ねりまっぷで
新川の練馬区部分を見る。
大部分が道路になってしまっていて水路であることがわからない部分が多いが、ところどころ遊歩道だったり蓋暗渠も残っている。
全体としてみると、新川は南大泉三丁目で大きく北へ蛇行しているのだが、これはこの辺りの地形に沿って谷間を新川が流れているためだ。
新川と旧早稲田通りの交差点。直進が新川だが、道路になっていて見た目ではわからない。
このページの写真はいずれも2016/8/15撮影。
少し行くと、左側の民家の軒先にひょっこりと遊歩道が現れる。
そこそこの幅もあり、きれいに整備されている印象の水路敷だが。
すぐに右に曲がって、その先の植え込みで終わっている。そこから先は民家の敷地になっていて通れない。左の道路も、すぐ先で行き止まりだった。
西側に回り込んで下流側を見たが、どこから出てくるのかはよく分からない。おそらくは、正面の2軒の家の間が元の水路と思われる。そこから写真手前のミラーのところまで道路がやや広くなっており、ここは水路敷の跡だろう。
新川は写真左の道路へ進んで行く。
その先は普通の道路で、水路らしさは残っていない。
写真右側から来た新川は突き当たりで北へ向かう。ここは、道路がいきなり広くなっているので水路があったことが推測できる。
北に向かうと、途中渇水対策の下水道管新設工事が行われていた。
工事現場のところで新川は左の道へ。右の道もさほど高低差はなく、右の道の東側が崖になっている。
崖の上は保谷駅方向から南へ張り出してきた高台で、白子川と新川はこれを避けて南側から回り込んでいくような流路を取っている。
すぐに次の分岐は右へ。この辺り、写真ではわからないが左はやや上り勾配になっている。
左側は南の富士街道の方から延々と伸びてきた岬のような細い微高地になっていて、新川はこれを避けて大きく北側に迂回して流れている。
右側の道を家3軒分ほど進んだところ左に、気になる細い路地を発見。新川に流れ込んでいた水路の跡だろうか。
正面の坂の手間で、新川は左に曲がっていたという。
左に曲がる道を見る。やや広い道だが、水路敷らしさはあまり感じられない。普段は涸れ川だったという新川は、土地開発の都合で流路が付け替えられたこともあっただろうし、実際にはどう流れていたかを推測することは難しい。
振り返って東側を見ると、すぐそこにちょっとした段差があった。このあたりが谷間になっているのがよく分かる。
幅広の道を進んでいき、練馬区と西東京市の境に来たところで北へ進路を変える。