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南武線・谷保〜矢川

OpenStreetMapで谷保(やほ)駅から矢川(やがわ)駅までを見る。
南武線では谷保・立川間で連続立体交差化工事が計画されており、完成すると19ヶ所の踏切が撤去される。
旧谷保村の地名については地域資料 | くにたち図書館の「くにたちしらべ」を参考とした。
南武線では谷保・立川間で連続立体交差化工事が計画されており、完成すると19ヶ所の踏切が撤去される。
旧谷保村の地名については地域資料 | くにたち図書館の「くにたちしらべ」を参考とした。

別に挨拶をしているわけではないのだが、なんだか応答したくなる。
ここからの写真は2026/2/15撮影。
ここからの写真は2026/2/15撮影。

谷保駅西側の天神前踏切(踏切番号No.71)。谷保駅は高架化される予定がなく、この踏切も廃止されない。

踏切名の由来になっているのは踏切から南へ向かったところ、崖沿いにある谷保(やぼ)天満宮。
駅名は「やほ」だが、天満宮は「やぼ」でこちらの方が古い地名の読み方ということになる。延喜3年(903年)に菅原道真の三男、道武が配流先の当地で父を偲び廟を建てたことに始まるとされ、東日本で最古の天満宮と言われている。当初は隣の本宿(ほんしゅく)村にあり、養和元年(1181年)に子孫で鎌倉武将で天満宮の宮司も務めていた津戸三郎為守(つのとのさぶろうためもり)が霊夢を蒙りここに遷座させたと伝わっている。
江戸時代の歌人である大田南畝(蜀山人)が詠んだ狂歌に「やぼの天神」という一節があることから野暮天という言葉の元となったという伝承があるが、蜀山人以前から野暮天という言葉はあって後付けだとされている。
ここからの写真は2026/2/14撮影。
駅名は「やほ」だが、天満宮は「やぼ」でこちらの方が古い地名の読み方ということになる。延喜3年(903年)に菅原道真の三男、道武が配流先の当地で父を偲び廟を建てたことに始まるとされ、東日本で最古の天満宮と言われている。当初は隣の本宿(ほんしゅく)村にあり、養和元年(1181年)に子孫で鎌倉武将で天満宮の宮司も務めていた津戸三郎為守(つのとのさぶろうためもり)が霊夢を蒙りここに遷座させたと伝わっている。
江戸時代の歌人である大田南畝(蜀山人)が詠んだ狂歌に「やぼの天神」という一節があることから野暮天という言葉の元となったという伝承があるが、蜀山人以前から野暮天という言葉はあって後付けだとされている。
ここからの写真は2026/2/14撮影。

谷保天満宮の本殿は一般的な神社とは逆で、崖下にあって甲州街道側の入口から石段を下って行く「下り宮」という様式になっている。

天神前踏切の西側、線路南側に滝之院遊園という児童遊園があるが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1963〜1964年)を見ると遊園の奥に踏切があったようだ。
ここからの写真は2026/2/15撮影。
ここからの写真は2026/2/15撮影。

そこから次の踏切へ向かう途中の道端に「仮屋上(かりやうえ)遺跡群」という看板がある(写真右側のミラー左下)。
奈良・平安時代の住居跡など集落の遺跡が国立市役所南側から谷保天満宮北側にかけて見つかっているという。
奈良・平安時代の住居跡など集落の遺跡が国立市役所南側から谷保天満宮北側にかけて見つかっているという。

次の踏切は滝の院踏切(No.72)。連続立体化工事ではここから高架アプローチとなるため、この踏切は通路としても残らず廃止される。
「の」の字に揺れがあるが、滝之院はさきほどの仮屋上遺跡群看板の南側にある現在は墓地となっている御坊で、廃寺となっている安楽寺(谷保天満宮の別当寺であった)の6つの子院六坊のうち唯一現存するものだという。
「の」の字に揺れがあるが、滝之院はさきほどの仮屋上遺跡群看板の南側にある現在は墓地となっている御坊で、廃寺となっている安楽寺(谷保天満宮の別当寺であった)の6つの子院六坊のうち唯一現存するものだという。

滝の院踏切から矢川駅方向を見る。ここから高架線となる予定だが、現時点では何も準備は行われていない。

次の坂下第一踏切(No.73)も高架化に伴って廃止される。
坂下は下谷保村の旧村組名(行政村落ではない村組織の名前)で、谷保天満宮の西側に下りる甲州街道の仮屋坂の下にあることから付いた名前ということだ。
坂下は下谷保村の旧村組名(行政村落ではない村組織の名前)で、谷保天満宮の西側に下りる甲州街道の仮屋坂の下にあることから付いた名前ということだ。

坂下第二踏切(No.74)は高架化後に高架下通路として残される予定になっている。

坂下第二踏切の南側に石塚古墳(牛塚)がある。墳丘に電柱の支柱が刺さってしまっているが、全体としては円墳らしさをきれいに残しているようだ。

昇松(のぼりまつ)踏切(No.75)の北側(写真奥)に国立(くにたち)市役所がある。
上谷保村の旧村組名としてはこのあたりは千丑(ちうし)だったそうだが、踏切名には採用されていない。
上谷保村の旧村組名としてはこのあたりは千丑(ちうし)だったそうだが、踏切名には採用されていない。

そしてなぜかその西側に国立市役所前踏切(No.76)がある。国立市役所は昭和52年(1977年)に現在の位置に移転するまではこの踏切の北にあるFSXアリーナ(くにたち市民総合体育館)が建っている場所にあったため、こちらがもともとは市役所前だったということだ。

そこから矢川駅寄り、南武線南側に広がる「おたか森」の中にある西野稲荷神社。おたか森は付近に御鷹場があったからとも、お稲荷(とうか)森がなまったとも言われている。
おたか森付近の旧村組名は石神(しゃくじ)で、練馬区にある石神井(しゃくじい)と同じ読み方になっているが、こちらは「社宮司」がなまったものとも、この地に祀られていた石凝売命(いしごりどめのみこと)に由来するとも言われている。
おたか森付近の旧村組名は石神(しゃくじ)で、練馬区にある石神井(しゃくじい)と同じ読み方になっているが、こちらは「社宮司」がなまったものとも、この地に祀られていた石凝売命(いしごりどめのみこと)に由来するとも言われている。

おたか森西側にある中平(なかだいら)一号踏切(No.77)。
上下に分かれる前の谷保村でおおよそ真ん中にあって起伏が少ない平らな地形であったことが旧村組名の由来だという。
上下に分かれる前の谷保村でおおよそ真ん中にあって起伏が少ない平らな地形であったことが旧村組名の由来だという。

道路より高い位置にあって階段を上る中平二号踏切(No.78)。

久保一号踏切(No.79)は幅員2mでギリギリ車両通行可(2t車通行不可)となっているようだが、実際に通過するには勇気が要りそうだ。
久保は矢川駅南側の旧村組名で、谷保用水に流れ込んでいる矢川が作る窪地にあったからという。
久保は矢川駅南側の旧村組名で、谷保用水に流れ込んでいる矢川が作る窪地にあったからという。

隣の久保二号踏切(No.80)は車両通行止めになっている。

ところで、このあたりの踏切には「私は踏切が鳴ったらわたりません!」と高らかに宣言している看板が付いている。
踏切注意の看板はいろいろあるが、自ら宣言するタイプは他では見たことがない。
踏切注意の看板はいろいろあるが、自ら宣言するタイプは他では見たことがない。

矢川駅東側の矢川踏切(No.81)。