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善福寺川周辺の水路敷群(松庵川分水と女窪の支流)

OpenStreetMapで今回のコースを見る。
松庵川の北側に、善福寺川に向かって分水が落とされている。その西側には、かつて女窪と呼ばれた西荻窪駅北側の窪地から善福寺川に向かって流れていた水路があったという。今回は、この二つをたどってみる。
松庵川の北側に、善福寺川に向かって分水が落とされている。その西側には、かつて女窪と呼ばれた西荻窪駅北側の窪地から善福寺川に向かって流れていた水路があったという。今回は、この二つをたどってみる。

まずは松庵川の分水から。東吾(あづま)橋の西側に大きく口を開けた現役の排水口が分水の合流点。松庵川も上流部は甲武鉄道建設時に作られた窪地からの排水に使われていたというので、途中からこちらへ水を分けて落としていたのだろう。
ここからの写真は2017/12/3撮影。
ここからの写真は2017/12/3撮影。

善福寺川に南から合流する水路敷は、すぐに道路に合流して坂を上って行く。崖に向かって垂直に作られているあたり、いかにも人工的な水路という印象だ。

このあたりは、古めの大きな屋敷が結構多い。

神明中学校の東側を抜けて行く。

しばらく歩くと松庵川の水路敷が神明通りと別れる場所にたどり着いた。ここで松庵川は神明通りから南へ、分水は北へ分かれていたらしい。

女窪の支流へ行く前に、東吾橋の下流側にある本村橋の脇にあった細い水路敷に寄り道してみる。

道路を渡った向こうは、民家に吸い込まれて行くように見える。

上流端というわけではなさそうだが、工場裏で水路敷は行方不明になっているようだった。

さて、女窪の支流を善福寺川の対岸からみたところ。こちらは水が流れていないが、まったく枯れているというわけでもないように見える。

階段を上った先に水路敷がある。

こちらも道路に合流して坂を上る。

しばらく道路のまま進んで行くが、徐々に道幅が狭くなっていく。

道路は神明中学校裏門で突き当たりとなり、水路はそのまま中学校の中を通っているようだ。中に入るのは難しそうなので、南側に回ってみるとしよう。

中学校北側の道路から、校内に水路敷の延長線上にあると思われる排水溝を見つけた。

神明中学校北側の道路。水路敷は西へ向かって上って行っていたはずだが、ほとんど勾配は感じられない。

神明小学校の西側に隣接している神明天祖神社。天正12年(1584年)の検地ではすでに祠があったという古い神社。ちょうど境内の黄葉が見事な時期に当たった。

道路を進んで行くと、途中で道路が途切れ細い水路敷になった。そのままひたすらまっすぐ進んで行く。

やたらと背の高い車止めを抜けて、さらにまっすぐ西へ進んで行く。

地面には杉並区ではよくあるワニとライオンが描かれた「とまれ」の標識があった。イルカは見当たらないようだ。

次の道路と交差する部分から先は、交差点付近だけインターロッキング舗装されている。

水路敷の南側に現れた巨大な赤錆の壁。工場か何かかと思ったら、どうやら民家らしい。

なぜかだんだん低くなる車止め。

やっぱりいたイルカ。

歩道付きの道路と交差する部分では、水路敷から飛び出さないようにガードレールが置かれていた。実はこの水路敷、近辺の東西に走る道路がやや細いためか、結構人通りが多い。事故防止のために必要なのだろう。

水路敷は道路に突き当たって行き止まりとなっている。とりあえず、水路敷としてはここが起点となるようだ。

起点から下流方向を見る。一回曲がったきりでひたすらまっすぐ続いている水路だった。

ところで、水路敷上流端のさらに先は、一本北側の道路が微妙に谷筋になっているようにも見え、進んで行くと西荻窪駅に達する。

最後に西荻窪駅の北側、女窪があったと思われるあたりを通る伏見通りの由来ともなった伏見稲荷神社。民家の一角に祀られた小祠といった風情だが、昭和26年の創建と伝えられ、地元の商店街を守護してきた。
この写真のみ2017/10/28撮影。
この写真のみ2017/10/28撮影。