幡ヶ谷1号~8号踏切
OpenStreetMapで
幡ヶ谷駅から笹塚駅までを見る。
昭和58年(1983年)の初台~笹塚間立体交差化工事で幡ヶ谷3号踏切以外は廃止となった。幡ヶ谷3号踏切だけは、上り線が京王新線をまたいで地下に入る位置が東側にずれていることから、上り線の踏切だけが取り残されて現在に至る。
現在京王新線幡ヶ谷駅の入口は道路の西側にあるが、地上時代の幡ヶ谷駅は道路の東側にあったので、この道路が幡ヶ谷1号踏切ということになる。
ここからの写真は2022/1/22撮影。
幡ヶ谷駅西側で上り線が地下に入るところ。写真足元には下り線と京王新線が地下を走る。写真奥の歩道橋が幡ヶ谷2号踏切があった場所。
歩道橋に上って幡ヶ谷駅方向、上り線の地下入口を見る。都会の中の単線電化区間という感じでちょっと珍しい光景。
歩道橋から西側。写真中央上に幡ヶ谷3号踏切が見える。こちらも東京では珍しい単線の踏切。道路が左(南)に曲がっているところで、京王新線と下り線が地上に出てきている。
歩道橋の北側階段から幡ヶ谷3号踏切を通過する準特急新宿行きを見る。
幡ヶ谷3号踏切を南側から見る。ビルの谷前に単線踏切という違和感。
幡ヶ谷4号踏切と5号踏切は複々線が地下化から高架に移るアプローチ部分にあったのだが、北側の甲州街道との間にあったはずの道路はビルで埋められてしまっていて残っていない。
ここからの写真は2022/1/29撮影。
幡ヶ谷4号踏切は道路突き当りにあったはず。幡ヶ谷4号踏切は昭和53年(1978年)の時点ではまだ存在していたように空中写真で見えるのだが、昭和58年(1983年)には京王線の地下化で廃止されているはずだ。
幡ヶ谷5号踏切も突き当りにあったはず。幡ヶ谷5号踏切から8号踏切は、笹塚駅が高架化され京王新線が開通した昭和53年(1978年)には廃止されていたものと思われる。
幡ヶ谷6号踏切は複々線が高架に移行する部分にあるため、アンダーバスとして残っている。
都道420号(中野通り)には踏切はなかった。その西側にあった新宿中村屋の東京事業所(東京工場)は2021/3で閉鎖され、解体中。
その工場跡地の西側には幡ヶ谷7号踏切があった。現在は幡ヶ谷第3架道橋となっている。
笹塚駅東側の幡ヶ谷8号踏切跡。笹塚駅は京王新線が開通した昭和53年(1978年)に高架化された。