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谷戸川下流の水路敷群(砧公園〜山野橋)

OpenStreetMapで砧公園周辺を見る。
谷戸川は砧公園を南北に通り抜けている。そこから上流では大きく二つの流れに分かれているが、実相寺方向から流れてくる支流と、山野橋から流れてくる本流をそれぞれ見ていこう。
谷戸川は砧公園を南北に通り抜けている。そこから上流では大きく二つの流れに分かれているが、実相寺方向から流れてくる支流と、山野橋から流れてくる本流をそれぞれ見ていこう。

砧公園入口にある案内図。谷戸川は公園西側(写真では右)の芝生広場中央を南北に通っている。
公園敷地内には1966年まで都営ゴルフ場があったが、東名高速道路建設に伴いコースの一部が使えなくなって廃止されたという。
ここからの写真は2025/3/10撮影。
公園敷地内には1966年まで都営ゴルフ場があったが、東名高速道路建設に伴いコースの一部が使えなくなって廃止されたという。
ここからの写真は2025/3/10撮影。

公園から東名高速道路の下に向かって流れていく谷戸川を見たところ。

振り向いて上流方向。写真を撮っている場所の橋に名前はないが、上流に架かっている橋には四の橋という名前が付けられている。
東名高速道路南側の下流部にも四之橋があり、一から四までは重複している(公園内は「の」、下流部は「之」という違いはある)。
東名高速道路南側の下流部にも四之橋があり、一から四までは重複している(公園内は「の」、下流部は「之」という違いはある)。

四の橋上流の右岸側に大きめの排水口が見える。

谷戸川右岸の芝生広場には「見えない貯水池」という看板がある。ここの地下には雨水を溜めて谷戸川の水位が上がらないようにする浸透桝があり、浸透しきれなくなった場合には芝生広場そのものが貯水槽の役割を果たすのだそうだ。

ひとつ上流側にある三の橋。

三の橋上流では護岸工事されていない自然の姿が残されている。

公園中央付近にある二の橋周辺では整備工事が行われていた。

番号付きでは一番北にある一の橋。

二の橋から上流では石垣で護岸が造られている。

公園北側では、つり橋が谷戸川を跨いでいる。

つり橋の上流側に人工の滝が造られており、谷戸川はここで暗渠から開渠に切り替わっている。

公園北側を通るサイクリングコースまで伸びている暗渠。

サイクリングロードの北側はフェンスで塞がれているが、暗渠は公園北側を通る道路まで続いている。

公園北側の道路には、上流側にだけ稲荷橋の欄干が残っていた。

稲荷橋から上流は梯子型開渠になっている。一見すると谷戸川の方がかなり掘り込まれているように見えるが、地形図では右側のマンション敷地の方をお元々の崖に盛り土をして嵩上げしているようだ。

北側の世田谷通り旧道まで回って下流方向を見たところ。谷戸川は旧道の南側を並走していて、崖下で南に曲がって下っていく。

旧道に沿って流れる谷戸川を上流方向に見たところ。写真奥で右から道路を渡ってきているところに横根橋があった。

横根橋から上流は幅の広い蓋暗渠になっている。
横根というのはこのあたりの旧地名で、横根村のほかに世田谷村西端に字名として存在していた。また、世田谷村と大蔵村の境には瀬田村飛地字横根台もあったので、現在の砧東部から大蔵北部、桜丘にまたがる地名だったのだろう。
谷戸川の流域は大蔵村に食い込む形で下流側から横根村が入り込んでいたが、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の「世田谷の地名:区域の沿革・地誌・地名の起源 下」によれば文化10年(1813年)以前に大蔵村に編入され、明治8年(1875年)には残る横根村全体も大蔵村に併合されている。
横根というのはこのあたりの旧地名で、横根村のほかに世田谷村西端に字名として存在していた。また、世田谷村と大蔵村の境には瀬田村飛地字横根台もあったので、現在の砧東部から大蔵北部、桜丘にまたがる地名だったのだろう。
谷戸川の流域は大蔵村に食い込む形で下流側から横根村が入り込んでいたが、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の「世田谷の地名:区域の沿革・地誌・地名の起源 下」によれば文化10年(1813年)以前に大蔵村に編入され、明治8年(1875年)には残る横根村全体も大蔵村に併合されている。

