仙川周辺の水路敷群(駒大グラウンド〜甲州街道)
類さん川が流れていた祖師谷公園の北側、都道118号調布経堂停車場線(滝坂道)の旧道から北側に向けて伸びる道路が仙川左岸側の水路跡。写真奥には駒澤大学硬式野球部の祖師谷グラウンドが見える。
ここからの写真は2023/8/18撮影。
都道118号の新道(補助54号線)を渡り、駒大グラウンドを左手に眺めながら緩やかに蛇行する水路跡の道路を進む。
ちなみに都道にあるバス停は「駒大グランド前」だったりする。
駒大グラウンドの北側に仙川から来る幅の広い道があるが、ここも水路の跡。昭和20年代の空中写真では道路北側の仙川左岸脇に溜池も見られる。
道路を進んで仙川にかかる祖師谷中橋を渡って東側を振り返ったところ。不思議なアーチを持つ橋のたもとに排水口が見える。
戻ってさらに上流へ進む。道路の東側から崖が迫ってきたのか、左右で住宅に大きな高低差があるのがわかる。
この写真は2024/1/27撮影。
途中、仙川に向かう導水路跡の道路を見る。
この写真は2024/8/9撮影。
一見左の道の方が水路跡かと思いきや、空中写真と比べてみると右が正解であった。
ここからの写真は2024/1/27撮影。
右の道を進んでいくと、たしかに水路跡によくあるS字カーブが現れる。
東側から再び崖が近づいてきて、道路右側の住宅は崖上に作られている様子がわかる。
いきなり道路が直線になる。写真奥に見える「みどり橋」のところで仙川から分かれた導水路があったが、水路は写真奥の交差点北側からも流れてきていた。
ここでいったん滝坂道まで戻って右岸側の水路跡を見てみよう。滝坂道が仙川を渡る宮下橋の北側では、宅地化されてしまっていて水路跡は見当たらない。古地図との比較では矢印のあたりで水路が仙川に出てくるようで、水路敷のような空間があるにはあるが完全に藪でよくわからない。
この写真は2024/8/9撮影。
祖師谷中橋から西に向かって水路敷のような細い道が坂を上がっていくが、空中写真などを見てもこれ自身は水路跡ではなさそうだ。
ここからの写真は2023/8/23撮影。
祖師谷中橋から少し上流に行ったところに、車止めのある水路敷が残っている。
駐車場の脇を抜けている水路敷は、すぐ北側で通り抜けできないフェンスに阻まれている。
フェンスの先は藪になっていて水路敷がどこまで続いているのかよくわからない。
西側に回って崖上から水路敷の続きを探す。崖上の道路から崖の方に向かって稲荷神社の祠があった。
稲荷神社のすぐ北側で、道路から崖下を見渡せる場所があるが、崖下に水路敷があるかどうかこの場所ではよくわからない。
さらに北へ進むと崖下に向かう行き止まりの道があるが、封鎖された道の奥には水路敷があるように見える。
祖師谷橋の西側まで来ると、下流側に開渠があることが確認できる。覗き込んでみたが水は流れていないようだ。
道路の反対側にはガードレールに守られた枯れた水路敷が西から来ている。仙川そのものも祖師谷橋の上流は西に向かっており、水路敷もそれに沿っているようだ。
西側に回り込んで見ると、同じようにガードレールがあるが水路敷は埋まっているように見える。
そこから西を向くと、道路脇に元は開渠であったろう水路敷がある。水路敷は写真左側の道路に沿って進んでいるが、道路が左(南)に曲がるところを直進していき、第一生命の相娯園野球場(現在は世田谷区と日本女子体育大学が借り受けJ&Sフィールドとして利用されている)の崖下へ向かっていく。
J&Sフィールドから仙川方向へ見たところ。崖下に蓋暗渠があるのがわかる。写真右側の住宅地は仙川の蛇行跡を整地した部分にあるが、蛇行跡そのものは残っていない。
ここからの写真は2024/1/27撮影。
蓋暗渠の上流端はみどり橋のすこし上流側にある。みどり橋まで戻って左岸側を見ると、大きな排水口が口を開けているのが見える。
