石神井川周辺の水路敷群(上流端とその先)
OpenStreetMapで
石神井川上流端を見る。上流端の標識は地図右上の地点にあるが、そこから上流もかつては水路があった。現在は大半が小金井カントリー倶楽部というゴルフ場の敷地となっている。
小金井カントリー倶楽部と都立小金井公園の間を抜ける道路に一級河川としての石神井川上流端の標識がある。
ここからの写真は2022/10/23撮影。
上流端の標識から下流方向を見たところ。水量は少ないが、上流端のさらに上流(写真手前)から水が流れてきていることがわかる。
振り返って上流端のさらに上流を見る。ゴルフ場の北側に沿って、水路敷が残っている。
水路敷は途中から大きな蓋暗渠となり、進んでいくとゴルフ場と嘉悦大学の敷地の間に飲み込まれていく。
蓋暗渠を行けるところまで進んでフェンスに阻まれたところから下を見ると、水は流れていないが水路が残っているのが見えた。はたして上流端の水はどこから来ているのだろうか。
ゴルフ場の中には入れないので、大きく西側の小金井街道まで進んでいく。水路のあったあたりで街道は谷底になっており、地図と照らし合わせると住宅地が南の崖上沿いに張り出しているこの辺りが元の水路だったのではないかと思われる。
道路を挟んで西側のゴルフコースにある池。元々あったわけではなく、ゴルフ場を整備するときに谷底に人工に造られたものと思われる。水路は池の北側を通っていたはずだが、痕跡は空中写真で見ても残っていないようだ。
小平市の下水道管理台帳を見ると、現在旧流路に沿ってゴルフコースの地下に下水道幹線が敷設されている。
OpenStreetMapで小金井カントリー俱楽部の西側、
最上流部を見る。1947年(昭和22年)米軍撮影の空中写真を参考に、崖線と最上流部の水路を書き込んでみた。現在の鈴木小学校あたりが谷頭で、実が現在でも湧水があるそうだ。
また、南側に一直線に水路敷(下水道管理用地)が残っているのだが、調べてみたところかつて西側の陸上自衛隊小平駐屯地にあった陸軍経理学校から石神井川へ流されていた排水路だという。
小平市教育委員会が2021に発行した「国指定史跡鈴木遺跡解説書 旧石器時代の鈴木遺跡」によれば、旧石器時代には南側にもう一つ谷があり、そちらからも水が流れてきていたという。
二つの谷を抱える崖(南側は谷としては残っていない)の上には、逆コの字型に谷を取り囲むように後期旧石器時代(約3万8千年前~1万6千年前)の遺跡群が見つかっており、その一部が「
鈴木遺跡」として2021/3に国史跡指定を受け、現在鈴木小学校の南にある農林中央金庫研修所跡地を整備する計画がある。
崖線の南北に沿って玉川上水の分水である鈴木田用水が石神井川に沿って流れていたというが、現在その痕跡はまったく分からなくなっている。
小金井カントリー俱楽部西側の道路。写真中央の丁字路あたりに古くは水路があったのではないかと思われるが、谷あいは武蔵野団地として整備されており、痕跡は見当たらない。
ここからの写真は2022/11/5撮影。
団地南側には、西からまっすぐ伸びてくる下水道管理用地がある。
下水道管理用地脇の三角公園に立つ郵便差出箱1号(丸型)、いわゆる丸型ポスト。小平市は絶滅危惧種の丸型ポストが37基残っており、全国自治体では最多なのだそうだ。写真の丸型ポストは小平市のサイトで
【NO.18】武蔵野団地南東 三角公園内/丸型ポストとして紹介されている。
下水道管理用地はさらに西側の日立国際電気敷地脇の植え込みとして続いているが、崖上に続いている部分には入っていくことは出来ない。
武蔵野団地内で旧水路があったあたりの道路を西向きに見たところ。突き当りの住宅の裏が鈴木小学校になる。
鈴木小学校北側に残されている鈴木遺跡の保存地。
「旧石器時代の鈴木遺跡」によれば、遺跡は昭和49年(1974年)に鈴木小学校を建設するための工事で崖を削ったところ江戸自体の水車用トンネルが見つかり、さらに地下を発掘したところ後期旧石器時代の大規模な遺跡が発見されたという。
鈴木小学校から少し北に行ったところにある田無用水の開渠。小平市は用水路も積極的に保存しているそうだ。