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白子川周辺の水路敷群(下流端〜成和橋)

OpenStreetMapで白子川下流端、新河岸川との合流点にある落合橋から笹目通りの三園橋付近までを見る。
直線的に流れる白子川は河川改修されたもので、 都県境(右側東京都板橋区、左が埼玉県和光市)は現在の川筋に沿っていない。
とはいえ、都県境と旧流路は必ずしも一致していないようで、何度か変わった流路のある時を切り取ったのが都県境ということになるのだろう。
なお、板橋区側の地籍図に水路敷が残っているが、これも都県境とは一致していない部分が多い。
直線的に流れる白子川は河川改修されたもので、 都県境(右側東京都板橋区、左が埼玉県和光市)は現在の川筋に沿っていない。
とはいえ、都県境と旧流路は必ずしも一致していないようで、何度か変わった流路のある時を切り取ったのが都県境ということになるのだろう。
なお、板橋区側の地籍図に水路敷が残っているが、これも都県境とは一致していない部分が多い。

国土地理院Webサイトから昭和22年(1947年)の空中写真(米軍撮影)を見る。
改修される前の白子川は正に蛇のごとく蛇行しているのがよく分かる。
改修される前の白子川は正に蛇のごとく蛇行しているのがよく分かる。

落合橋から白子川を上流に向かって歩いていく。橋の右側が新河岸川になる。
この合流口は河川改修の結果作られたもので、元々の流路はもう少し新河岸川の上流側(写真正面奥)にあった。現在は私有地となっているようで、入ることはできない。
ここからの写真は特に説明がない限り、いずれも2016/5/3撮影。
この合流口は河川改修の結果作られたもので、元々の流路はもう少し新河岸川の上流側(写真正面奥)にあった。現在は私有地となっているようで、入ることはできない。
ここからの写真は特に説明がない限り、いずれも2016/5/3撮影。

新河岸川との合流場所付近に置かれていた「白子川」の標柱。

埼玉県道88号から白子川を渡って笹目橋へ向かう道。水道橋の手前で左に分かれる未舗装の道がある(行き止まり)。都県境に沿っているようでもあり、旧流路なのかもしれない。

水道橋の南側。左岸の河川敷は封鎖されていて通ることができない。写真奥に見えるのは白子川第一排水区野川調整池。
この辺りでは、古くは白子川を野川(やがわ)または矢川と呼んでいたらしい。
この辺りでは、古くは白子川を野川(やがわ)または矢川と呼んでいたらしい。

その調整池を回り込んで川沿いに出ると、その先に大きな空き地がある。

国土地理院Webサイトから令和元年の空中写真(国土地理院撮影)を探してみたが、都県境に沿ってなんとも不思議な形に舗装されている。
地籍図上では舗装部分が水路敷となっているようだ。
地籍図上では舗装部分が水路敷となっているようだ。

その舗装路を西側に迂回して眺める。家と家の間に、ヘアピンカーブ状に舗装された道?が。しかし、ここには立ち入れないようで、何のために舗装したのかよく分からない。
あえて水路敷であることを示したかったのか?
あえて水路敷であることを示したかったのか?

少し先で復活する川沿いの道から野川(やがわ)公園を見る。野川公園の先では、東京都が左岸に張り出してきており、かつてはそちらに川筋があったのかもしれない。

野川公園の南側。この一角は地図によって都県境の位置が異なり非常に分かりにくいが、矢印のあたりに砂利で舗装された部分があって、旧流路ではないかと思わせる場所だ。写真奥の塀の向こう、反対側はすでに笹目通りに出てしまうが、そちら側はバイクショップになっていて流路は分からない。
地籍図には複数の流路跡が残されているが、それとは一致していないようだ。
地籍図には複数の流路跡が残されているが、それとは一致していないようだ。

埼玉県道68号(笹目通り)。ここから先は都県境の道路(写真左奥)がそのまま旧流路だったらしい。

OpenStreetMapで三園橋から白藤橋を見る。このあたりは国土地理院Webサイトの昭和22年(1947年)の空中写真(米軍撮影)でもすでに河川改修が終わっている。

いかにも水路敷らしき曲がり道。

上の空中写真では見えづらいが、途中に白子川をまたぐ支流がある。残念ながら右岸側は宅地化されていて流路をたどることはできなかった。

ツツジの植え込みとともにくねくねと旧流路が続く。

都県境は溝下橋で白子川に合流。写真奥の三園小学校手前にある駐車場に向かっているらしいが、見た感じでは分からない。

溝下橋から上流へ少し進んだ左岸側に、いかにも水路敷な脇道を発見。

舗装してあったのは分岐した辺りだけで、その先は未舗装の水路敷が続いている。
写真の左右で草の刈り方に違いがあるように見えるのは意味があって、矢印のあたりに都県境の標識が埋められているのだ。
写真の左右で草の刈り方に違いがあるように見えるのは意味があって、矢印のあたりに都県境の標識が埋められているのだ。

削れてしまって読めないが、右が和光市の境界標。左は野球のボールではなく、真ん中に「イタ」、周りに四つの「ハ」で判じものになっている板橋区の紋章だ。ここに都県境が走っている。

実はこの空間、「旧白子側遊歩道」という名前が付いていた。和光市と板橋区で仲良く管理しているようだ。いや、仲が良ければ草刈りに差が出ないような気がしないでもないが(笑)

標識の先で水路敷は大きく右に曲がり、砂利舗装路に変わる。ところで、写真左に見えている手すりの先は遊歩道の途中出口になっているのだが、出た先も実は別の水路敷があるのだった。

