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善福寺川周辺の水路敷群(高野ヶ谷戸)
地図その1
OpenStreetMapで今回のコース前半(南側)を見る。
高野ヶ谷戸(こやがいど)はこのあたりの旧字名で、「ヶ谷戸」を「がいど」と読むのは杉並の方言だというが、大田黒公園あたりを中心とした谷戸地形に付けられた地名らしい。近所の「大谷戸」は「おおやと」と読まれているようだが、古地図では大ヶ谷戸とかかれているので、かつてはおなじように呼んでいたかもしれない。ちなみに荻窪駅の北には対応するように中谷戸と小谷戸という旧字名があるのだが、こちらは古地図でも「ヶ」が入っていない。
今回は、六ヶ村分水を含む複数の水源から南下して善福寺川に至る支流と、善福寺川左岸の支流を合わせて見ていこう。
合流
天神橋公園を流れてくる新堀用水との合流点から、今回は右側の旧流路を進んでいく。
ここからの写真は2020/12/26撮影。
擁壁
右側(東側)の擁壁下を水路敷が進む。崖の上には田端神社があり、このあたりが岬状に張り出した台地の南端となる。
車止め
車止めの先は自動車が入れる道路になっているようだ。
田端神社
木造の鳥居が印象的な田端神社。田端というのはこの辺りの旧村名だが、この神社は元は菅原道真を祀る北野神社だったという。その神社が田んぼの端にあったので田端天神となり、その田端が地名になったという順序らしい。東西に村が分かれていたことから東田町、西田町となり、間にあった成宗町と一緒になって成田東、成田西になるという結構な変遷をたどっている。
この写真は2021/5/29撮影。
側溝跡?
道路の左側にはポールで仕切られた歩道があるが、もとは側溝だったのだろうか。
ここからの写真は2020/12/26撮影。
旧荻窪団地
左に旧荻窪団地(現在は西側がシャレール荻窪、東側がシティテラス荻窪というマンションになっている)を見ながら、道路はゆるやかに蛇行して進んでいく。
合流
道なりに進んでいくと、道路が3つに分かれる地点に来た。正面の一方通行出口に合流している左右の道は、いずれも元の水路だったらしい。
この写真は2021/4/21撮影。
行き止まり
右の道はすぐに行き止まりになってしまうが、水路跡としてはその先まで続いていたように見える。反対側には再び道路があるが、すぐにつきあたっており、水路跡かどうかははっきりしない。
この写真は2021/4/24撮影。
西へ
左の道は西に向かって進んでいく。
ここからの写真は2021/4/21撮影。
水路敷
片側一車線道路に出てすぐ、北から水路敷が合流して来る。まずはこちらを上流に向かってたどっていこう。
遊歩道
きれいに整備された遊歩道。
交差点
通行量がそれなりにあるのか、道路との交差点はそれとわかるようにペイントされている。
コンクリブロック
まっすぐ進もうとしたところで、一本右(東)の道路に水路敷によくあるコンクリートブロックが並んでいるのを見つけた。とりあえず先にこちらを上流に向かってみよう。
馬頭観音
と、その前にもう少し寄り道。さらに一本東側に宝暦6年(1756年)造立の馬頭観音があった。
直進
コンクリートブロックで仕切られた元側溝は、道路と分かれてそのまま直進していく。
車止め
塀に向かって無意味に設置されている車止めの向こうには、水路敷が続いているようだ。
蓋暗渠
突き当たりの先は蓋暗渠になっていた。写真奥で封鎖されており、中に入っていくのは難しそうだ。
地図その2
OpenStreetMapで北側部分の地図を見る。上流部は三つの流れに分かれており、それぞれ西側から大田黒公園、天沼橋、杉並区中央公園の方へ伸びている。
通れない
封鎖された水路敷の北側に回り込んでみると、さらに北に向かって舗装された水路敷が続いていたが、こちらも封鎖されて通ることはできない。
上流端
大きく北へ回り込んで、杉並区立中央図書館のテラスから読書の森方向を見たところに水路敷の上流端がある。写真奥には池が見えるが、かつてこのあたりに湧き水があったということで、現在は改めて公園に作られた人工の池のようだ。
