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南武線・矢向〜平間

OpenStreetMapで矢向駅から鹿島田駅までを見る。
この区間には現在2ヶ所しか踏切がないが、踏切跡と見られる場所が7ヶ所あるのでこれも合わせて見ていこう。
なお、矢向駅から武蔵小杉駅までの間は川崎市主体でJR東日本南武線連続立体交差事業が進められており、令和21年(2039年)の完成時には現役の踏切9ヶ所が除去される。
踏切位置の推定については国土地理院Webサイトより
および東京時層地図を主に参考とした。
この区間には現在2ヶ所しか踏切がないが、踏切跡と見られる場所が7ヶ所あるのでこれも合わせて見ていこう。
なお、矢向駅から武蔵小杉駅までの間は川崎市主体でJR東日本南武線連続立体交差事業が進められており、令和21年(2039年)の完成時には現役の踏切9ヶ所が除去される。
踏切位置の推定については国土地理院Webサイトより
および東京時層地図を主に参考とした。

矢向駅ホーム脇のキャパシティいっぱいの留置線には3編成が停泊していた。
ここからの写真は2025/12/5撮影。
ここからの写真は2025/12/5撮影。

川崎方を見ると、留置線に向かって業務用の構内踏切があるのが見える。

矢向駅東側から留置線に向かって「行き止まり」と大書きされた突き当たりを見る。
地図や空中写真で見てもここに踏切があった記録は確認できないのだが、矢向駅のホームが延長される前はここに踏切があったのではないかと思わせる。
この写真は2025/12/4撮影。
地図や空中写真で見てもここに踏切があった記録は確認できないのだが、矢向駅のホームが延長される前はここに踏切があったのではないかと思わせる。
この写真は2025/12/4撮影。

矢向駅西側から鹿島田駅へ向かう。途中、線路東側にマンションが建っているあたりに昭和7年(1932年)旧1万地形図では東西に踏切が渡っていたが、道筋が変わってしまっているので正確な位置はわからない。
ここからの写真は2025/12/5撮影。
ここからの写真は2025/12/5撮影。

さらに進んで西側後方から斜めに道路がぶつかってくるところにも昭和7年地形図で踏切が描かれている。ここも東側に道路はなく、踏切らしさは残っていない。

線路上で道路がX字に交差している塚越踏切(踏切番号No.6)。遮断機はそれぞれの道路に設置されているので合計4ヶ所ある。

東側から見ると踏切手前にもうひとつ道路があって、北からは東(写真右)にしか曲がれない。東からはまっすぐ西へ行くのと踏切を渡つつ左折して南にだけ行ける形。西から来ると踏切手前を左に曲がって北へ向かうこともできる。慣れていないと通るのが難しそうだ。

塚越踏切のすぐ北側にある細い路地。突き当たったところに昭和15年(1940年)旧1万地形図では踏切があったように描かれている。

そのすぐ北側で線路にぶつかって北に曲がる道の先にも昭和22年(1947年)空中写真では踏切があるように見える。
ここからの写真は2025/12/11撮影。
ここからの写真は2025/12/11撮影。

住宅建築中で近寄って撮影ができなかったが、さらに北側、御嶽神社の裏手から伸びている道路の突き当たりも昭和22年の空中写真では踏切だったようだ。

塚越踏切から北に向かう塚越本通りを進んで行ったところにある塚越御嶽(みたけ)神社(御嶽大神)。
創建は不明だが、創建時に塚越という地名の由来となった円墳(塚越古墳)の一部が盛り土に使われたそうだ。
創建は不明だが、創建時に塚越という地名の由来となった円墳(塚越古墳)の一部が盛り土に使われたそうだ。

神社の入口に立つ説明看板の右に立っているのは文政12年(1829年)の記銘がある円柱型の道標。

御嶽神社から通りを少し北へ進んだところ、理髪店の駐車場裏(民家敷地内)に塚越古墳がある。2013〜15年に行われた発掘調査によって古墳であることが確認された。現在の形は円墳だが、前方後円墳だった可能性もあるという。

さて、南武線に戻って北へ向かうと、南へ線路を渡っていく町田堀の跡地を利用した町田堀緑地がある。ここに水路橋はあったようだが、踏切は地図や空中写真では確認できない。
町田堀は二ヶ領用水の分水で、周辺が旧町田村(のちに潮田町)であったことによるという。
ここからの写真は2025/12/5撮影。
町田堀は二ヶ領用水の分水で、周辺が旧町田村(のちに潮田町)であったことによるという。
ここからの写真は2025/12/5撮影。

町田堀緑地は北側で町田堀ふれあい公園に突き当たるが、その手前左側の車止めがあるところに昭和15年旧1万地形図では踏切があった。ただし、昭和22年空中写真では確認ができない。

鹿島田駅南側の鹿島田踏切。写真奥(西)へ向かうと品鶴線(横須賀線)の新川崎駅がある。
鹿島田の地名は茨城県にある鹿島神宮を勧請した鹿島大神(新川崎駅近くにある)に寄進した水田に由来するという。
鹿島田の地名は茨城県にある鹿島神宮を勧請した鹿島大神(新川崎駅近くにある)に寄進した水田に由来するという。

OpenStreetMapで鹿島田駅から平間駅までを見る。
現在踏切は2ヶ所だが、そのほかに5ヶ所踏切跡と思われる場所がある。
この区間では全国Q地図の東京都3千分の1地図(1965〜1966年)も合わせて参考とした。
現在踏切は2ヶ所だが、そのほかに5ヶ所踏切跡と思われる場所がある。
この区間では全国Q地図の東京都3千分の1地図(1965〜1966年)も合わせて参考とした。

鹿島田駅ホーム北寄りに西側から突き当たる行き止まりの道は昭和22年空中写真で踏切に見える。

府中街道南側にある旧味の素鹿島田社宅前の道路。封鎖されているガードレールの先あたりに東京都3千分の1地図などで踏切がある。

府中街道が南武線を渡る川崎堀踏切。
踏切東側に欄干が残っているが、町田堀の跡だという。
踏切東側に欄干が残っているが、町田堀の跡だという。

鳥居のような意匠になっている川崎堀の分水口。右が品川堀、左が大師堀に分かれている。写真手前には左(東)にある平間浄水場(現平間配水所)の二ヶ領用水余剰水取水口跡があり、取り込んだ水を工業用水として利用していた。

川崎堀踏切が現在の位置になったのは府中街道の道筋が変更されたためで、以前は用水路の北側にあったことが昭和22年の空中写真は東京都3千分の1地図(1963〜1964年)で確認できる。
写真は府中街道北側から旧道の入口と思われるフェンスを見たところ。旧道はここでまっすぐに進み、線路を渡って東側の川崎市動物愛護センター南側付近に出ていた。東側は道路が改修されていて痕跡は残っていない。
この写真は2025/12/11撮影。
写真は府中街道北側から旧道の入口と思われるフェンスを見たところ。旧道はここでまっすぐに進み、線路を渡って東側の川崎市動物愛護センター南側付近に出ていた。東側は道路が改修されていて痕跡は残っていない。
この写真は2025/12/11撮影。

南武線東側に広がっている県立川崎工科高校の西北にある行き止まりの道。東京都3千分の1地図などで踏切となっている。
ここからの写真は2025/12/5撮影。
ここからの写真は2025/12/5撮影。

平間駅南側の平間踏切。駅北側にあるガス橋通りの方が交通量が多く、こちらは比較的交通量が少ないようだ。

平間駅ホーム南側にある跨線橋も踏切の跡と思われる。東京都3千分の1地図でも踏切として描かれている。