いったん白子川まで戻ってその別の水路敷を見る。右側の住居表示は板橋区成増一丁目で、こちらは都県境ではない水路敷。

二重になっている内側の水路敷は三園通りが白子川をまたぐ成増橋のたもとへ向かっている。写真右手前のポールが、外側の水路敷から出てきたところ。

外側の砂利水路敷も三園通りに向かっていく。

三園通りの手前で、北側に向かって分岐している水路があった。この水路は芝宮通りを越えて下新倉に向かって流れていくようなので、機会を改めて見ていきたい。
この写真は、2018/5/19撮影。
この写真は、2018/5/19撮影。

バス通り(三園通り)に合流する場所には、庚申塔が立っている。中央が宝暦10年(1760年)造立の銘がある青面金剛像。左は享保19年(1734年)造立の銘がある橋供養塔。

ところでこの庚申塔の後ろに、なぜか「吹上稲荷神社」と書かれた扁額が置かれている。近くに吹上観音と豊川稲荷神社はあるのだが、かつてはここにも神社があったのだろうか。

そして、三園通りを挟んで向かい側には左に天明4年(1784年)の銘がある大山不動明王と、右に文化9年(1812年)の銘がある大山石尊不動明王。手前には嘉永元年(1848年)の銘がある水行場とある碑が置かれている。

不動明王の先で、水路敷は道路から右へ分岐していく。この先は私有地になっているようで、水路敷をたどることはできない。

いったん吹上観音下交差点から市城(いちしろ)通りへ出てみる。通りの川よりに、妙に幅広い歩道があるが、かつては開渠があったようだ。さきほどの旧流路とは別に、白子川から分流した用水路だったのかもしれない。

ちなみに吹上観音はこんな立派な山門を持った東明禅寺のこと。天平年間(8世紀)にかの行基が開山したと伝わる。

さきほどの用水路らしき歩道を進んでいくと、徐々に市城通りから分かれて白子川へ向かっていく。途中、マンションの南側で封鎖された階段があり、そこから先はいかにもな水路敷となる。写真は上流側から階段を撮影したもの。

水路敷はすぐに生活道路になり、写真奥の工場で行き止まりとなる。かつてはそこで左に曲がって白子川から水を引いていたようだ。その対岸にはかつての流路があったらしいのだが、都営成増五丁目第2アパート建設時に付け替えられてしまい残っていない。

OpenStreetMapで白藤橋から成和橋近辺を見る。

都営アパートの南側に随分と幅の広い緑地帯というか遊歩道がある。ここから白子川の旧流路は現在の白子川の右岸へ移り、今度は埼玉県が東京都側へはみ出すエリアになる。写真右側の住宅は和光市白子だ。

上流川の白藤橋から回り込んで、右岸の遊歩道を進む。

成増五丁目第2アパートの地図。左側の緑地の部分が旧流路にあたる部分。ただし、古くは10号棟と11号棟を迂回せずに斜めに川が突っ切っていたらしい。

ちょっと戻って白藤橋から成増方向を見る。中央の青い線がさきほどの遊歩道から伸びてきた都県境で、東京都の土地を埼玉県が挟み込んでいるような有様。白藤橋からの道自体が都県境で阻まれて車両通行止めだったりもする。

車両通行止めの先で下流方向を見たところ。ここでは東京都の後ろ側に埼玉県が回り込んだ形になっている。ああややこしい。

上の反対側、南を向くとすっかり畑になってしまっているが水路敷の跡が残っているのが分かる。

水路敷跡は左手のマンション前に広がる空き地のところで旧白子川緑道から分岐していた。
旧白子川緑道は、白子川の旧河道といわれ、昭和22年の空中写真では、現在の白子川とは東武東上線のあたりで別れ、西高島平駅の方向へ向かって流れていく。現在は首都高速5号線に阻まれて、その先は流路を下ることはできなくなっている。
旧白子川緑道は、白子川の旧河道といわれ、昭和22年の空中写真では、現在の白子川とは東武東上線のあたりで別れ、西高島平駅の方向へ向かって流れていく。現在は首都高速5号線に阻まれて、その先は流路を下ることはできなくなっている。

上の写真のマンション北側には、白子川に向かっていく蓋暗渠がある。旧白子川は空き地に阻まれてアクセスできないが、白子川右岸からは住居の隙間に出てくるところを確認することができる。

この辺りには、白子川両岸にこのような蓋暗渠がポツリポツリと残っている。

なかにはフェンス付きで入れないものもある。

成和橋の右岸、危険物倉庫がある右側にかつて白子川と旧白子川をつなぐ支流があったらしい。現在では住居の敷地に巻き込まれてしまって、流路をたどることは出来ないようだ。
とりあえず今回の探訪はこれで終了。
とりあえず今回の探訪はこれで終了。

最後におまけで、湖池屋本社裏の不思議な地形。写真左が湖池屋本社で、右の駐車場に向かって道路が狭くなっている部分に合わせて舗装の色が変わっている。
どうやら、ここが都県境となっているようだが、実のところこの辺りも地図によって都県境の場所が大きく異なっているので、よくわからなかったりする。
都県境=旧流路というわけではなく、田畑の所有者によって境界線が引かれたためなのかもしれない。
どうやら、ここが都県境となっているようだが、実のところこの辺りも地図によって都県境の場所が大きく異なっているので、よくわからなかったりする。
都県境=旧流路というわけではなく、田畑の所有者によって境界線が引かれたためなのかもしれない。