横根橋から東側に上っていく旧道から南へ向かう脇道を上ったところにあるのが横根稲荷神社。
横根という地名の由来ははっきりせず横に広がる根のような地形とも、町外れにある沼地を指すともいわれるがいずれにせよ横根村の方はかなりの小村(江戸時代には住民9戸、明治でも20戸程度だったという)であったようだ。
現在では住所には残っておらず、橋や神社の名前として残っているだけ(アパートなどで横根と付けている例はある)になっている。
この写真は2026/4/6撮影。
横根という地名の由来ははっきりせず横に広がる根のような地形とも、町外れにある沼地を指すともいわれるがいずれにせよ横根村の方はかなりの小村(江戸時代には住民9戸、明治でも20戸程度だったという)であったようだ。
現在では住所には残っておらず、橋や神社の名前として残っているだけ(アパートなどで横根と付けている例はある)になっている。
この写真は2026/4/6撮影。

蓋暗渠の方を上流へ。蓋の上にやたらと安全第一と書かれたバリケードが並んでいるが、駐車避けであろうか。
写真奥で谷戸川は左(西)向きにカーブしていく。
ここからの写真は2025/3/10撮影。
写真奥で谷戸川は左(西)向きにカーブしていく。
ここからの写真は2025/3/10撮影。

カーブの先で再び梯子型開渠が現れる。

ところで、開渠が蓋暗渠に切り替わる場所から北に向かって坂道があるのだが、地籍図では坂の上まで道路右側のガードレール付近に水路敷が描かれている。

梯子型開渠の方は西に向かってやや北寄りにカーブしながら世田谷通りの下をくぐっている。

OpenStreetMapで砧一丁目付近の地図を見る。
世田谷通りの北側で谷戸川は二つの流れが合流しているが、本流とされている西側は小田急線の手前までは大半開渠で残っている一方、支流とされる東側の流れは際上流部では区画整理により失われている部分がある。
世田谷通りの北側で谷戸川は二つの流れが合流しているが、本流とされている西側は小田急線の手前までは大半開渠で残っている一方、支流とされる東側の流れは際上流部では区画整理により失われている部分がある。

世田谷通りの北側は鉄骨で造られた梯子型開渠になっていた。
ここからの写真は2025/3/14撮影。
ここからの写真は2025/3/14撮影。

開渠は写真右奥から流れてきているが、写真左側の駐車場脇に崖があって古くはそちらを谷戸川本流が流れていたらしい。

前の写真を撮影した位置に左岸側から地籍図上の水路敷が合流してきている。嵩上げされて住宅地の道路として利用されているようだ。
ここからの写真は2026/4/12撮影。
ここからの写真は2026/4/12撮影。

水路敷の上流側の道路に回ってさらに上流方向を見たところ。こちらは車止めが設置されていて車道として使用されていない。
写真奥まで水路敷は続いているが、そこで上流端となっている。
写真奥まで水路敷は続いているが、そこで上流端となっている。

一方開渠を上流へ進むと正面に大きなマンションが見えてくるが、谷戸川本流はその左(南)側を、支流は右(東)側を流れており、写真奥に見える橋の向こうで合流している。
ここからの写真は2025/3/14撮影。
ここからの写真は2025/3/14撮影。

橋の上流側でコンクリート製梯子になっている本流に合流してくる支流は排水口が2ヶ所あって、どちらからも結構な水量が出てきている。

本流は道路と離れて西から流れてくる。先に本流の上流を見ておこう。

上流の谷底にある東山野広場の北側を谷戸川が流れている。

谷戸川に架かる名も無き橋を北側から見たところ。広場の西側には都営砧一丁目アパートが立ち並んでいる。

橋から上流方向。右(左岸側)には空間があるが、通れるようにはなっていない。左(右岸側)はアパートの脇に細長く広場が続いている。

広場西側を渡る塔之下橋。

塔の由来になったのかどうかはわからないが、橋のたもとに3つの石仏が並んでいる。右から寛文11年(1671年)造立の聖観音、享保16年(1731)造立の地蔵尊、寛文11年(1671)造立の一猿像庚申塔だという。
猿一体しか彫られていない庚申塔は珍しいが、谷戸川下流の瀬田四丁目旧小坂緑地にもある。
猿一体しか彫られていない庚申塔は珍しいが、谷戸川下流の瀬田四丁目旧小坂緑地にもある。

