/7/2の撮影では上流端に草が生い茂って薮になっていたため、奥を見通すことができなかった。