左岸に渡ってさらに上流を目指していこう。上流の水路跡は幼稚園の前を通る道路になっている。
山の中ならともかく、都会ではあまり見かけない「つづら折りあり」の道路標識。道路の東側には平らな場所があり、崖はこの辺りでは少し後退している。
その先には三又になった分かれ道がある。トラック通行禁止の標識は写真右に向かう細道のもので、蓋暗渠が中央に、左側には給田南住宅の周回道路がある。
蓋暗渠は都営住宅脇の公園と崖上の住宅地の間を抜けていく。
蓋暗渠がかなり幅広くなったところで、道路に突き当たって左(西)へ折れる。
前の写真奥に見えるフェンスの向こう、道路を跨いだ北側には支流の水路跡があるが、くねくねと曲がった跡で高架化工事中の京王線に突き当たって終わっている。
全国Q地図で東京都3千分の1地図(1961〜1962年)の
給田近辺を見る。給田という地名は「給料として支給した田地」を意味するのだそうだ。
地図南側の第一生命グランドと書かれているところが現在のJ&Sフィールド。前の写真で突き当たりとなっている場所の先、京王線の北側にも支流の水路が描かれており、池もあったようだが現在は線路北側の流れは残っていない。
一方、突き当たって左に曲がった蓋暗渠は給田南住宅の北側を給田ぞうのはな広場へ向かっていく。
給田ぞうのはな広場で蓋暗渠は南から北へ向かって流れている(進行方向南へ向かって見たところ)。蓋暗渠の曲がり方が象の鼻っぽいということだろうか。
蓋暗渠はすぐに西へ転進し、広場の鼻先へ向かって伸びている。
鼻先は給田六所神社通りとの交差点になっていた。六所神社は後で見にいくとして、写真奥のアパート右側にある上流部分を先に見ていこう。
通りの西側は「この先行き止まり」の標識通り行き止まりの道路脇に蓋暗渠が続いている。とりあえず奥まで行ってみよう。
京王線の北側に回って、右岸側から水路の分岐点あたりを見る。線路北側には水路跡は残っていないが、おそらくは正面に見える植え込みのあたりで水路が分かれていたと思われる。
最後に右岸側で給田六所神社脇を通る水路を見ていこう。仙川を渡る黒橋のすこし下流側に大きな排水口があり、ここが水路の合流点になっている。奥には幅の広い水路敷が見える。
水路敷は砂利道でJ&Sフィールドの西側、烏山小学校との間を抜けていく。
砂利道が通りにぶつかるところに給田六所神社がある。天文年間(1532〜1554年)に府中大国魂神社の分霊を勧請したと伝わり、府中の大国魂神社が六所宮と称したことからこの名となったという。
給田六所神社通りの西側、上流は道路脇に蓋暗渠がある。
途中で蓋暗渠はアスファルト舗装された歩道になるが、急激に道路が盛り上がっている場所がある。もともと水路敷の方は崖下を通っていたようだが、住宅地を整地する過程で嵩上げされたようだ。
一番道路が高くなっているところから、仙川に向けて水路敷のような空間がある。古地図や空中写真では確認できないが、導水路があったのかもしれない。仙川の方から見ると民家の駐車場になっている。
いったん下り坂になったあと、さらに道路を進んでいくと京王線に突き当たっている。
付きあたりのフェンスから京王線の方をのぞいてみると、鉄橋の手前にある高架化工事用地は鉄板で蓋されていた。
線路北側に回り込んで下流方向を見たところ。奥から蓋暗渠が上流に向かっており、写真中央は橋が残っている。
上流側を見ると、柵で囲われた川跡がそのまま水路敷として残されていた。
次の橋の手前は開渠になっていて、鉄板で部分的に蓋されている。
橋の北側は暗渠となり、すぐに細い側溝となって甲州街道へ向かう。
旧甲州街道から甲州街道の方向を見たところ。水路敷の部分が未舗装の空間として残されていた。写真奥の方は、甲州街道を通すときに嵩上げされたものと思われる。古地図を見ると甲州街道付近で左右から仙川と分かれた水路が合流していたが、甲州街道の北側は藪になっていて水路跡はよくわからない。