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石神井川周辺の水路敷群(茂呂の支流)
OSM
OpenStreetMapで今回の経路を見る。
地図の右側(東側)は板橋区だが、石神井川はこのあたりで独立丘陵になっているオセド山を避けて大きく北へ蛇行している。
今回たどるのは、その台地の間を抜けているショートカットルートになる。
このあたりは旧地名として「茂呂」(古地図では「毛呂」ともある)と呼ばれていたあたり。
オセド山
石神井川の台橋からオセド山方向を見る。
川裾の切通しには茂呂遺跡という旧石器時代の遺跡が残されている。
このページの写真は2017/7/2撮影。
西へ
台橋の南側から西へ向かっている広い道路の歩道(写真左端)が、かつての水路跡。
ここから上流に向かって進んでみよう。
小茂根三丁目
小茂根三丁目バス停を見ながら、歩道は西へ進んで行く。
小茂根五丁目
池55系統の終点、小茂根五丁目バス停を過ぎたところで、水路は交差点を南へ曲がる。
空き地の脇に妙に広い歩道スペースが残っているが、すぐ先で途切れているのは水路が西へ向かっているためだ。
住宅街
西に曲がった水路は、住宅街の道路になっていた。
崖
水路敷の北側の道路からオセド山を見る。そこそこの高低差が見て取れる。
交差点
水路の道路へ戻る。交差点が少し高くなっているのは、オセド山から下りて来る道との高低差があるためだろう。
茂呂山
水路の南側には、茂呂山という別の丘陵地がある。このあたりは、都立城北中央公園として整備される予定になっており、完成すれば今回たどっている水路敷も大半が公園に飲み込まれる形となる。
稲荷神社
北側の山裾には、稲荷神社がある。目の前の交差点は「小茂根稲荷神社」になっているが、どうやら本来は茂呂稲荷神社と呼ばれているらしい。「おびしゃ講」という地元住民の祭祀場所となっているようだ。
「おびしゃ」というのは御歩射または御備社と書く弓の神事なのだそうだ。関東地方ではところどころに同様の神事が残されているという。
車止め
さて、水路の方へもどってみよう。交差点の先で道路は車止めのある細い水路敷になって続いている。ここからは練馬区となる。
旧流路?
車止めから北側を見ると、コンテナと塀の間に隙間がある。かつてこのあたりにあった旧流路の名残かもしれない。
出口
コンテナスペースの南側を進んだ水路敷は、すぐにふたたび道路に合流して歩道となる。
道路
都立大山高校グラウンド南側の道路。水路があった場所に作られたと思われる。
花の広場
城北中央公園の花の広場北側では、水路敷と思われる部分がガードレールで区切られた歩道になっている。
西側
花の広場西側で水路は南へ向かっている広い道路になっていた。
分流口へ
花の広場南側で水路は再び西に向かい、石神井川と別れる湿化味橋(しっけみばし)へ向かう。
湿化味橋
橋の名前は、下練馬村の字名だった湿化味に由来する。なんどもジメジメした名前だが、実際このあたりの低湿地を示す字名だったようだ。
茂呂遺跡
おまけでオセド山にある茂呂遺跡。昭和26年(1951年)に中学生が発見した旧石器時代の遺跡ということで知られている。
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