ひとつ上流側の中の橋。

中の橋から上流方向。ここは脇を通り抜けることが出来そうだ。

次は砧橋。砧橋から上流は封鎖されており通ることはできない。

山野橋に到着。

さて、ここからは支流の方を見ていこう。
さきほどの合流から行き止まりの道路脇にある蓋暗渠を見たところ。
さきほどの合流から行き止まりの道路脇にある蓋暗渠を見たところ。

行き止まりの北側に曲がって下流方向を見たところ。蓋暗渠だった道路左側の水路敷はこちら側ではアスファルト舗装になっている。

振り返って上流側。こちらは道路がなく、フェンスで塞がれた蓋暗渠だけが住宅の間を通り抜けている。

西側の道路から住宅の間を抜ける鉄板で覆われた水路敷を見る。

北側で道路から住宅の間に入っていく水路敷は、そこだけ開渠が残っていた。覗き込んで見ると水が流れていた。

水路敷は道路脇の側溝として続いているが、写真奥の突き当たりで地籍図上では上流端となる。

第二次世界大戦前後の空中写真を見ると、さらに上流、仮囲いの脇を水路が流れてきていたのが見える。

道路左側に寛政5年(1793年)造立だという聖観音像が安置されていた。

ところで、聖観音像の手前に戻って地籍図の水路敷上流端から西へ向かうと千栄大神宮がある。
調べても由緒についてはわからなかった。
ここからの写真は2026/4/12撮影。
調べても由緒についてはわからなかった。
ここからの写真は2026/4/12撮影。

すぐ近くには小さな祠があるが、これも由緒はわからない。

ふたたび聖観音に戻って上流方向。写真奥に見える右向き丁字路の先に再び側溝が現れる。
ここからの写真は2025/3/14撮影。
ここからの写真は2025/3/14撮影。

側溝はすぐに塀に突き当たって終わっている。ここから上流では昭和23年(1948年)から始まった砧土地区画整理共同施工によって区画整理が行われたため水路としては失われている。
国土地理院Webサイトの昭和19年空中写真(陸軍撮影)を見ると、環状八号線脇の東京スバル砧店付近に池があり、そこから谷戸川の支流が流れ出していたように見える。
国土地理院Webサイトの昭和19年空中写真(陸軍撮影)を見ると、環状八号線脇の東京スバル砧店付近に池があり、そこから谷戸川の支流が流れ出していたように見える。

東京スバルのショウルーム南側の道路に残っている窪地のあたりに池があったのではないかと思われる。
国土地理院Webサイトの昭和23年空中写真(米軍撮影)では、水路が環状八号線予定地沿いにまっすぐ変更され、池の位置が下流側に移動している。この池の位置は現在では住宅地になっていて痕跡は見当たらない。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1965〜1966年)を見ると、池がなくなっているように描かれている。もっとも、国土地理院Webサイトの昭和38年空中写真(国土地理院撮影)では水路らしきものはもう確認できない。
国土地理院Webサイトの昭和23年空中写真(米軍撮影)では、水路が環状八号線予定地沿いにまっすぐ変更され、池の位置が下流側に移動している。この池の位置は現在では住宅地になっていて痕跡は見当たらない。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1965〜1966年)を見ると、池がなくなっているように描かれている。もっとも、国土地理院Webサイトの昭和38年空中写真(国土地理院撮影)では水路らしきものはもう確認できない。

最後に支流上流端近くにある浄土真宗本願寺派の実相寺。元々は築地本願寺の末寺で、関東大震災で罹災したのちにここへ移転したという。