池
読書の森北側から池を見る。写真奥に水路敷の上流端が見える。
支流
さて、改めて西側の支流を遡っていこう。
クランク
クランクを抜け…
土嚢
大田黒公園の西側で道路に出る。ところで、写真右側に見える土嚢が気になるのだが。
蓋暗渠
そこにも読書の森公園から流れてくる別の支流があった。蓋暗渠が続いているようだが、入っていくのは難しそうだ。
細
北側に回り込んでみると、住宅の間に細い水路敷が残っていた。こちらはフェンスで封鎖されている。
さらに北
さらに北へ向かって蓋暗渠は続いているが、写真奥で読書の森公園の敷地に突き当たっている。
西側
読書の森の西側に沿って側溝が残っているが、これが水路敷かどうかはよくわからない。
隙間
公園の北にある微妙な隙間。おそらくは水路敷の痕跡と思われる。
もっと北
こちらの支流は公園のさらに北から流れてきていたようだ。細いが蓋暗渠が残っている。先の方は藪になっていて、途中のどこかで終わっているようだ。
荻窪小劇場
そのまま北へ延長したところには青梅街道沿いの荻窪小劇場あたりになる。ここで六ヶ村分水から水を分けていたのだろうか。
大田黒公園
大田黒公園まで戻って一番西の支流で上流端を目指す。大田黒公園は音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡に作られた公園。
銀杏並木
正門から延びるイチョウ並木は樹齢100年を超えているという。
最上流部
大田黒公園の正門前からさらに北へ水路敷が延びている。
激細
最後は人一人ようやく通れるような幅の道になってしまう。
上流端
最後は右に曲がって道路に出たところが上流端ということになるようだ。
未舗装
交差点の先、北に向かって未舗装路が延びているのだが、これが水路敷かどうかはわからない。
カーブ
再び支流が合流してきた道路まで戻って、善福寺川から流れてくる旧流路を見ていく。道路の右側(北側)がインターロッキング舗装されているのは、そこが水路敷だったからなのだろうか。
道路中央
途中、北に向かって道路の中央に色違いの舗装が描かれているが、これは水路敷ではないようだ。
角川庭園
舗装をたどっていくと、坂を上ったところに角川庭園がある。角川庭園は角川書店創業者の角川源義氏の邸宅を公園としたもの。
舗装
コンビニ駐車場のまえにもインターロッキング舗装は続いている。
遊歩道
道路としての突き当たりから先は遊歩道になっている。
松渓橋
ここで遊歩道を進む前に、道路の突き当たりを左に曲がって松渓橋に向かってみる。善福寺川を渡って左岸側を見てみると、大きな排水口が口を開けているのが見える。
放水路
古地図などには描かれていないが、支流から松渓橋に向かって放水路があったようだ。写真左側の道は緩やかにカーブしており、水路敷であったのかもしれない。
路肩
道路右側の歩道は必要があって設置されたようには見えないので、水路敷の側溝だったかもしれない。この道路は団地内にあって両側が封鎖されているので、車道に車も入ってこない。写真奥で支流から分岐しているように見える。
歩道
分岐点から上流に向かうと遊歩道はすぐに終わり、歩道として使われている部分で近衛文麿旧邸(荻外荘/てきがいそう)に作られた公園の前を通る。
かつてはここに池があったという。
壁
黒く塗られた壁というか擁壁の前を進む。
蓋暗渠
ここでもう一度善福寺川へ行き、松見橋を渡って左岸側をみる。支流に向かって排水口の上に蓋暗渠が残っていた。これも放水路ということになるだろうか。
軒先
軒先を若干蛇行しながら蓋暗渠が通っていく。
分岐へ
支流からの分岐の手前だけは蓋暗渠ではなくグレーチング(金網)になっていた。
植え込み
支流に戻って善福寺川からの分岐点を目指す。ガードレールと並んで植え込みが作られているあたりも水路敷によくある光景。
荻窪第二児童遊園
善福寺川から支流が分岐するところは荻窪第二児童遊園になっている。
春日橋
写真奥に見える春日橋の南側で本流と分かれている支流。今回はここで終了となる。
by Natrium