明大前1号~3号踏切
OpenStreetMapで
明大前駅から永福町駅までを見る。
明大前駅は北沢川支流の谷にあり、北側の玉川上水に向かって切り通しになっているため駅近辺に踏切はなく、実は廃踏切もない。
甲州街道北側を通る玉川上水が井の頭線の切り通しを渡る水路橋。井の頭線の複線線路手前(東側)にもう2本線路を敷ける空間が作られている。
鉄道界隈では有名だが井の頭線の前身である帝都電鉄は、昭和3年(1928年)に井の頭線の免許を得た城西電気鉄道(のち渋谷急行電鉄)と昭和6年(1931年)と、それを合併した東京山手急行電鉄(合併時は東京郊外鉄道)を発祥としているのだが、ここは井の頭線と東京山手急行電鉄が免許を得ていた環状線の両方が玉川上水の下をくぐることが計画されていたため4本分の線路が通れるように作ったとされている。
東京山手急行電鉄は大井町駅から明大前駅を通って板橋駅、田端駅などを経由し、江東区の洲崎まで向かう環状線を構想し、大正15年(1926年)に免許申請を行なった(翌年免許交付)ものの昭和金融恐慌や戦争の影響などで頓挫したため、建設から90年を越えた現在も使用されないままとなっているのだそうだ。
このページの写真はいずれも2024/6/1撮影。
前の写真を撮影した位置から振り返って吉祥寺方向を見ると、切り通しが終わって神田川の谷に出るところに踏切があるのが見える。
谷へ降りて明大前1号踏切へ。写真奥には駅目の由来にもなった明治大学和泉校舎のキャンパスが広がっている。
そこから線路西側を吉祥寺方向へ進んだところに、道路に突き当たって右(南)へ曲がる道路がある。一見、突き当たりが踏切跡のようにみえるのだが古地図や空中写真でもここに踏切があった形跡はない。
実はここ、線路を渡る神田川支流の水路があったところでもともとは道路ではなかったのだ。
神田川北側の道路は架道橋で線路をくぐっており、踏切ではない。
明大前2号踏切はそこから神田川左岸の台地に上ったところにある。写真奥には井ノ頭通りとの交差点が見える。
永福町駅脇にある明大前3号踏切は東京都道427号瀬田貫井線(永福通り)が井の頭線を渡る場所にあり、駅前だが交通量の多い場所になっている。