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善福寺川周辺の水路敷群(成田西の支流)
善福寺川緑地
善福寺川緑地と和田堀公園の地図。今回は白山前橋から西側、善福寺川緑地の西縁を流れていた揚げ掘のあとをさかのぼっていってみよう。
ここからの写真は2021/6/5撮影。
白山前橋
白山前橋。善福寺川中流の両岸に広がる緑地公園はここから下流が和田堀公園、上流が善福寺川緑地という名称になっていて、それぞれ管理されている。どちらも都立公園なのだが、和田堀公園は昭和9年(1934年)に開設された大宮八幡園という京急系列の遊園施設をもとに周辺に拡大していったという歴史がある一方、善福寺川緑地は河川改修による河川敷を利用して作られているようだ。
ちなみに企業としての大宮八幡園は戦災で施設を失い、平和島に拠点を移して競艇場の運営などを行う京急開発株式会社として現存している。(参考:京急開発株式会社沿革
崖
白山前橋から右岸側(南)へ進んで上流を向いたところに結構な段差の崖がある。その下の道をまずは上流に向かっていこう。
坂
途中で道路は坂道を上っていくが…
水路敷
坂道下の崖と住宅の間に水路敷が残っているようだ。
行き止まり
上流側の行き止まり道に回り込んだところ。写真右(南)側の植え込みが水路敷だろうか。
擁壁
上流側へ進む。坂道の下に立つ住宅の擁壁は住居表示プレートと同じ色に塗られていた。
通路
その先で、善福寺川緑地との間に砂利道がつながっているのを見つけた。このあたりから上流では善福寺川は大きく北寄りに蛇行している。
崖下
ふたたび崖下の道を進んでいくが、奥には少し開けた場所が見える。
成園橋
開けたところから善福寺川に出たところにあるのが成園橋。善福寺川緑地の中にあり、歩行者用の橋になっている。
大谷石
成園橋からさらに上流を目指す。南へ進んでいくと、古い大谷石の擁壁が残っていた。
自転車置き場
その手前、北向きに自転車置き場になっている狭い空間がある。こちら側からは入っていけないが、北側からは水路敷のように見える。この辺りでは、揚げ堀の流路ははっきりしない。
車止め
道路のほうを北へ進んでいくと、杉並児童交通公園に突き当たるところに杉並区ではよく見かける、臙脂色に塗装された車止めを発見。写真右側は善福寺川までつながっているが、左側が上流に続いているようだ。
色違い
善福寺川の方から改めて車止めを見ると、上流側に色違いの車止めもあるのがわかる。この薄黄緑色の車止めも杉並区ではよく見かける。
幅広
交通公園南側の道路を進んでいく。かなり幅が広いが、車両の通行は出来ない。
小道
左側から細い道が合流している。都立豊多摩高校の裏から流れてくる支流があるので、先にそちらを見ていこう。
脇道
途中、交通公園の方に向かって両端を車止めで封鎖された道路があった。
黄色
西に進んで鎌倉街道を越えたところには、比較的珍しい黄色の車止めがあった。
行き止まり
先へ進んでいくと道路として使用されている先で、豊多摩高校の校庭にぶつかる行き止まりの道になっていた。支流の上流端は高校の敷地の中にあったのかもしれない。
通行止め
戻って上流へ向かう。交通公園脇の水路敷はここまでが通行止めで、北へ曲がって公園の正門へ出る。
交通公園
杉並区児童交通公園の正門。
D51254
公園内に正対保存されているD51 254号機。つい最近化粧直しが行われたようで大変美しい状態。昭和49年(1974年)にここに置かれたというからすでに50年近くになる。
下回り
下回りも美しく再塗装されている。
野球場
交通公園を過ぎてさらに北上。隣は野球場になっている。
旧街道
野球場の北側へ。写真奥には五日市街道が東西に走っているが、その手前の交差点(標識のある場所)は旧五日市街道で、道角橋という橋がここで揚げ堀を渡っていたという。石橋の欄干は揚げ堀が埋め立てられてから行方不明になっていたが、その後緑地で発見された片側の欄干が尾崎熊野神社に保存されている。熊野神社はさらに上流に行ったところにある。
五日市街道
五日市街道との交差点から上流側の公園を見る。写真奥へ進む道路が旧街道で、このあたりでは揚げ堀に沿っていたらしい。写真左には文禄3年(1594年)ごろの開創と伝わる曹洞宗宝昌寺がある。
カーブ
東へ向かう旧五日市街道と別れ北へ。ふたたび左側(西)から崖が迫ってくるところを進んでいく。
鎌倉街道
善福寺川が北に蛇行しきったあたり、天王橋(てんおうばし)のたもとで鎌倉街道を越える。
南へ
天王橋から南へ向かって揚げ堀の跡を進んでいく。写真右手前にある車止めは、善福寺川との間につながった支流のようだ。
排水口
支流の排水口を善福寺川左岸から見たところ。
この写真は2021/6/12撮影。
熊野神社の崖
そこから上流へ進んだところ、崖の高低差が大きくなったあたりの崖上にさきほど話題にした尾崎熊野神社がある。写真は上流側から見たところ。
尾崎熊野神社は鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武士が勧請したといわれ、境内からは縄文・古墳時代の遺跡が見つかっている。
欄干
尾崎熊野神社の参道に保存されている道角橋の欄干。
舗装路
道路になっていた揚げ堀は熊野神社から善福寺川に下りて屋倉橋へ向かう道に突き当たって終わっているが、その先で公園内に突然舗装道路として現れる。なぜかこの道路は屋倉橋側ではぷっつり途切れていて車止めもない。
柵
公園と柵で仕切られた道路は上流に向かって延々と続いている。
交差点
西向きに変わったところで、公園に向かう道路と交差。
成田西いこいの森
いったん南向きに進むがすぐに西向きになったあたりでは、成田西憩いの森との間を抜けていく。
蓋暗渠
いこいの森西側の車止めから先は蓋暗渠になっていた。
補修
あまり見かけない蓋暗渠の蓋が補修された光景。2枚だけまっさらな新しい蓋に交換されている。
アスファルト
中途半端なところで蓋暗渠はアスファルトに覆われて姿を消していた。
再び蓋暗渠
そのすぐ先で、いったん蓋暗渠が復活するが、そこから先はアスファルト舗装になっている。
並走
そこから川過ぎに沿って北に向きを変え、しばらく舗装路を歩いていくと右側から善福寺川緑地の通路が近づいてくる。
臙脂色
善福寺川緑地の上流端、神通橋のたもとにある臙脂色の車止めでいったん道路と合流。
上流端
道路北側。善福寺川から揚げ堀が分かれる場所は河川工事で通行止めになっていて入れなかった。
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