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南武線・稲田堤〜矢野口

OpenStreetMapで稲田堤(いなだづつみ)駅から矢野口駅までを見る。
矢野口駅の前後は平成17年(2005年)に連続立体化工事が行われて踏切が廃止となっている。
矢野口駅の前後は平成17年(2005年)に連続立体化工事が行われて踏切が廃止となっている。

稲田堤駅西側の観光道踏切(踏切番号No.44)。明治31年(1898年)に稲田村が多摩川堤防に桜を植えたことから、稲田堤として観光名所となったことに由来する名前だという。
この写真は2025/12/18撮影。
この写真は2025/12/18撮影。

調布から京王多摩センターを経由して橋本へ向かう京王相模原線の京王稲田堤駅は昭和46年(1971年)の開業だが、南武線の稲田堤駅とは300〜400m離れたところにある。
ここからの写真は2025/12/28撮影。
ここからの写真は2025/12/28撮影。

京王線の西側に南北から細い路地が線路に突き当たる場所があり、ここが天宿(てんしゅく)第一踏切の跡と思われる。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)ではもうひとつ東側にも踏切があるように見えるが、該当する道路は見当たらない。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)ではもうひとつ東側にも踏切があるように見えるが、該当する道路は見当たらない。

現役の天宿第三踏切の東側に、線路を斜めに渡る廃止された天宿第二踏切の跡がある。

天宿第三踏切(No.45)は狭くなっているが車両通行が可能だ。
天宿は旧菅(すげ)村の小字で、天王様(八雲神社)を祀ったことに由来するとされている。
(参考:国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「稲田の民俗:菅・中野島・登戸・宿河原・堰(川崎市民俗文化財緊急調査報告書;第4集)」川崎市民俗文化財緊急調査団, 1985)
天宿は旧菅(すげ)村の小字で、天王様(八雲神社)を祀ったことに由来するとされている。
(参考:国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「稲田の民俗:菅・中野島・登戸・宿河原・堰(川崎市民俗文化財緊急調査報告書;第4集)」川崎市民俗文化財緊急調査団, 1985)

次の原島踏切(No.46)は車両通行止め。原島という名前は付近の名主だった原島家から取られているそうだ。

原島踏切から矢野口駅方向を見たところ。一つ隣の営団前踏切から先が高架になっている。

その営団前踏切(No.47)。営団という名前は踏切北側(写真手前)にある川崎市営菅芝間住宅ができる前にあった団地を開発した住宅営団(昭和16年設立、昭和21年解散)に由来するといわれている。

高架線になっている水道踏切(No.48)の跡。南武線の踏切番号は矢野口駅付近が高架化される前に付番されているので、現在は48番以降が欠番となっている。
ここは東京都稲城市(写真左)と神奈川県川崎市多摩区(写真右)の県境となっている。
ここは東京都稲城市(写真左)と神奈川県川崎市多摩区(写真右)の県境となっている。

踏切跡の高架支柱には「水道ガード」と書かれたプレートが設置されている。

矢野口渡船場跡に向かう道路が高架下を通る小沢踏切(No.49)跡。

矢野口駅西側で東京都道19号が南武線をくぐる場所に矢ノ口踏切(No.50)があった。駅名は「矢野口」だが、踏切名は「矢ノ口」となっていた。

撮影した時点では、高架橋の南側に小田急バスの「矢野口駅東」バス停があった。ここには2025年まで毎年6月の日曜日だけ運行される新宿駅西口〜よみうりランドという長距離路線が走っていたのだが、2026/3/15で廃止されてしまった。

矢野口駅ロータリーを南側から見たところ。1961〜1962年の地図では駅入口通路のあたりに矢野口第二踏切と思われる踏切があったが、高架化されるよりも前に廃止されている。