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調布1号~21号踏切
地図
OpenStreetMapで調布駅から鬼太郎ひろばまでを見る。
2012年に地下化された調布駅から西側はしばらくその地上部をたどることになる。
調1
都道120号下河原小島線を渡った西側に、歩道に線路が埋め込まれている場所がある。地下化前の線路をそのまま使っているのかは分からないが、ここを地上線が走っていたことは確かで、写真手前が元の調布1号踏切となる。
このページの写真は2022/3/12撮影。
相模原線
すぐ南側には、相模原線の線路があったカーブがそのまま通路として残されている。
フェンス
子供の遊び場になっている線路敷の北側には、地上を京王線が走っていたころのフェンスがそのまま残されている。
調2
調布2号踏切は地下化以前に廃止されていたが、南から道路が線路に突き当たっていたこのあたりにあったと思われる。
調3
調布3号踏切は横断歩道の南側にあった。
線路跡
調布3号踏切の西側では、線路跡は空き地になっていて利用されていない。
調4
調布4号踏切は車両通行止めだったようだ。当時の道幅がそのまま温存されているように見える。
調5
調布5号踏切は、写真奥の都道19号が陸橋で線路を乗り越えていた時には東西2ヶ所あった。
鬼太郎ひろば
都道19号西側の線路敷は、「鬼太郎ひろば」として整備されている。
「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として知られる水木しげる氏は京王線地下化後の2015年に亡くなったが、50年以上調布に住んでいたという。2019年にオープンした鬼太郎ひろばには、ゲゲゲの鬼太郎を制作した東映アニメーションの寄贈による鬼太郎像などがあるが、デザインとしては原作版に近いようだ。
トイレ
トイレの看板のデザインが秀逸。
調6
ところで、調布5号踏切から西側、調布11号踏切まで地下化時に廃止された踏切の番号は飛んでおり、その間にあった踏切は地下化以前に廃止されていた。調布6号踏切は、南側から路地が突き当たっているこのあたりと思われる。
調7
調布7号は鬼太郎広場から階段を下りて南へ向かう細い路地がそれだろう。
地図その2
鬼太郎ひろばから西調布駅までを見る。鬼太郎ひろばの西寄りに調布8号踏切があったはずなのだが、線路の南北に痕跡がなく、場所は特定できなかった。
全国Q地図
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962)では保育園の建物脇に踏切があったようだが、現在痕跡は残っていない。
地下へ
鬼太郎ひろばの西側で京王線は地下トンネルを抜ける。フェンス越しに地下区間へ向かう7804F上り特急新宿行き。
調9
南側から調布9号踏切と調布10号踏切の跡を探す。写真の二又になっている道の右奥に見える行き止まりが調布9号踏切跡と思われる。
調10
左側の道も線路で突き当りになっており、こちらが調布10号踏切跡と思われる。
9号北側
調布9号踏切跡の線路北側には、アプローチの跡と思われる空間が残されている。
10号北側
調布10号踏切の北側にも、廃道が残っている。
調11
地下へ向かうスロープの入り口になったために廃止された調布11号踏切。
調12
地上部に出て最初の踏切となる現役の調布12号踏切。
調13
調布13号踏切はすでに廃止されている。
全国Q地図の東京都3千分の1地図を見ると、写真の位置よりも東側に踏切があったようだが、道路であった部分は畑になっており、まったく痕跡は残っていない。
調14
現役の調布14号踏切は南向き一方通行だが車両も通行できる。
馬頭観世音
踏切北側の路傍には、馬頭観世音文字塔が残されている。
調15
廃止された調布15号踏切にも、線路北側に廃道が残されている。南側は線路まで現役の道路があり、踏切らしさが残る場所だ。
調16
調布16号踏切は、南側の道路が拡張されているのだが、北側は元の細い保持のままで、車両通行止めになっている。調布駅から西調布駅の間の踏切は番号もやたらと多いが、かつてはこのような小さな踏切がたくさんあったのだろう。
調17?
調布16号踏切と18号踏切の間、南側から道路が線路にぶつかるところがあるが、北側は私有地の駐車場になっている。駐車場の部分だけ塀が柵になっているので、ここがかつては調布17号踏切だったのかもしれない。
調18
調布18号踏切は北向きの一方通行になっている。
調19
そこから西へ進んで、北側から線路に突き当たる路地があり、ここが調布19号踏切の跡ではないかと思われるのだが、南側は農地になっていて道路はない。
調20
調布20号踏切は車両通行止め南北の道路に比べて踏切の幅が狭くなっている。
調21
西調布駅東側にある調布21号踏切。踏切内よりも北側の道路の方が幅が狭いというちょっと変わった踏切になっている。
近藤勇
西調布駅のすぐ北には、新選組局長 近藤勇が鳥羽伏見敗戦後に江戸に戻り、甲陽鎮撫隊となって広州へ向かう前に立ち寄ったという西光寺がある。
近藤勇は甲州街道上石原宿に近い上石原村の出身で、生誕の地は調布飛行場の北、野川公園入口に近い人見街道脇にあったという。
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