善福寺川周辺の水路敷群(松庵川/大宮前大下水上流)
OpenStreetMapで
で今回のコース(環八神明通りから宮前中学校まで)を見る。
環八神明通りの西側、しばらく水路は通りに沿っていたとされるが、通りから逸れるポイントはすでに痕跡がなく、その後もしばらくはほとんどの場所で水路をたどることが出来ない。
松庵川こと大宮前大下水は、神明通り(新田街道、北街道)南側の大宮前新田の短冊状の土地割りの中を流れていたらしい。
環八神明通りを下流(東)側から見る。
ここからの写真は2017/10/9撮影。
交差点の西側では、おそらく歩道部分に水路があったものと思われる。
この松の木は川原にあったのかどうなのか。この辺りでは水路が神明通り沿いに流れていたのかどうか、よくわからない。
このあと、水路はファミリーマートの裏手を抜けて、南荻窪図書館の南側で進路を南に移しているのだが、途中民家の塀の内側に蓋暗渠の痕跡が残っている他は見てわかるような部分もなく、水路敷自体も道路に沿っていない部分がほとんどのため見ることも難しい。
だいぶ南に行ったところにある宮前けやき緑地。松庵川はこの辺りへ写真奥の方、西から流れて来ていたという。
ここからの写真は2017/8/19撮影。
西に進んで坂を登ったところで、南側のマンション敷地の境目に怪しい蓋を見つけた。区有地との境界標があるあたり、蓋の部分が区有地であることがわかる。
その蓋は擁壁沿いを南へ伸びて行く。ここも私有地に入ってしまうので、これ以上たどって行くことは出来ない。松庵川は、この先で西から、宮前中学校の南側を流れていたらしい。
宮前中学校の向かい側にある慈宏寺。寛文13年(1673年)創建というから、南隣の大宮前春日神社(万治年間、1658〜60年創建)とほど近い時期に建てられた寺院で、いずれも近辺の大宮前新田を開墾した井口家によって建てられたらしい。
その慈宏寺の境内に、西へ向かって蓋暗渠が通っているのが見える。墓地の中に入ってしまうので立ち入ることは憚られた。
その大宮前春日神社は、大宮前新田(現在の地名は宮前)にある春日神社ということではあるのだが、杉並区にはもう一つ大宮という地名と大宮八幡宮があるため、こちらの地名は宮前と省略されたという。で、そもそも大宮前というのが春日神社のことではなく大宮八幡宮の手前にあるからという説もあり、微妙によくわからない地名ではある。
いずれにせよ、松庵川の旧名である大宮前大下水の名前の元になっているのは確かなようだ。
慈宏寺の裏手を北に向かって進んだところ、道路の左側に水路敷と思われる隙間を発見。
次の交差点を西へ進むと、舗装道路が一ヶ所だけコンクリートになっている場所があった。
そのコンクリート部分の北側から南側(下流)を見ると、蓋暗渠が伸びている。ここで蓋暗渠を道路が橋で渡っていたということだ。蓋暗渠に入って行くことはできるが、すぐ先で行き止まりになっていた。
振り返って北側、上流は蓋暗渠の道が木の板で蓋されてしまっていて進めない。
北側に回ってみた。こちらは物干し竿で通行止めにしてある。
さらに北側は入っていけないこともなさそうだが、やめておこう。
西側から蓋暗渠が伸びて来ている。ここも入って行くのは難しそうだ。その先で蓋暗渠は北に進路を変えているように見える。
北に回って神明通りから下流(南)方向を見る。蓋暗渠の奥は藪になっており、こちらからも入って行くのは難しそうだ。
神明通りの西方向を見る。ここからしばらく、松庵川は神明通り南側に沿って側溝だった部分が側道となっており、駐車場などとして利用されているようだ。
ところどころ、橋や蓋暗渠が残っており、かつては道路脇のいわゆる「ドブ」だったころの姿が思い起こされる。
神明通り北側から、南側の水路敷を眺める。模型のストラクチャーによくある3つ並びの店舗だが、どうやらいずれも営業はしていないようだ。
郵便局の先、宮前三丁目交差点で松庵川は神明通りと別れ、南へ。
宮前三丁目交差点からは道路が下っており、水路のコース取りとしては違和感がある。現在マンションになっている敷地を通っていたのかもしれない。
とはいえ、そのまま進んで行くと、右(西)側に車止めのある蓋暗渠が見つかる。
しかし、近づいてよくよく見てみると、蓋暗渠を上からアスファルト舗装してしまったようだ。
舗装された蓋暗渠はすぐに向かい側の道路に出て、左(南)へ転進。塀に突き当たっているように見えるが、その先にも蓋暗渠は続いている。
もはや読み取れないが、金太郎の車止めのある1ブロックだけの水路敷がそこにはあった。
その先は道路の南側に移って西へ続いている。
道路の南側に並走する形となった水路敷は、しばらくそのままの形で進んで行く。
OpenStreetMapで
高井戸第四小学校から上流端を見る。
上流端は現在の吉祥女子中学高等学校あたりにあったとされ、その近辺には甲武鉄道(現在の中央線)敷設工事用度の採掘で出来た窪地(女窪と男窪)や、紺屋窪という窪地があり、松庵川(大宮前大下水)はそれらの湧水や下水を流すために作られたという。
付き物の大きな煙突が見えないのだが、天狗湯という風呂屋の上にアパートがある建物。
写真奥の建物で水路敷が行き止まりになっているように見える。
フェンスの奥は草むらになっているが、開渠が残されているようだ。
北側の道路に回って見た。南から上って来た水路敷はこちらの道路まで繋がっていないが、道路北側に水路があったと思しき空間が見て取れる。
ここから水路は西に向かっていたのだろうか。
ところが、同じ場所から北へ向かってさらに水路敷らしき蓋付きの側溝がのびていた。
奥の方は蓋暗渠のようにも見えるが、フェンスに阻まれ、その先では藪に紛れて行き止まりになっているようだ。
こちらには進めないので西へ向かう。
ここから写真は2017/10/28撮影。
西側の道路(大和通り)を北向きに見る。ここから先、しばらく水路敷の行方を追うことができなくなる。このあたり一帯は窪地になっているが、一見水路敷らしい場所は見当たらない。
西荻案内所が発行している「西荻まち歩きマップ」によれば、左手のマンション裏を暗渠が北から南へ流れていたという。
2本西側の通りでいきなり水路敷が復活する。西へ向かって進んでみよう。
ここからの写真は2017/8/19撮影。
ついに松庵川暗渠の上流端にたどり着いたようだ。トラックが止まっている奥のあたりで水路敷は行き止まりになっているように見える。
1本西側の道路を中央線側から見たところ。線路脇の側道からいきなり南側が窪地になっており、道路は崖に盛り土をして作られているように見える。
中央線南側の側道を西荻窪駅西端から吉祥寺方向に見る。西向きに側道が下っているのがわかる。松庵川の出発点は、中央線を越えた北側にある吉祥女子中学高等学校近辺とされている。
おまけで、中央線から南にだいぶ離れた位置に見つけた「工」の字の境界標。