ねりまっぷで
白子川の上流部分である新川の下流側を見る。
白子川が大泉井頭公園で上流起点を迎えた後、実はさらに上流部があって、新川と呼ばれている。
今回はそのとっかかりにある水路敷としての道筋が残っている部分を歩いてみる。
白子川上流起点から北へ大泉井頭公園方向を見る。
橋の下の暗渠として唐突に始まっているここからが一級河川白子川である。
このページの写真はいずれも2013/7/6撮影。
振り返って南側。レンガ敷の水路敷が新川と呼ばれている上流部だ。
さて、水路敷は坂を下り、周りよりも低い場所を進んでいく。
右岸側が崖線で、そちらからは芸術的な組み合わせの排水パイプが下りていく。
鋼製の排水溝が道路を跨ぐ。
水路敷はこのまま直進するのだが、左に曲がって坂を上ったところで、気になる細道を発見したのでそちらへ寄り道をしてみる。
坂を上ったところにあった、いかにも水路敷な細道。
昭和22年の空中写真を見ても水路が新川とつながっているようには見えないので、一連の水路敷ではないようだ。
しかし、実はこの細道は現在も東大泉町と南大泉町の境になっていて、過去にさかのぼると明治24年(1891年)までは写真の右側が埼玉県新座郡榑橋村、左側が東京府北豊島郡石神井村大字上土支田と、かつてはここが県境だったのだ。
榑橋村は明治22年(1889年)に埼玉県新座郡の小榑村(写真右側)と橋戸村が合併してできた自治体だが、明治24年に東京府へ編入され、大泉村となった。「大泉」の名は、さきほど出発点となった井頭公園の湧水が元になったという。
しばらくその細道をたどってみる。
いかにも水路敷らしきくねくね道が続く。
と、思いきや、写真中央のマンホールがある場所から先は、あきらかに舗装や側溝の様子が異なる。
ここから一般の道路として整備されているようだ。
さらに進むと、道路は民家の裏に吸い込まれていくように見える。
一見、行き止まりのようだが、私道化しているようにも見えつつ、反対側に抜けてはいるようだ。
細道はややあって都道25号(旧早稲田通り)にぶつかって唐突に終わる。
もっとも、いきついた先の旧早稲田通りにしても、都道とは思えないような狭隘路ではあるのだが。
さて、白子川源流・水辺の会が設置した看板を眺めながら、元の新川を遡って行こう。
水路敷を進むと、区立南大泉図書館の裏手に出る。
新川の北側に位置する南大泉図書館。
図書館を過ぎてさらに水路敷を進むと、唐突に一般道になって終わりとなる。
前方にある建物のあたりが旧早稲田通りとの交差点。新川は、そのまま旧早稲田通りを渡っていたようだが、しばらくは一般道路になっていて水路敷らしさは分からない。この先は、いずれまたの機会としよう。
上流側から水路敷の入り口を見る。
ところで、白子川上流起点から新川の水路敷を見たときに左側に向かう坂道があったが、その先には地下水を販売する場所「町田の深水」がある。
個人宅のようだが、邸内は町田深水庭園という6月下旬にはホタルの鑑賞会が開かれる場所だそうだ。
販売されている地下水はきちんと保健所の検査を受けた飲用可能なものとのこと。