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南武線・西府〜谷保
地図その1
OpenStreetMapで西府駅(にしふ)付近を見る。
西府駅は平成21年(2009年)に新しく開業した駅だが、戦前には東側に本宿(ほんしゅく)停留場、西側に西府停留場がありその中間に再設置されたような形になっている。
なお、西府中でなく西府なのは明治22年(1889年)に本宿村、中河原村、四ッ谷村が合併した際に国府の西ということで採用された村名に由来しているためだそうだ。駅のある場所は本宿一丁目だが、駅名としては西府が採用されている(駅西側は西府一丁目)。
竣功記念碑
西府駅北口にある西府土地区画整理事業の竣功記念碑。西府駅周辺は平成7年(1995年)から平成26年(2016年)にかけて土地区画整理が行われており、西府駅もその間に開業している。
ここからの写真は2026/2/14撮影。
西府駅
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1969〜1970年)や国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ると、西府駅の駅舎両端付近に踏切が2ヶ所あったように見えるが、区画整理に伴って南北の道路が付け替えられているため痕跡は残っていない。
御嶽塚
駅南側にある御嶽塚(みたけづか)。古墳時代の古墳で、頂上には御嶽大権現の小さな祠が祀られている。
分倍河原寄りに集まる高倉古墳群とは別のまとまり(御嶽塚古墳群)が西府駅から西に広がっているとされている。御嶽塚は古墳群の中では5号墳として位置づけられており、昔はもっと大きな墳丘があったらしい。御嶽塚古墳群で現存しているのはここだけなのだそうだ。
熊野神社
西府駅の北、甲州街道沿いにある熊野神社。江戸時代初期の創建と伝わり、安永6年(1770年)に府中市立第五小学校近くからこの地に移転してきたという。
ここからの写真は2026/4/21撮影。
熊野神社古墳
熊野神社の裏手には、国史跡となっている武蔵府中熊野神社古墳がある。
平成15年(2003年)からの発掘で飛鳥時代(7世紀中頃)の古墳であることが確認されるまではただの小山だと思われていたそうだが、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の「武蔵野叢誌.下(府中市郷土資料集;2)」(原本は武蔵野叢誌社, 1884)に古墳を発見したという記事があったこともわかっている。
発掘の結果、全国でも5例しか認定されていない上円下方墳という珍しいもので、中でもこれが最大のものだという。府中に国府が置かれる前に付近に大きな権力を持った有力者がいたことを示している。
西府町三丁目
ところで、最寄りのバス停として案内されている京王バスの西府町三丁目バス停はたしかに目の前にあるのだが、時刻表を見ると朝6時台に1便しか設定されていない府42系統府中駅のみとなっている。
反対側に「ちゅうバス」のバス停があって1時間に1本程度走っているので、こちらを案内した方が良い気がする。
上西踏切
さて、南武線に戻って西府駅から谷保駅方向に向かう。駅西側に南から斜めに突き当たる道の先に西府駅開業に伴って平成21年(2009年)に廃止された上西踏切(踏切番号No.66)があった。
ここからの写真は2026/2/14撮影。
上西踏切の西側は本宿四号踏切まで現役の踏切がない。一号から三号は現存しないが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1952〜1958年)や国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見てもはっきりした踏切跡は一ヶ所しか見当たらない。
順序が不思議なことになるが、西府駅両端の踏切を一号、二号とすれば数としては合っているのかもしれない。
写真は上西踏切と本宿四号踏切の間にある旧踏切の跡。ここが本宿三号踏切跡なのだろうか。
地図その2
OpenStreetMapで本宿四号踏切から谷保(やほ)駅を見る。
本宿四号踏切
久しぶりに現役の本宿四号踏切(No.67)。
南武線が北へカーブして行くところに両側から道路が近づいて行く場所があるが、ここにも踏切があった。
写真は南からぶつかる大山道から南武線を見たところ。
西府停留場跡
南武線を越える甲州街道の西府橋脇にある歩道橋の上から南側(川崎方向)を見たところ。南武線側が切り通しになっているが、写真のあたりに旧西府停留場があった。本宿停留場と同じく昭和19年(1944年)に南武鉄道が国有化された際に廃止されている。
本宿、西府の住民にとっては新しい西府駅を設置することは悲願だった。
下谷保1号墳
西府橋から甲州街道を西へ向かい、日野バイパスを下る途中右(西)側の路地奥にある下谷保1号墳。日野バイバス周辺には下谷保古墳群と呼ばれる複数の古墳があったが、墳丘部を間近に確認できるのはここだけのようだ。
写真奥には下は墳丘の上にあった祠が移設されているが、私有地内になっているようで正面から見ることはできない。
ここからの写真は2026/4/25撮影。
下谷保2号墳
すぐ東側に下谷保2号墳があるが、私有地内にあるため近づいて見ることはできない。
下谷保8号墳
1号墳の西側には下谷保8号墳があったというが墳丘部は現存しない。
南側の道路から屋敷神の祠が見えるが、右側の木々のある部分は屋敷墓(民家敷地内の墓地)となっていて、その付近に8号墳があったらしい。
白山神社
日野バイパスを挟んで東側には白山神社がある。境内の由緒書きによれば安政年間(1855〜1860年)に氏神として祀られたものという。
本宿原踏切
日野バイパスの延長として建設中となっている東八道路の西側に旧道があってここに本宿原踏切(No.68)があったのだが、東八道路の工事進捗に伴い2024/3/14に廃止されている。
ここからの写真は2026/2/14撮影。
旧踏切
国立市立国立第七小学校の南側に踏切があった。写真は南側から南武線に突き当たる道路を見たところ。
下谷保踏切
次は現役の下谷保踏切(No.69)。
下谷保一号踏切
その次は下谷保二号ではなく下谷保一号踏切(No.70)となっている。
下谷保二号踏切?
一号だけあって下谷保二号踏切は現存しない。谷保駅東寄りに南から突き当たる道路があるが1952〜1958年の地図などでは踏切となっており、ここが下谷保二号踏切だったのだろうか。
谷保駅
ローマ字だけ見るとつい某ポータルサイトを連想してしまう谷保駅。
谷保は古くは「やぼ」と呼んでいたそうだが、野暮に通じるということで南武鉄道が開通した際に濁点を取って駅名にしたという。
昭和26年(1951年)に国立(くにたち)町となるまでは現在の国立市の領域は谷保(やぼ)村で、鎌倉時代にはすでに谷保郷として記録に残っている。大正15年(1926年)国立駅ができ、南側に東京高等音楽学院(現国立音楽大学)と東京商科大学(元一橋大学)が移転してくるまでは街の中心は谷保駅近辺にあった。
by Natrium