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谷端川と周辺の水路敷群(谷端川南緑道)その1

OpenStreetMapで今回のコース(川越街道から要町通りまで)を見る。
谷端川は千川上水からの分水に発し、東京西部の川としては珍しく南北に大きく蛇行しながら、板橋区と豊島区の区界を流れ、下流部の小石川(西大下水)を経て神田川に合流する川で、現在は全流路が暗渠化されている。
谷端川は千川上水からの分水に発し、東京西部の川としては珍しく南北に大きく蛇行しながら、板橋区と豊島区の区界を流れ、下流部の小石川(西大下水)を経て神田川に合流する川で、現在は全流路が暗渠化されている。

東武東上線下板橋駅から西武池袋線椎名町駅へ向かう谷端川緑道は、豊島区によって綺麗に整備されている。今回はこのうち谷端川南緑道と呼ばれる川越街道から南へ進む部分を行く。
ここからの写真は2017/9/16撮影。
ここからの写真は2017/9/16撮影。

出発点の旧前田上橋(まえだかみのはし)脇にあるゲート。屋根があっても良さそうに見えるが、そういう作りではないようだ。

ゲートのすぐ南側にあるのが熊野橋。谷端川緑道では、暗渠化した際に橋のモニュメントが残されており、欄干を模した車止めに橋の名前が書かれている。

熊野橋から南へ緑道を進んで行く。暗渠化した緑道というと放ったらかしで雑草が生え放題になっているところもあるが、ここは定期的に手入れを行なっていると見える。

谷端川緑道から西へ、山手通りに向かって伸びる水路敷。この辺りには櫛の歯状に水路敷が東西に伸びているが、西へ伸びているものは少なく、それとわかるものは東向きが多い。

上の写真の水路敷の反対側にも、東へ向かう水路敷が伸びている。

他領橋。残念ながら谷端川の橋名の由来はよくわからない。

他領橋南側にあった東へ向かう水路敷。この水路敷は写真奥で行き止まりになっているようだ。

谷端川南緑道には、道端のところどころに彫像が置かれている。これは鳩なのかカラスなのか…

文字通り板橋区と豊島区の境にある境井田橋。まあ、他の橋もそうだが。
この日は川越街道の北側にある池袋氷川神社の例祭があり、あちらこちらに幟と提灯が飾られていた。
この日は川越街道の北側にある池袋氷川神社の例祭があり、あちらこちらに幟と提灯が飾られていた。

車止めにもレリーフが飾られている。これは蛙?

わりと唐突に出現する子供の遊び場。

緑道には、ところどころにタイルアートも描かれている。これはザリガニ?

境井田橋南側で東へ向かう水路敷。この水路敷は東側の道路まで通り抜けられる。

南橋から山手通りを見る。

ところで、南橋から山手通りの「山手通り中丸」交差点に向かって、谷端川北緑道の中丸橋で西から合流する支流が分かれていたらしい。
矢印のところで、土地の境界線が南橋まで斜めになっているのが空中写真でわかるのだが、地上は住宅が密集しており水路跡は残っていないように見える。
矢印のところで、土地の境界線が南橋まで斜めになっているのが空中写真でわかるのだが、地上は住宅が密集しており水路跡は残っていないように見える。

南橋から南、隣の御嶽橋方向を見る。木々がアーチ状に遊歩道を覆っている。

南にある水路敷も木のアーチがかかっている。

次の御嶽橋(みたけばし)がかかる場所では、補助173号線の整備工事が行われている。

補助173号線を池袋方向に見る。板橋区側の中丸通りからこの補助173号線を進んで行くと、橋名の元にもなった池袋御嶽神社の横を通り、池袋二丁目交差点に至る。

御嶽橋の欄干風車止めを通り抜けてさらに南へ進んで行く。

カニ、というかサワガニか?

サワガニの先で東へ分岐している支流。細い水路敷だが、他と違ってここだけは補助173号線の西に沿ってかなりの長さで伸びている。
ここでいったん、この水路敷を遡って行くことにする。
ここでいったん、この水路敷を遡って行くことにする。

谷端川支流の水路敷は蓋暗渠ではなく側溝が続いている細い道になっている。
ここからの写真は2017/11/4撮影。
ここからの写真は2017/11/4撮影。

道路と交差するところでは、コンクリート舗装が残っている。かつては、水路を橋が越えていた名残だろうか。

広くなったり、狭くなったりしながら、進路を徐々に南に向けて進んで行く。

すぐ西側に拡幅工事中の補助173号線が通っているため、あまり日常の通行に使われているようには見えない。

突然開けた場所に出た。前方に見えるのは豊島区立池袋図書館。

池袋図書館の前で、水路敷は補助173号線のすぐそばまで近づいている。拡幅でできた中途半端な空間は駐輪場として活用されているようだ。

補助173号線脇にある池袋御嶽神社。天正年間(1573〜1592年)に創建されたと伝わり、一説には武田家家臣団が落ち延びてきて祀ったとも言われる。
補助173号線はこの神社を避けて通っているのか大きく蛇行している。
補助173号線はこの神社を避けて通っているのか大きく蛇行している。

水路敷と補助173号線がもっとも接近している場所を通過して行く。

当然ながら、段差があるのは左右に抜けている道路の方。

わずかに左右にくねりながら、さらに上流を目指す。

正面が突き当たりとなる場所に出た。

ここが上流端かと思いきや、実は水路敷はもう1ブロック続いている。

続きの水路敷は奥で行き止まりとなっていて、通り抜けることは出来ない。

反対側に回って見たところ。いかにも水路敷な未舗装空間がそこにはあった。ここから南側は一段高くなっていて水路の跡はないので、ここが上流端ということになるだろう。

おまけで補助173号線西側にあった稲荷神社の祠。

再び谷端川本流に戻って進んで行く。中上橋から西(池袋方向)を見たところ。
ここからの写真は2017/9/16撮影。
ここからの写真は2017/9/16撮影。

上ノ橋から池袋方向を見たところ。

上ノ橋南側にあった半円形のモニュメント。

そのモニュメントの北側に、西へ向かう支流がある。今度はこちらに寄り道してみよう。
ここからの写真は2017/11/5撮影。
ここからの写真は2017/11/5撮影。

水路敷は一直線に山手通りへ向かっている。

山手通りを跨いだ西側にも、水路敷は一直線に続いている。

1ブロック先からは道路に合流。豊島区の境界標位置から見て、道路の右側に側溝があったと思われる。

しばらく道路に沿って進んで行くと、細い水路敷に切り替わる場所に庚申塔が置かれていた。

享保6年(1721年)造立の笠付角柱型青面金剛庚申塔。保存状態が良く、彫刻がきれいに残っている。

細い水路敷を進んで行くと、途中で道路を点線で跨いで行く場所に出会う。

交差点を南側から見たところ。微妙だが水路敷がわずかな谷の底にあることがわかる。

途中、左右からの道と出会いながら進んで行く。

水路らしいくねりにも出会う。

くねった先では、再び道路に合流。

道路は高松小学校の南側でさらに幅広くなる。

高松小学校北側の交差点。豊島区役所作成の「東京府北豊島郡西巣鴨町・巣鴨町・高田町・長崎町全図」によれば、このあたりまで水路があったことになっている。このあたりが谷頭でもあり、近隣の田畑から集まった排水を集めて流れていたのかもしれない。