善福寺川周辺の水路敷群(松庵川下流)
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松庵川は旧杉並村(現杉並区)の大ヶ谷戸という字名があったあたりの谷で善福寺川に合流している支流たが、「杉並の川と橋」(2009/3杉並区郷土博物館発行)によれば、西荻窪駅西側にある吉祥女子中学高校あたりから始まる自然の谷間に、甲武鉄道(現在の中央線)を建設した際の用土採取跡地にできた池や、周辺の下水を流すために開削された人工的な河川とされる。
松庵というのは川の南側にある地名だが、もともとは松庵川という名前は付いておらず、大宮前大下水などとも呼ばれる下水路だったらしい。
現在はすべて暗渠化されているが、長い流路のほとんどをたどることが出来る。
善福寺川にかかる神通橋の北に松庵川の合流点がある。ベンチがおかれた場所から、舗装された水路敷が分かれている。
ここからの写真は2017/10/14撮影。
合流点のすぐ近くまで蓋暗渠が伸びてきている。しばらく、蓋暗渠をたどっていこう。
それなりに人通りはあるようだが、蓋暗渠の脇には無造作に草が生えている。
途中の脇道から蓋暗渠を見る。杉並区でおなじみの赤い車止めがあったが、金太郎はどこかへ行ってしまったようでUターン禁止を告げる手書きの札になっていた。
その先で蓋暗渠はいったん道路に合流。道路側から下流方向を振り返ると、そこには金太郎がいた。
水路敷はいったん幅広の道路に合流。北に進んでから矢印の方向へ向かう。
善福寺川の流れに合わせて西側に急カーブしつつ、中途半端に塗り分けされた道を進む。
細い道を進んで行くと、いったん水路の跡が介護付き老人ホームの敷地に突き当たってたどれなくなる。
3つ並んだ車止めに阻まれ、車の通行はここまでとなる。
車止めの先で水路敷は大きく南へ曲がったあと、西に向かってまた曲がっている。
松渓中学校の北西側で、水路敷が西側と南側から合流している地点に出た。南へ向かうと学校の入り口のところで宅地に突き当たり、水路敷としてはたどれなくなる。
西側の水路敷は苔生した細道となって、善福寺川から南下してくるもう一つの水路敷に突き当たって終わっていた。次はそのもう一つの水路敷を遡っていってみよう。
おまけで善福寺川対岸から見た合流場所。暗渠から出てくる排水口が見えるが、水の流れは枯れているようだ。
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神通橋北側に向かう流れとは別に、松見橋の東西に排水口を持つ水路がある。洪水対策として分流された流路らしい。このページでは、この水路を出発点に上流へ向かって進んでみる。
まずは松見橋を左岸から見る。右岸側の橋の下に排水口があるが、これは松庵川の水を流す放水路のようだ。
ここからの写真は2017/10/9撮影。
右岸側の水路敷。松見橋の道路も近く、あまり使われている様子はない。
松見橋上流側の水路敷入口から下流側の水路敷方向を見る。写真奥に下流側水路敷が見えているのだが、この距離ではよくわからない。
一方、松見橋下流側にも大きな排水口があり、こちらが松庵川の放水路としては本流なのかもしれない。
蓋暗渠を進んでいった先はいったん舗装になり、松見橋上流側からの水路敷が分岐する場所に出た。写真は松見橋上流側を見た所。
振り返って、松庵川を上流に向かっていこう。水路敷にも律儀に杉並区の住居表示が取り付けられている。
団地を回り込むように進む水路敷は再び蓋暗渠となる。
水路敷を団地への入口が跨ぐところは橋になっている。
そのまま松庵川上流へ進む。松渓中学校へ行く道路との交差点も、かつては橋になっていたのだろう。
蓋暗渠が松渓中学校の裏手に行き当たって西向きに曲がって行く。
蓋暗渠を進んで行くと、道路をコンクリートの橋が跨いでいた。
蓋暗渠が舗装に切り替わったところで、水路敷は南へ転進。
曲がった先で、日本の水路敷がY字型に合流していた。
上流側から見たところ。蓋暗渠になる前はいったいどんな状態だったのだろうか。
本流は南へ向かう左側の流れだが、先に支流となる西へ向かう蓋暗渠から進んでみよう。しばらくはジメジメとした水路敷が続く。
道路を超えた先は、インターロッキング舗装された遊歩道に切り替わる。
あまり使われている感じがしない、きれいな遊歩道を進む。
ついに遊歩道は道路に突き当たって終わる。ここが起点かと思いきや、水路はどうやら右の方から流れて来ていたらしい。
道路に出たところで右(北)を向く。妙に幅の広い道路はかつて側溝を抱えていたかもしれない。正面の突き当たりでいったん水路跡を追うことが出来なくなる。
環状8号線まで出て、水路の最上流部分を探してみると、川南交差点の少し南側に、西へ伸びる蓋を発見。果たしてこれが続きだろうか。
1ブロック反対側に回り込んでみた。荻窪不動尊盛運講という看板が掛かった建物の横に、水路敷っぽい柵を発見。
柵の中を覗き込んで見たところ。とりあえず辿れる水路敷はここからスタートということで、支流の探索は終了としよう。
さて、続いては本流を遡って行く。合流点の先で、水路敷はいきなり細道となる。
上の写真だとポールのように見える車止めだが、実はこのように水路敷に対して平行に置かれている。色も杉並区に多いエンジ色ではなく、黄色く塗られていた。
次の道路との交差点では、車止めは水路とは垂直に、右側に寄せて設置されていた。
少し進んだところで、もう一度西、南とクランク状に曲がる。
神明通り(古くは新田街道と呼ばれていたらしい)に出る場所には、なぜか車止めがなかった。
神明通りから水路敷を見る。水路敷は写真左(西)へ向かって、しばらく神明通りを遡って行く。
途中、柳窪公園を過ぎたところで南側を見ると、明らかに窪地らしい地形が見えた。地名の通り、この辺りは柳窪という窪地だったらしい。
柳窪を見たところで、下流部の探索は終わりとなる。