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善福寺川周辺の水路敷群(成田東の支流)

OpenStreetMapで今回のコースを見る。
松ノ木と成田東の間には鎌倉街道の西側に沿って2本の支流が並行して流れているが、今回は西側の成田東にある支流をたどってみる。
松ノ木と成田東の間には鎌倉街道の西側に沿って2本の支流が並行して流れているが、今回は西側の成田東にある支流をたどってみる。

和田堀公園北側の道路は、古い地図では善福寺川本流と並走する支流になっていた場所。そこから写真右側(北)に向かって今回たどる支流がある
ここからの写真は2020/9/27撮影。
ここからの写真は2020/9/27撮影。

北側に張り出した公園の間を水路敷が通っている。

最近あまり見かけなくなった竹垣に沿って進んでいく。

住宅の裏を湿っぽい水路敷が抜けていく。

雑草が茂っているが、そこそこ人通りがあるのがわかる。

段違いに設置された車止めのある交差点。奥の方は電灯が車止めの代わりになっている。

塀に挟まれた水路敷を進む。

苔むした水路敷。今でも湿気が高いということだろう。

いったん道路と接するが、再び分かれていく。

水路敷はさらに北から続いてきている。

狭い水路敷の両脇に電灯と車止めが立っているが、あまり車止めは役に立っていないように見える。

道路を挟んだ先には、杉並区名物(?)金太郎の車止めと、その先に蓋暗渠が残っていた。

マンションの脇を蓋暗渠が抜けていく。

途中西側の道路が接続しているが、ここの車止めは金太郎ではなかった。

蓋暗渠を渡る道路には橋の跡が残っていた。

ここで蓋暗渠を上流に進む前に、東側を流れる支流との間を繋いでいる水路敷も見ておこう。東西の水路敷に挟まれた細い道があるが、ここもかつては水路敷だったようだ。
ここからの写真は2021/1/3撮影。
ここからの写真は2021/1/3撮影。

少し進むと道幅がさらに狭くなる。

突き当たり、ではなく、右方向に鋭角に曲がって上流方向に続いている。

曲がった先は東側の水路敷に向かっている。

東側の水路敷に到着。

再び蓋暗渠の方に戻って上流を目指す。
ここからの写真は2020/9/27撮影。
ここからの写真は2020/9/27撮影。

途中でアスファルト舗装となり、人が通れるギリギリの幅に。

水路敷の出口が見えてきた。

出口には、水路敷に張り出すように「染物」という看板がかかっている。

水路の水で染め物をしていたかどうかは定かではないが、かなり古い看板のようだ。

近くの公園にいた猫を眺めて一休み。

染物屋のところで水路敷はいったんたどれなくなるのだが、北側のマンションを回り込むように上流へ向かっていたようで、マンションの北側の道路が最上流部になるらしい。。
ここからの写真は2021/1/3撮影。
ここからの写真は2021/1/3撮影。

道路は住宅で突き当たりになるのだが、その右側に微妙に隙間が残っていて、どうやらこれが水路敷のあとのように思える。

隙間を通り抜けると区営住宅の前に出るのだが、そこに西に向かって水路敷と思われる取り残された空間が残っている。ここが上流端ということになるだろうか。北側は区営住宅の中なので、今回はここで支流の探索は終了となる。

最後に和田堀公園まで戻って少し公園北側の支流を上流へ進んでみよう。少し進んだところに、金太郎の車止めが残っていた。
ここからの写真は2020/9/27撮影。
ここからの写真は2020/9/27撮影。

さらに上流へ進んだところ、台地の上にあるのが成宗白山神社。成宗はこの辺りの旧村名で、鎌倉時代の御家人の名前に由来するという。現在の地名に使われている成田は合成地名で、成宗の成と田端の田を合わせた地名ということになるが、最初から成田東、成田西とつけられたので、「成田」という町名は存在しないそうだ。
成宗白山神社の創建は伝わっていないが、源頼義が創建したと伝わる大宮八幡宮とほぼ同年代に創建されたとされており、1000年近くこの地にあるということになる。
成宗白山神社の創建は伝わっていないが、源頼義が創建したと伝わる大宮八幡宮とほぼ同年代に創建されたとされており、1000年近くこの地にあるということになる。